『セーター』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
セーター
セーターは
もこもこで
なんだかくすぐったい
まるでウサギの毛を着ているみたい
セーターは
あったかくて
なんだか心が落ち着く
まるで誰かにハグをされているみたい
セーターは
母の贈り物
なんだか嬉しいな
親孝行できなかった分
母が作ってくれた
お返しあげようとしたけど
もう母はいないから
お供物として
私が編んだセーターを置く
「お母さん、私が作ったセーター、あったかい?」
セーター
お気に入りのセーターがある
年に数回しか着ずに
何十年も愛用している
物でも本当に気に入っているものは
どれほど使用していても
飽きが来ない
大切にしてきた物や人
温かい気持ちで包んでくれる
さぁ寒い冬を乗りきろう
先週は寒かったですね。
もこもこの羽織物を出してきて、正解でした。
外出する時は、たくさん着込んで温かくしてくださいね。
風邪をひいてつらそうにしている貴女は、見たくありません。
いつだって健やかに、生きていってほしいのです。
“セーター”
すごく寒い冬の日。どうしてもわたしは制服の上から着るものがなかったものですから、母の“セーター”をもぎ取って、学校へ着て行ったことがありました。あまりにもわたしにぴったりのサイズだったものですから、母も叱らず「似合うね」とだけわたしに伝えてくれました。
こういったように
偶然だったはずたけれども、ものすごく運の良い出来事が人生にはたくさんあります。
というか、全てが偶然で、人生は運の良いことばかりの積み重なりだと思っているんです。いや…というよりも、全てが必然で、こうなるべくして、あなたは今こうなっている…というのが、わたしの思想です。
私が何を言いたいかというと
わたしのこの文章をあなたが目にするのは前から決まっていて、おおよそ1分ほど、わたしの思想に耳を傾けることになるのは、必然の運命だということです。
今はニットなんて古い時代の
化石のような物だ…
けれど、私が青春を謳歌していた
そんな時代は、女たる者、編み物の
1つくらい出来ないでどうする
……そんな感じだった
だから、私も例外に漏れずちゃんと
セーターを編める大人になった
マフラーから練習して、帽子、手袋
そして、好きな人が出来たら彼に
手編みのセーターをプレゼントする
手作り効果ってのは、なかなか良い
出来る女を演出出来るww
自分が着る、カーディガンやベスト
セーターも沢山編んだ
後少し…後一目と夜中まで編んだ日が
今は懐かしい
さてと、今は……気候も変わりニットも
必要なくなった
フリースで十分だ、軽くて温かい
せっかく必死に身につけた私の編み物技は
この先一生必要とされず
無用の産物となるのであろうか…
付き合って初めてのクリスマス、私はあなたに手編みの手袋をあげた。不精なあなたは衣替えのときに穴の空いた手袋を出してきたものだから、びっくりしちゃってね。真っ赤な、今思うと男の人に似合うかわからない、そんな手袋をあげた。それから初詣のときにも、バレンタインのときにもそれをつけてきてくれたね。
次の年、私はセーターをあげることにした。これであなたが暖かく冬を過ごしてくれたら、そしてそのそばに私がいられたら、そう思うと愛しくてたまらなかった。無意識に『糸』を口ずさむ自分に赤面もした。また真っ赤なものをあげたものだからあなたはちょっと困った顔をしていたけど、あのはにかんだ笑顔を今でも思い出せる。
幸せだった。
あなたの部屋にお邪魔したことがあったね。年も明けてまた寒くなって、雪が降ったあの日。あの手袋を見つけたの。穴が空いてた。別にそれで怒ったわけでもないし、不精なあなたらしいとも思った。でも、そんなものなのかなと思ってしまった。私自身も大切にしてもらえないんじゃないかなって、そう思ってしまった。手袋の穴を塞ぐぐらい、セーターを編んだ私にとっては造作もないことだった。でも、あのときの愛おしさを感じることはできなかった。
