『エイプリルフール』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
年に一度だけ嘘をついていい日
嘘をつかれる日
怯えて暮らさないとふとした瞬間に刺されるかもしれない日
警戒してないと全て嘘になってしまう日
エイプリルフール
楽しいことばかりじゃないけれど私の中で行われる言葉狩りの中では楽しめる日。
エイプリルフール
「え~ん私ちゃんに殴られた~」
は?
急に泣き出す隣の女子。
普段ぶりっ子で女子から目の敵にされているかのちゃん。
私も少し苦手だったがあまり話すこともなく話しかけることもなかった
なのに、急に泣き出すかのちゃん
その後、私はハブられるようになった。
みんなわかってるのに、外面を気にして私をハブる。
過去にもかのちゃんはカンニングされたと授業中泣き出すこともあった。
けど、その子はカンニングする必要もない学年トップの頭脳を持っていた。
その時からかのちゃんは嫌われた。
名誉を取り戻すため私に濡れ衣を着せ名誉挽回をはかったのだ。
その後、私はかのちゃんに公園に来るようにいわれた。
いつも人がいない公園によばれ何かと思ったらかのちゃん、なんていったと思う?
「エイプリルフールだよ、バーカ」
私はかのちゃんのことを殴った。
執拗に殴った。
かのちゃんはピクリとも動かなくなった。
私はそんなかのちゃんを砂場に埋めた。
近くにあった大きなシャベルで深いところに埋めた。
エイプリルフールと言う嘘が一人の人間を社会的に殺しその嘘から恨まれ殺される。
エイプリルフールなんて、だいっきらいだ。
エイプリルフール
あなたのことが好き。
ホントの気持ちを言いたいけど、断られたら悲しいから。
エイプリルフールに肖って伝えさせて。
“あなたが好き”
特に自分自身が嘘をつかなかったけど、いろんな企業がハックシュタグエイプリルフールで注目を浴びようと頑張ってたので、こうゆうバズり方もあるのだと勉強になった。
ただ、ケンタッキーのウソが分かりづらくて、すこし炎上してた。
401円でチキン取り放題はありそうでなさそうで、ないけど。
エイプリルフールじゃなくても、僕は君に嘘をついてばかりだ。僕の嘘は、君を好きになったときからずっと始まっている。
君が可愛くないという嘘
君のことを考えたことは一度もないという嘘
君のことが嫌いだという嘘
ああ、一体どれくらい嘘を重ねてきたのだろう。正直に気持ちを伝えられない自分が憎い。それを全部怒ったふりをしながら受けとめてくれるきみが恨めしい。あ、また嘘をついてしまった。本当は愛おしくて仕方がないのに。こんなにも好きなのに。
4月1日。エイプリルフール。少しだけど特別な日。優しい嘘で溢れる日。酷い嘘をいつもついてきた僕には良い機会なのかもしれない。普段なら恥ずかしくて言えない言葉も、今日ならちゃんと言えるかもしれない。勇気を振り絞って君の名前を呼ぶ。
「好きだ。今までも、これからも、ずっと」
続編
「先生、ボク2054年から来ました」
「誰?」
「ボクです、ボク1986年に先生にタイムマシーンは作れるよお前が作るんだよって言われて2024年で作ったけどスポンサー居なくなって挫折して、もう先生と会えないかと思っていたけど、どうしても、どうしても会いたくて、今度は掘りました、何処までも何処へでもいけるドアです、先生好きな時代に行きましょうよ、ちょっと待ってその前に先生どうしても、どうしてもと息子が言うからボクもやっぱり、先生と先輩に生きていて欲しいから生きていてもらわないと2054年の未来が変わっちゃうんですよ、だから行きましょうよ1995年へ2人を助けに…」
「もう息子は先に先輩を助けに行ってます」
2026年 冬 こうして続編は始まる。
2024年4月バカ
心幸
【エイプリルフール】
時間が無く、書けませんでした。
本当にすみません…。
明日まとめて書き上げます!
“エイプリルフール”
今日だけは嘘ついて良いんだよね?
嘘ついたって笑ってくれるよね?
小さい時からずっと一緒で
家族ぐるみで仲良しで
運動会のお昼もいつも一緒で
試験勉強も一緒にしたりして
だけどずっと彼女がいたね
私にも紹介してくれた可愛い彼女
”好きだよ“私が急にいうと
“ばーか!わかってんだよ!エイプリルフール”
”バレた?本気にすると思ったわ!“
“するわけねえだろ!”
”エイプリルフール“だから言えた事
本気にしても良いんだよ!
