『つまらないことでも』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
つまらないことでも、やらなきゃいけないこと。
「めんどくさー」
「成績落ちるよー」
「んー」
例えば、宿題とかの提出物。
(しんどい……早く終われ……)
「あと10分で休憩入っていいぞー!」
「はい!」
(あと10分……あと10分……)
お金を稼ぐためだけの、好きでもない仕事とか。
「マジあの子ありえなくない?」
「そうだね〜」
「この前もさぁ!」
内心嫌いな相手との会話とか。
何処で役に立つのか、本当に自分のためになってるのかわからなくて、もやもやすることが多い。
けれど、社会に出てみると、なんやかんや何処かで役に立つのだ。
宿題は提出物を期限内に出す練習で、その場しのぎでもお金が貯まれば生活していけるし、人間関係はあって困ることはない。
つまらないことは、生活の中に無限にある。
しかし、役に立たないことは少ないと思う。
結局、やるしかないのだ。
つまらないけれど。
頑張るしかない。
自分に言い聞かせるような、そんな手記だ。
できるなら、楽に生きたいものだな。
毎日同じ仕事の繰り返しで、
気疲れや睡眠不足の度合いだけが増えていく。
そんなつまらないことだらけ日々の中でも
私の好きなドラマや小説は、
観るたびに、読むたびに、どんでん返しを繰り返す。
つまらない毎日の中にも
面白いと思えるものに出会えれば
きっと光り輝くものがある。
仕事だって、頑張った分の給料という報酬がある。
だから私は、今日も少しだけ気を抜いて頑張ってみる
つまらないことでも
つまらないことでも考え1つでなにか変わる
同じことをやり続けてつまらないって思ったら
いったん立ち止まって深呼吸してみよう
つまらないことでも
それがゲームのイベントだと思ったら
楽しいことがこのあとあるかもしれない
今はつまらなくても
あとで考えたらつまらないと思ってたことが
楽しいかったと思えるかもしれない
#14 つまらないことでも
[つまらない原因は、過去の傷ついた自分]
つまらないときは、
自分の内面に向き合ってみる。
過去の傷ついた自分に、
共感してみる。
辛かったね。苦しかったね。
今まで守ってくれてありがとう。
これからは今の私が守るよ。
そうすると、つまらないことも
少しずつ楽しく向き合えるようになっていく。
つまらないことでも
何でもいいとは言いますけども、日記とかって。 でも見る人がいる以上、何か面白いこと書けたらって思いますよな。
何にも面白いことないですけどね、社畜なんで。心霊YouTube見るのが楽しみなオタ社畜です。クスリも飲んでます。
創作もするのでXとかMisskeyとかで内輪な楽しみもありますが、たまにいやになったり、リセットしたくなったり。
つまらないことでも「本当につまらない」と断言することは、異常に簡単で難しい。
なんというか、未知の味のガムみたいなもの。
ひと目見ただけでは取るに足らない一粒。
一向に味がしない、つまんない状態にさせるには、数十分口の中で取り組まないといけない。
かといって、
「あー、噛んでてつまらなかった」
と、ぺっと吐き出して感想を述べるのは常設展示レベルにダサい。率直に言えないのは、天邪鬼めいている。
年齢によっても見方は異なると思う。
六面ダイスのサイコロを振る、一度。
低年齢なら、嫌というほど確率の問題で出くわすから、アタマの中は散らばったサイコロで数多である。
ようやく確率の問題から逃れられた年齢に依れば、サイコロの目によらず、それは一種の比喩へと転じ、多面的な見方をするように仕向けられる。
展開図という単元があった。
特にサイコロのみの展開図を複数種覚えさせられたのは、なんとなく伏線的な香りがする。
教科書に載せられたものの多くは、子どものときには効果を発しない。明らかに遅延的で視覚的な効果だ。
見方を変えるために、とりあえず目の前のものをこねこねするのがいいらしい。
立体を崩して、物体を崩して……、物質にする。
立体的から平面的に、物事を考える必要がある。
ああいう形を作るには、まず図面を描かねばならない。
立体とは、平面的図形の寄せ集めである。