その日寒くて気分が沈んでいたとか、朝洗濯に失敗したとか、そんなところだったんだと思う。でもそのときからかな、あなたとの間に穴を感じるようになってしまったのは。
些細なことが穴を生んでしまうのではないか、そしてその穴を広げてしまうのではないか、不安に思ってるうちに、私は自分の心を塞いでしまっていた。そんな私にあなたも疲れてしまったのかな、穴はどんどん大きくなって、私たちの赤い糸で塞げるものではなくなっていた。
編み物を送る相手もいないこのクリスマスにそんな物思いに耽っている。
あの日塞いだ心は、まだ空いたまま。
セーター
勤めているIT企業は、外資系ということもあって、割と自由なことも多い。出社してもいいしリモートでもいいし、服装ももちろん自由だ。自由なことは多い反面、いろいろな制約もある。なかでも個人情報の漏洩に関しては、どこの会社よりも厳しくなっている。
とは言っても、個人情報だけを扱っている訳ではないので、普通に仕事をしていればそれほど困ることは起こらない。今日も何事もなく順調だ。
お昼休みになり食事のために会社を出ることにした。本日の昼はカレーを食べたい気分だ。久しぶりにあの喫茶店に行ってみようか。会社から5分ほど歩くと新人の頃に同期とよく行った喫茶店ルナが見えてきた。ノスタルジックな昭和の喫茶店だ。
「え?並んでる。嘘でしょ。こんなに混んでたら昼休みが終わる。」
仕方がない。カレーは諦めて…いや、やっぱりカレーが食べたい。別の店を探しながら歩いていると、カレーうどんの文字が見えてきた。もう、カレーうどんでいいや。
のれんを潜り、席に着くとカレーの臭いが鼻を刺激してくる。お腹空いた。
「いただきます。」
カレーうどんをすする。美味しい。うどんでもカレー味はカレー味だ。
ぎゃぁ!
うどんを啜った時にカレーが白いセーターに飛んだ。ちょっとショック。エプロンが欲しかったなぁと慌てて跳ねたカレーを拭くが黄色が広がった。かなりショック。
このままでは帰れないので、近くの量販店で青いスウェットを買い、急いで会社に戻った。はぁ、ギリギリだ。疲れた。
戻った会社では、警戒音がフロア全体に鳴り響いていた。入社して6年になるが始めて聞く音に何が起こっているのかと驚きが隠せない。
席に戻り、近くの同期に聞くと個人情報が持ち出されたらしい。それも、内部の人間の手引きでだ。
「君。ちょっといいかな。」
は?私?
「君。ここを出る時は、たしか白い服を着ていたよね。どうして青い服なの。」
「どういうことでしょうか。」
「防犯カメラに白い服の不審な人物が映っていてね。私たちはその人物が情報漏洩の犯人だと思っている。君がとうして着替えたのか教えて欲しい。」
冗談ではない。私が個人情報を持ち出した犯人なはすがない。服を着替えたのは、カレーうどんがセーターに飛んだからだ。そんな話しするのは恥ずかしいが、そんなことは言っていられない。
上司に服を着替えた理由を話し、その防犯カメラを見せて欲しいとお願いした。
上司は疑いの眼差しと半分呆れた眼差しで私をみていたが、防犯カメラを見せてくれることに同意をしてくれた。
防犯カメラには白いセーターを着た女性が映っていた。でも、私ではない。歩き方が全然違う。歩き方。そうだ、歩き方。
私もエンジニアの端くれだ。舐めんなよ。
「この人は私ではありません。疑うなら歩容認証にかけさせて下さい。」
「歩容認証。なるほど。」
歩容認証は歩き方の特徴を捉えて個人を識別する方法だ。歩き方は人それぞれ個性があると言われており、科学捜査にも使われることがある。
歩容認証の結果、不審人物は私ではないことが証明された。当たり前だが疑いが晴れて良かった。