だって、今日しか言えない本当の気持ち
エイプリルフールについた嘘は、その1年本当にはならないと言われている。
企業や有名人がSNSでエンタメとして行っているものは、嘘だとわかるようになっていて、なぜ嘘だとわかるのかというと、"有り得ない"からだと思う。
いやいやそんなコラボ商品ありえないでしょ!という規模でやるから、最初の私の言葉にもまあ納得かなと。
でも小さい嘘は?
実はいいことがあってね…と嘘を始めてしまったら、そのいいこと、1年は本当にならないってことになる。
宝くじに当たったとか、彼氏出来たとか、そういうの。
こんな子どもっぽい迷信を、今でもずっと気にしてしまう。
だから私は、エイプリルフールにはあんまり嘘つかないようにしようと思ってて。
ほんとでも嘘でもどっちでもいいような、そんなしょうもないことだけにしような。
今年は気付いたらエイプリルフールなんて終わってたな〜と思った23:59
【エイプリルフール】
しょうもない嘘ばかりついてきました。
周りから呆れられても嘘をついてきた。切羽詰まってついた嘘も(きっと、他の人が嘘をつく数より)多かったが、今日の懺悔は昨今のSNSで散見されるエイプリルフールの様相に則って
“ふざけてついた嘘”
に限ったものとする。
幼さは言葉を嘯かせる。
言語をコントロールできるというのは恐らくその頃の私が考える以上に尊大な能力である。自分が大人だと思う間は子どもだと言われるように、内省で俯瞰できていない力は全く実になっていないのだ。しかしながら俯瞰のできないうちは今その手の中に可視化される一部を振り回すしかできないまま、その一部分のみを己だけの特権であると思い込むしかできない。
ゆえの危うさを伴うのが幼い時分である。
嫌いという単語しか知らないから、些細な争いの度にお友達と絶交を繰り返してしまう。そんな小さな摩擦を繰り返して人は言葉を獲得し、徐々に適切な言語を扱って身辺を淀み無く廻すことが可能になるのだ。いつしか単語は自分の気持ちを越え、現実を越え、創造さえも可能にする。沢山の書物を読み言語を蓄えた今、私は文字だけで数多のユーモアを生み出す側の大人になるのだ。
これが十代の私であった。
危うい。顔から火が出る。このガキ、危うすぎる。
はじめてのスマホ、はじめてのSkype、はじめてのLINE、Twitter。色んなところでふざけた嘘をついた。嘘でしかないのだが当時の私にとってはユーモア表現だった。画面越しに友達がいて、私の文字を楽しんでいてくれている。そんな思い込みの上で成り立つ会話の時間に私のテンションは右肩上がり。
一人で思い付いたおふざけを全てさらけ出した。
恥ずかしいのでほんの一部のみ書き出すが、何の注意もなく突然文字化けごっこをしたり、それをあたかも心霊現象かのように振る舞ったり、である。
これが対面なら、あり得ないことを言い出した私の挙動は「ギャグ」である。会話から漫才へ変化するグラデーションがとても淡い大阪という土地ゆえ、相手からツッコミが貰える安心感がある。最も私が日常的に中二病しぐさ満載の痛い人間であればここの認識も変わっただろうが。例えば、談笑中でも突然狐憑きになる素振りをしてしまうとか。(していなかったはず。窓を見てため息をついたり無駄な流し目や伏し目に留めたはず。)
そう、対面であればお互いに設定の嘘というものを共有できるのだ。共有せざるを得ないからだ。
ネットは違った。
相手は見えない。お互いの推量のみで話すしかない。私は暴走しまくった。
もともと会話下手なのである。一人で舞い上がるクセがある。現実では相手の存在に緊張することで会話状態のバランスを保っている。そういう人がネット弁慶になる。
暴走して、収拾がつかなくなって、呆れられていることをようやく察して恥ずかしくなり、無かったことにしてもらう。
何度も何度も繰り返して、違和感に気づいた。
思っているイメージと違うな。
やりたいユーモアと違うな。
ネットにも慣れた。大人らしき人のSNSを見るようになると、テンションの違いを肌で感じた。
このノリ、もしかしたらダサいのかも。
軽いと思っていた手の中のものが、巨大な岩石の塊になる。
文字であり、言葉であった。
嘯きの氷塊が眼前に沈んでくる。
ふざけてひょいと投げたものばかり。空気のように軽いと思っていたのに、実はこんな大きなものだったなんて。
幸いにも押し潰されることはなかった。氷塊は、周囲の人の生暖かい眼差しによってほとんど溶かされていた。しかし氷水を被ってひどく冷えた私は心底反省した。もうこんな嘘はつきません。
今日はエイプリルフールだった。
言葉の魔術師たる皆さん、楽しみましたか?
