『この道の先に』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
この道の先に
人生において考えたとき
先のことを想像してみるが
まだ今のことしか考えられずにいる
もしもこの道の先に迷いがあるとしても
その場その場の解答と向き合って
しっかり対応していきたいと思っている
「この道の先に」
この道の先に、何があるかは分からないけれど、僕は自分を信じて進んでいこうと思う。
娘へ 編
この道の先に
君が願う未来がありますように
君の笑い声
君の相合い傘
君が恋をして、
ケンカしたり、しなかったり
傷ついて
一人涙を流す時にも、友の支えがあるように
君もそう
このまま優しく
この道の先に…。
私編
この道の先に
今までと同じように自分で選んだ未来があるだけ
だけどどうせなら、お花畑や海や森林浴をしながら歩きたいな
そんでどうせなら、好きな人と猫に囲まれて暮らしたいし、
友達も一緒に居てほしい。
この道の先はやっぱり変わらない今の続きがあるだけだ。
キャリアの道を
捨てた。
ほんとのほんとは
その道の
入口に入ったぐらいから
もう、
多分
こっちじゃないよなー
って気がしながら
でも
福利厚生と給料は
魅力的で
イジワルもされたし
怒られまくったし
泣きながら
進んだ。
結局
途中で進めなくなって
色んな人に反対されたけれど
今の道を
選び直した。
この道だって
イバラの道かもしれない。
この道で
良かった
と思える未来が
ありますように。
#この道の先に
「 この道の先に」
この道の先に、何があるのだろう。
この道の先へ行かなかったら、私の未来は
どうなるのだろう。
このまま進む、引き返す。
それとも第三の道を探す、 誰かに助言をもらう。
今の状況が楽だから留まる。何もかも分からないから、立ち尽くし その場にうずくまる。
時は残酷にして平等。時は止まらない。
選択を否応無しに迫る。
心は進みたい、けど体は歳をとる。
自由が少なくなる。
体と心がイコールではなくなる。
後悔と老いが自分を蝕まないうちに、心と体が動く内に、 この道の先を決めよう。
ここからじゃ見えないあの先に何があるのだろう
面白いものでもあるのだろうか?
興味深いものでもあるのだろうか?
大切なものでもあるのだろうか?
言葉に表せないものでもあるのだろうか?
見てられないものでもあるのだろうか?
はたまた、見たくないものでもあるのだろうか。
ー反吐を吐きそうなほど嫌なものでもあるのだろうか?
見てみたいからこの道にしたのだろうか?
見えないからこの道にしたのだろうか?
わかりはしないが、この道の先に真実はあるのだろう。
お題「この道の先に」
僕はまだ道の途中である。
でもすでに色んな事を知っている。
母さんの手作り料理の美味しさ。
フラれた時の悲しさ。
受験に合格したときの嬉しさ。
だけど道はまだまだ続いている。
道の先にあるのは一体。
いや、今はそれよりも手元の課題を終わらせなきゃ。
この先の道に
道に迷ったら人に聞けばいい。
自分で考えて行き詰まったら助けを求めればいい。
人は一人では生きていけない。
外国で道に迷った時、たくさんの人たちに助けてもらった。
次は自分が親切にする番だ。
この道の先にある未来が
私にとっていい道でありますように
この道の先に待ち構えている未来は、
私にとって喜ばしいものだろうか。
選択一つ、違う未来。
迷う私は、心と何かがすれ違っているようだ。
心のまま、すすめ。
この道の先には神社がある。
おじいちゃんと毎日通っていた。
することは特にないが自然を感じ、参拝をするのが日課だった。
だが、先週おじいちゃんは亡くなってしまった。
老死だそうだ。
今日、僕はいつものように神社へ行く。
神社へ行くと僕を待ってるおじいちゃんが
いる気がする。
そして、
風とともにおじいちゃんの声が聞こえる。
「この神社のように明るい道を選びなさい。」
僕は自然と涙が出る。
そんな僕を花や木が慰める。
お題「この道の先に」
……全然思い浮かばない。夜も遅いし明日考える!