その後、隣りの部署の係長が個人情報を持ち出していたことが判明した。係長は白いカーディガンを着ていた。
なんだか今日は本当に疲れた。仲間から疑われることが、こんなにも辛く悲しいことだなんて思いもしなかった。
早く帰って寝たい。
カレーうどんに罪はないが、ついていない1日だった。
セーター
学生にとって、冬はかわいいセーターを着るのが一つの楽しみだと思う。
なのに、うちの学校は謎の校則のせいで、セーターの上からブレザーを着ないといけないというルールがあった。
もちろん、その校則に対し私含め女子はみんな文句を言っていた。
「制服とセーターの組み合わせが可愛いのに!」って。
でも、だからこそ大人になった今思うのだ。
学校帰り、こっそりブレザーを脱いでそのまま友達と遊びに行った放課後。
同級生にバレないか、と少しヒヤヒヤしながら入ったゲームセンター。
新鮮なセーター姿で撮ったプリクラや写真。
今思えば、その思い出全てが降り始めの雪の様に輝いていて。
そのことを仕事帰り、セーターを着ている学生に会うたび思い出すのだ。
私の冬は、とても綺麗で温かいものだった、と。
チクチクしそうで着ない 暖かそうだけどね
食わず嫌いならぬ着なず嫌い
は?
セーター
最近の空気は冷蔵庫の中くらい冷えている。うちの学校の教室はなぜかまだ暖房をつけてくれないので、仕方なく通販でスクールセーターを買った。
届いた。せっせと開封し、出てきたのは、灰色でワンポイントもない、地味なセーター。画像通りだ。手触りはなかなか良い。いい買い物をしたなあと思い、無心で撫でていると、このセーターを上回る手触りが私の肌に触れる。
「にゃあ」
手の動きを止めようと、頭を擦り付けてくるうちの猫。たんぽぽみたいな色の瞳がたびたび私を射抜いて、もしかして嫉妬したのかな?と生暖かい目になる。
セーターと同じ灰色の体を撫でる。そうすれば、満足したかのように、小さな声で「にゃ」と言った。
※セーター
私はノルディック柄が大好き(*^ω^*)
冬になると衣類のどこか1ヶ所には入れたい
しかし室内に限る
お出かけの時はシンプルにしておきたいんだ
隠れノルディック柄ファンなのです(*^^*)
ところで皆、爪周りの角質ケアどうしてる?
私は眉毛ハサミで角質を切り捨てているんだ〜
これが結構綺麗になるんだよね
硬い所だけをチョキンと切るので、怪我なく出来る
爪やすりで削る、爪切りでギリギリまで切るとか
そういうケアには……戻れないぜ。楽過ぎて!
多少サイズや形が合わない中身でも
温かく包みこんでくれる
その優しい柔軟性を見習いたい
【セーター】
寒くなってくるとセーターを着るようになる。静電気が大の苦手である私はなるべくバチッとならないようにセーターを着ることを避けていた。しかし今年になって冬服が少なくなり、某良品店で1枚セーターを買ってみた。シャツの上に着るとシャツの色と相まってちょうどいい。もう少し丈が長かったらな〜とか思ったがスカートと合わせれば可愛いかも、なんてファッションセンスもないくせに考えていた。セーターって温度以外にも特有の温かみがありますよね。今年はどんどん着ようと思う。
セーター
ちっちゃい頃とか今もそうなんですが私冬なんてほぼセーター着ときゃいいだろの民なんですが…暖かいしまぁ可愛い、?しいいかなって思うんですけど冬でも寒さよりも可愛さを取り薄目の服に生足…なんて人を見ると尊敬ですね
──心まで冷え切ってしまうから。
爪先が冷たくて目が覚めた。起き抜けの回らない頭で足元を見れば、毛布が掛かっていない。隣で眠っている寒がりな同居人に持って行かれてしまったらしい。
「……今日は眠れたのか」
隣の茶色い頭を撫でる。起きる様子はない。