リア充の
イベント乙と
知らん顔
仕方ないでしょ
嘘見抜く人には
「フッ、意味ないっスよ」
「どうした、ガネーシャ神」
でも一緒にいるよね!(byマスター)
(FGO・ガネーシャ神:カルナ)
今日はエイプリルフールだから友達に誰も傷つかない嘘をついた。
四月一日、エイプリルフール。昔から仲の良い友達に、嘘をついてみたくなった。
ただ、誰も傷つけない嘘とはなかなか無いもので、私には全く浮かばない。結局そのままこんな時間になってしまった。
私は翌日、その子にこのことを話した。
「私って、気の利いた嘘もつけないみたい。」
その子は優しく、こう言った。
「誰かのためを思って嘘がつけない優しい君のことが大好き」
私も、そんな風に思ってくれる君が大好き。
エイプリルフールになると、やはり何か嘘をつきたくなる。
なので私は、天然で騙されやすい友達のSにちょっとした嘘をつこうと、話しかけた。
Sは今日もおっちょこちょいで、靴を置く場所を間違えたり、友達だと思って話しかけた人が違う人だったり‥‥
これはいけると思って、何か嘘をつこうと思った。
だが、Sが言った。
今日、私の誕生日なんだよね
私はびっくりした。Sって4月生まれだったのか‥?
そうかそうかと私は言い、適当に持っていた飴をあげた。
するとSはニヤリと笑って言った。
まあ、嘘なんだけどね♪
私はまんまとしてやられたと、思わず笑った。
どうやらSはこの手口で約20人の人からチョコやグミなどをもらっているらしい。
しょうもないが、こちらが考え事をしている時にいきなり誕生日だと言われると、困惑してしまうということを、Sなりにしっかり考えて行動したのだろうか。
私は人を下に見ることの愚かさを、改めて知った。
Sは飴を口に入れ、すぐに砕いた。
エイプリルフール
(本稿を下書きとして保管)
2024.4.1 藍
*エイプリルフール*
エイプリル・フールで楽しめる人たちが
羨ましい
そんな人間関係を築いてこれなかった自分が悪いんだけどさ
ツンデレな幼馴染は、いつも「嫌い」と言いながら近付いてくる。
「新人バイト嫌い」とか言いながら、ほぼ毎日バイト先にやってくるし。
「病弱とか嫌い」と言いながら僕が風邪で寝込んでいたときに真っ先に差し入れくれたし。
そんな幼馴染が、エイプリルフールの今日も「嫌い」と言ってきた。
「今日はエイプリルフールだから、嘘だったりして?」とからかってみたら
「じゃあ好き」と返された。
明日はまた嫌いと言われるのだろう。
「実はな……俺、付き合ってる人がいるんだ」
男の突然の発言に親友は目を丸くする。
「お前……一体どういうことだ。付き合ってるって相手は誰なんだ、どこの――」
よく男と共に過ごしている親友は今の状況が飲み込めずにいた。親友の顔は若干の焦りと落ち着かない様子に見える。
いつの間に。女の影などなかったはず――
「……なあ悪かった。本当にウソついただけなんだよ。」
エイプリルフールにちなんだ発言が結果として親友の機嫌を損ねてしまい、普段以上に怪訝な様子で黙り込む親友対し男は必死に謝っていた。
「残念だ……付き合ってる相手は俺ではなかったか」
「な、なんで俺達がお付き合いしなきゃならねーんだよ!」
「ウソに決まってるだろうが……」
親友のウソに取り乱す男をよそに安心したのか親友はどこか落ち着いていたのであった。
「単純に『エイプリルフールの日に、こういう真実の出来事が起こりました』ってだけでも、アリっちゃアリなんだろうな。お題なんざ多分、どうとでも解釈可能だろうから」
詰め放題、「幕の内」、ライバル店のメニュー入荷。今年のエイプリルフールは飲食店ネタが目立った気がするけど、他の業種はどうだったのかな。
某所在住物書きは某チキンとバーガーをかじりながら、ネットニュースを確認していた。
エイプリルフールも料理も、さじ加減。
バランスや分量を間違えて、「自分は好きだけど、他者と共有したら大多数に怒られた」には注意したい。
「そのさじ加減がぶっちゃけ難しいってハナシ……」
――――――
新年度だ。
またノルマに振り回される1年が巡ってきた。
近々細長い紙っ切れ1枚、しれっと机に置かれて、
末尾に書かれてる数字を、1年かけて追いかける。
ときに同僚と協力しながら。
ときに悪徳上司に客を取られながら。
で、長年そのノルマレースを一緒に二人三脚で走り続けてきた先輩が、先々月まで居たんだけど、
3月から互いに離れ離れで、お互い別々の部署なり支店なりに飛ばされちゃって、
私は何故か、チルい支店で先月から、「その先輩の旧姓を自称する謎の男」と一緒に仕事をしてる。