それを見えるように、次元を一つ戻して二次元にし、考え直してから、三次元へ組み立てるように。
たかがサイコロ一つ、所詮運だ。
誰が振ったかなんて関係ない。
反省なんてさらに意味ない。
と落胆せず、そういった考え方のクセを見出して、新たに再構築することが肝要である。
そんな車輪の再開発めいたことをせず、単に「つまらない」と一蹴してもいいのか。
結局「つまらない」と言いたい人は、即断即決に憧れているのだと思う。つまり、あまり考えたくない人。
あるモノを即断即決して「つまらない」と即断即決するから、急速にそれをつまらなくさせている。
まあ、即断即決が一概に悪いとはいえないけど、大概即断即決する人は、即断即決に憧れている人。
即断即決でも、理由は要ると思う。
「どうしてそれにしたの?」
「なんとなく」
僕も靴選びを即断即決しては、よく後悔している。
足は冒険したくないって、駄々をこねている。
毎回同じメーカーの、同じサイズのものしか買わなくなってしまった。
変わらないって正直、とてもつまらない。
つまらないことでも
全力でやらなくちゃ将来絶対後悔するよ。
そんな言葉をよく見るし言われる
確かにそうだと私は思うし
将来のために
つまらないことをしないといけない時があるのも分かる
でも
つまらないことに時間は割きたくないのが本音
楽しいことばっかりやっていたいし
だから
つまらないことでも楽しくできるようにしたい
《つまらないことでも》
そんな些細なことなんか、知らん顔して受け流すのが大人だよ……と諭され真に受け続けて、つまらない、でも受け流せないトゲを受け流せるふりをし続けて、結局、病む
今日も彼女と詩をうたう。夜の1時丁度に家からこっそり抜け出して、あの月がうかんでいる海の砂浜の、大きな流木に座って。
つまらないことでも、これがぼくの生きがいだった。
つまらなくたって毎日が楽しかったらいい。
もしすごくつまらなかったら、楽しいことや楽しみなことを考えればいいそれをしていればつまらなくない
つまらなそうなことでもあなた達にかかれば何でもかんでもおもしろい事に変えてしまう。
その柔軟な考え忘れてたよ。
きっとこれからもいろんなことをおもしろい事に変えてしまうんだろうね。
教えに来てくれる姿が可愛くてたまらない。
これからもその新しい発想で毎日楽しくなるといいね
お題 つまらなそうなことでも
「つまらないことでも」
ひとりでやるのは嫌。でも君とならやってあげてもいいかも
なんて普通の人なら何様だよとか、なんで自分がとか言いそうなことでも
お前はまたそうやって…
って言ってため息つきながらも一緒にやってくれようとする君とだから、嫌なこともつまらないこともやろうと思えたんだ。まあ君は驚くほど炊事や洗濯、掃除その他諸々の家事が何一つ出来ないから、ほぼ私の見張り兼話し相手みたいな感じだったけど。それでもひとりで淡々とやるより何倍もやる気になれて、どんなことでも全然嫌だと思わなかったんだ。
ねぇ、君がいることが重要なんだよ。早く帰ってきてよ。
君がいなくなってもう半年経つんだよ。家事も全部君と私2人のためだって思えたからどんなに疲れてても毎日頑張れてたのに。君が居なくなってからはてんで駄目になっちゃった。部屋は君がいた頃の面影が無いくらいには荒れているし、ご飯だって即席のものばかり。洗濯するのだって毎日じゃなくなってお風呂もシャワーで済ませる日が増えたんだ。
こんな私を見たら君はなんて思うのかな。
お前は本当に真面目だな。俺は家事ができないからいつも助けられてるよ。本当は出来るようにならないといけないのは分かってるんだけどな…お前が笑顔で任せてって言ってくれるから、ついそれに甘えてしまう。いつもありがとう。
って君が言ってくれるのが嬉しくて、私なんかより全然真面目な君が私を頼ってくれるのが誇らしくて仕方なかった。その言葉が私の原動力になってたんだ。
私の行動にいつも君が関わってたんだなんて、こんなことで知りたくなかったな。
今ならほんとの私を見せてあげられるから、帰ってきてよ。こんなにぐちゃぐちゃになっちゃった私の事見て笑っていいからさ。私一人じゃ生きていけないんだよ。君が隣にいてはじめて1人で立てるんだよ。