昨日の夜はなんの前触れもなくおかしなことを言い出すから驚いた。仕事が溜まって精神的に消耗していたのには気づいていたが、まさかあそこまで追い詰められることがあろうとは。
(セーター)
後日加筆します
わたしには、おばあちゃんが編んでくれたセーターがある。もう小さくて着られなくなってしまった、お気に入りの。
そのセーターを着ているときは、なんだか護り神がいてくれるような無敵感があって、小学生の時のドッジボール大会とか、習い事の発表会とか、何かと気合いを入れるときに着てた。もちろん何もなくても着てた。あったかくて、ずっと大切なわたしのお気に入りだった。
サイズが合わなくなってから、そのセーターは箪笥の奥にいた。記憶の箪笥の中でも奥にしまわれていたのが引っ張りだされたのは、わたしがひとり暮らしを始める引越し準備をしていたとき。
セーターと一緒に引っ張りだされたあったかい記憶。それを大事に、わたしは日々を暮らしている。
おばあちゃん、お元気ですか。
わたしは最近編みものを始めてみました。
こ、こんな難しいことをやっていたの……?おばあちゃんすご…と思いながらいろんなものを編みすすめています。何だかんだたのしいです。
小さいころ編んでくれたセーター。とってもお気に入りでした。それを着ていたら何でもできるようなあったかさがあったのだけど、それは心を込めて編んでくれたおばあちゃんの温もりだったんだね。
最近手袋を編んでみたのだけど、仕上がりはでこぼこ。でも、出来上がったものを友人に見せたら「ぜひほしい」と。後日、その手袋をつけた写真が「とってもあったかいよ!✌︎」という一言を添えて送られてきて、心がほわっとあたたまりました。
編みものっていいね。
あたたかい贈り物をありがとう。
寒い日が続きますので、お身体お気をつけて。
またお手紙書きます。
そろそろセーターを着る季節である… 素材や色 柄などいろいろあるが冬らしい温かみのあるセーターが着たくなってくる ただ最近は服の種類が増えて 気温も昔ほど寒い時期が長くないからセーターよりカーディガンの方が使いやすくなった… お店には素敵なセーターがたくさん並んでるんだけどな~
ポポヤ
セーターはあんまり着てなかった
小さい頃は、あの柔らかい、幸せそうな感じが苦手でした。モコモコになるのも嫌だし、チクチクするのも嫌でした。
当時は、感情的なものをなくしたかったし、幸せやゆとりとは無縁の人生だと思っていました。
それが、だんだん歳をとるうちに、見たくない自分の不完全さと不甲斐なさを、見ざるを得なくなってきました。
そして、周囲が見えるようになり、実は身近にもっと大変で頑張っている人達がたくさんいたことに気づいてきました。
なので、自分ができることは何かを考えるようになったのと同時に、こだわりは大したことないなと思えるようになってきました。
そして、少しは柔らかい感じや幸せな感じだけでも、少しは受け入れるのも悪くないかなと思って、たまに着れるようになりました。チクチクはやっぱり苦手だけど、カラフルな色やかわいいデザインはいいなと思えるようになりました。なんだかゆるくなりました。
セーター
手編みのセーターは
とっても素敵と思うけれど
毛糸によっては重くて
それから洗濯も手間がかかる
そして今は軽くて温かな
化学繊維の製品がたくさんある
そんなことから
セーターそのものに
手を出さなくなって
気がつけば着ることもなく
いく年月
しかしもったいないとは思うのです
家族に編める人がいるので
毛糸ってそれなりに高いけれども
ここは思いきって
編んで貰いたいとお願いするつもり
セーターの良さを再認識せねば
ひとつ、またひとつ。
ひとつ、またひとつ。
ひとつ、をずっと積み重ねて、小さな目が無数に編み込まれていった先に、それは完成する。
時間と、手間と、思いをかけて、編みあげ、形づくられていく。
なんだか愛みたいだ、と思った。
〉セーター