自称、旧姓附子山。
付烏月、ツウキっていうひとだ。
何の冗談だろうって思うけど、
4月1日以前、一緒にこの支店に来た3月最初の時点で「附子山です」って言ってるから、
エイプリルフール的ジョークでは、ないんだろう。
たとえそれが嘘だとしても。
私達あるいは「誰か」を騙すフェイクだとしても。
「付け焼き刃附子山の〜、付け焼き〜Tipsぅー」
「今日もやるの、付烏月さん」
「何度も言うけど附子山だよ後輩ちゃん。ブシヤマ」
「で?」
「『質問に答えながら目を逸らしたり、横を見たりする人は、相手を」
「それ知ってる。相手を騙してるんでしょ」
「――騙してる』とよく言われるけど、これは既に複数の研究によって、誤りであると証明されてるよ」
「マジ?!」
「情報を整理したり、考え事をしたり、疑問を処理したりするとき、横とかに視線が動くのは、専門的には『側方への共同性眼球運動』と呼ばれているよん。
何か頭の中で考え事をしてるのは確かだけど、それだけで、騙してると決めつける指標にはならないよ」
「はぁ」
そうだエイプリルフールだ。今日は4月1日だ。
「付烏月さんって、藤森先輩の旧姓の『附子山』、いっつも名乗ってるじゃん」
相変わらずのチルい我らが支店は、忙しくなくて、モンスターカスタマー様も来なくて、優しい常連さんが支店長とお茶飲んでおしゃべりするような支店。
つまり今日もヒマ。
「実はその『付烏月』も、偽名だったりするの」
エイプリルフールにちなんで、付烏月さんにちょっと疑問をぶつけてみた。
ぶっちゃけ、返事はジョークでも何でも良かった。いわば雑談、中身の無い社交辞令に似たサムシングだ。
「ん〜?」
付烏月さんは私の目を、目の奥の心の中まで見透かすようにジーっと観察して、
「んー」
私から目を逸らしたり、横を見たりなんかして、多分それこそ面白そうな「騙し」を探してるんだと思う、
最終的に、腕組んで天井見上げて、数秒。
それから、ポツリ言った。
「どっち方面のエイプリル聞きたい?
『実は俺と藤森、ここと違う世界線では同一人物だったんだ!』っていうトンデモシリアスと、
『なんと、実は俺、藤森の生き別れの兄で本当に旧姓附子山なんだ!』っていうありきたり設定と、
『嘘みたいなハナシだけど、俺と藤森は結婚してて、元々附子山姓だった俺が藤森に婿入りしたから旧姓附子山なんだ!』っていう最高火力の大嘘千万と?」
「……もちょっとフツーのやつ無い?」
「付烏月は元々、『月』を左右2分割した中に『烏』の字を入れる特殊漢字1文字で『ツウキ』と読んでて、歴史を辿ると『附子山』と接点があって、附子山家と付烏月家はお互い光と影みたいに、お殿様に仕えて悪いやつらをやっつけてたらしい」
「待ってそれ事実?エイプリルフール?」
「勿論半分嘘だよん」
「『半分』の『事実』、どっち……?!」
生まれ育った場所は都会ではなかった。3階建ての学校が一番高い建物で、平日昼間の電車は1時間に1本、朝なら3本、バスもそれくらい。本屋は2店舗。車なしにいけるのは1つ。どちらも、もうなくなった。文房具屋とおもちゃ屋は、知る限りで1軒ずつ。おもちゃ屋はもうない。総合病院はなぜか2つ。小学校が6つ。中学校が6つ。高校は市立が1つ。ということは、わたしが感じていた以上に人はいた。まあしかし、都会ではなかった。
国道は通っていた。
そうして、ショッピングセンターができた。
わたしは店主の視線を感じず品物が見て回れる広いフロアが嬉しかったし、新しくて明るくて、品物はどれも素敵に見えた。
便利だと思った。
親戚の酒屋が何でも屋のようになっていくのも、たまに遊びに行っていた友人の肉屋が閉まりがちになったのも見ていたけれど、便利になって綺麗になって、新しい商品もたくさん入ってきて、そっちのほうがよかった。
でもたぶん、すっかりつまらなくなったと思っていた人もいるだろう。生活を見直さなければならない人だってたくさんいただろう。
大きな資本が入る、ということは、そういうことだと思っていた。生活の中で嬉しい部分もある。生活が破壊される部分もある。
で、エイプリルフール。
特にオンラインで見れるエイプリルフールに乗じた広告は、視界に入るどれもが、全くつまらないか、全くつまらない上に差別的な価値観を強化してしまっているかで、ここ何年かは4/1はぐったりする。
資本が入ったのだから、様々なものが破壊されたでしょう。それで、嬉しい部分はどこにいってしまったのだろう。嬉しい部分を見つけている人もたぶんどこかにはいるのだろうけど。