つまらない事が嫌いな私に君がいないと息をすることさえつまらないなんて気付かせた癖に。
つまらないことでも続けられるだろうと当たり前の顔をして言える人は自分がどれだけ優れた、素晴らしい人間かを知らない。
明日が怖いんじゃなくて人生が辛いだけ。なのに、休ませてくれない。自分達の時代を押しつけてくんじゃねぇよ。何が「私達の時代は虐めがあっても学校に行ってたわよ」だよ。それは自分が虐められてないからいけてんだろ。被害者面で語るなよ。お前らに私達の時代の何が分かんだよ。もう、時代は回ってお前らの時代じゃないのに。子供達の自分だけの人生なのに、それを、反対するのは違うだろ。
「つまらないことでも」
どんなに退屈で、やりたくなくても、やらなければ生きていけない。
誰かに付き従い、従順に日々同じ事を繰り返すだけの毎日。
それを子供達は"可笑しい"と笑う。
大人になれば思い知る事なのにお気楽なことだ。
こんな風に、何も考えずに過ごせた時に戻りたい。
(執筆中、スランプすぎる)
つまらないことでも1つ1つ、ゆっくりと丁寧に。
それが、いつか趣味となり、それが、いつか仕事になる。
学生時代に戻れるなら、そうやって自分を高めて行きたかったな。
つまらないことであっても書いてよろしいということなので?いつもつまらないことしか書いてないやんという脳内ツッコミは置いておいて、オチも取り止めもない話を書く。
歴代の散歩道に三角地があって、その角に旧型の郵便ポストがあった。草地にあってなんとも雰囲気の良いポストで好きだった。
あのポスト、なんか良いよねぇという話を夫婦でできて、結婚してよかったねと2人でしみじみしてたところまで想い出のポスト
横断歩道を渡る登校見守りPTAをしていると、この信号は何秒間青で、点滅と赤の時間は何秒間みたいなことを考えて登校の保護をするわけだけと、そうなると、「今日は勤務先まで、学校まで、ぜんぶ青信号だった!」というのがどれほどの確率なのかと考えてしまう。
都会ではもう少し制御が複雑だろうけれど、時間制御っぽいこの辺では、ススメとトマレの2択のようで時間にすると青なのは1/3くらいなのではと思ったり。
車の方は法定速度で運転するとなるべく青信号が続くように設定されていたはずだけど、歩行者にはそれはないはずで、実際にはあるはずの距離による到着時間の偏りを考えないとすると優先道路を2回、非優先道路を1回横断する我が子の登校が全部信号青なのは1/3×2/3×1/3で2/9くらいかーと思ったり。
後他人にとってはとてもつまらないであろう親バカ話もしよう。
かつて飼っていたウチの愛犬は自分の尻尾を追いかけてぐるぐる回ったあげく、雨樋に激突してた。可愛い。
伏せのポーズをするとものすごく可愛いので、眠い時の犬と飼い主のテンションの差が激しかった。
ウチの息子は美男子ではないが魅惑のほっぺたをしているのでモノを食べている時のモッモッモッというハムスター具合がもの凄く可愛い。ちなみに甥っ子も、父も、ばあちゃんもみんなとっても可愛い。
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もちろんオチはないぜ。
つまらない日々でも、つまらないことでも、
やってみることに意味があるんじゃないかな。
これを乗り越えれた者にしか湧かない感情や経験がある。
たとえ、感情や経験を理解されなくたって、
乗り越えたという事実を自分が知っている。
だから、自分は1番の理解者であれば良い。
人生、''生きてるだけで丸儲け'' と言われるし、
どんな人生でも生きてるだけで本当に素晴らしい。
つまらない物事を乗り越え、
毎日少しでも前に進むことができたのなら、
それはもう自分自身に ''大きなはなまる'' をあげるべきだ。
「つまらないことでも」
つまらないことでも 、
笑ってくれる君 。
向日葵のようなその笑顔に 、
心を奪われた 。
その笑顔は 、 俺だけのもの ____ 。
つまらないことでも
通勤の道の信号がすべて青だった時
買い物の金額がゾロ目だった時
雨予報だったのに外に出たら雨降ってない時
なぜか化粧ノリが良かった時
つまらないことでも…やっぱり嬉しい♡