この道の先に何が待っているかなんて、わからない。
歩いた先には、あたたかい光と歓声の待つステージがあるのかもしれない。
もしそうならば、内に秘めた輝きを照らし出し、笑顔で溢れる夢のような時間を過ごすことができるだろう。
この道の先に何が待っているかなんて、わからない。
踏み出した先には、冷たい光と静寂の待つ法廷があるのかもしれない。
もしそうならば、隠したい真実は白日の下に晒され、恨みと悔やみに堪えきれぬ被害者の顔が夢の中でまで現れるかもしれない。
この道の先に何が待っているかなんて、わからない。
知りたいのなら、進むしかない。
3、『この道の先に』
この道の先には、なにがあるのだろうか。夢や希望など輝いている未来だろうか。それとも絶望や苦しみなど暗闇に包まれた未来だろうか。
きっとそんなのは、実際にその道を歩いた人にしか分からない。きっとこの人生も同じなのだろう。気になるのなら自分の目で見て体験をしないといけないのだ。
それがたとえ自分にとって辛いことだとしても、私たちは、進み続けなくてはいけないのだ。
そしてその先にたどり着くことが出来た者にのみ、夢や希望を見つけることができるのだろう。険しい道を進み根拠のない少しの希望を信じ、その希望や夢のために私たちは、進み続ける。きっとそれが私たちが生まれてきた理由なのではと私は考える。
だから私は進み続ける。
たとえどんなに辛いことがあろうと、私はその先にある絶景を自分の力で見てみたい。それは私の目にはどんな景色より綺麗にうつるだろう。
だから、みんな強く生きて欲しい。
ゆっくりでいい、一緒に進もう
この道の先に
私は遅刻して食パンを加えて道角でぶつかるようなことはおきない、そもそもパンを咥えて練り歩かないし、
白馬の王子様もこない、そもそも馬はあまりみたことがないし
でも雨の日にこの道の先に貴方がいるってわざと、傘一本で迎えに行くような
天邪鬼でおだやかな恋愛はしてみたいかも知れない
「この道の先に」
嫌で嫌でたまらなくて、
やっと自由になろうとしているんだ。
走って、走って、歩いて、また走って。
様々な路地を抜けて抜けて、
"この道の先に"
ずっとずっと窓から見ていた
空想とも言えるような緑の山。
それがあるのだ。
自然で空気が美味しい。
生命の音がして、
鳥のさえずり、川のせせらぎ、
幸せの音色が耳いっぱいに広がっている。
風光明媚と断言出来るような景色が____。
今目の前に広がっているのだ。
きっと"この道の先に"行くと、もっともっと
深く自然の匂いや生命の音が聞こえるのだろう。
なら、もう帰られなくてもいい。
この自然に囲まれて独り静かに死のう。
どんな死に方でも良い。
ただ、死ぬ時はこの自然に囲まれて死にたい。
どんどん進んでいこう。
色々な道を進もう。
人生と言う長い道も、もう必要はない。
今"この道の先に"行こう。
恐くはないから____。
お腹がゆるくなったからビオフェルミンを飲んだら
今度は便秘になるのどうにかしてほしいね。
ビオフェルミンの威力がすごすぎる。
朝、夜、朝、の3回でこの威力。
おなかゆるゆる通り越してかちかちだよ。かっちかちやぞ。
便秘になるくらいならお腹ゆるゆるの方が100倍まし。
100倍はさすがに言い過ぎ、リアルに1〜2倍。
夏になると便秘にならずに毎日健康的なお便り(腸活YouTubeの人がこう言ってた)が来るのに、今年はなんか全然だな〜。
自然に毎日すっきり出したいよ〜!心からの願い。
ほんとに理想なんだけど、うんこ毎日3回出したい。そんなの夢みたい。最悪2回でもいい。でも最低限1はきてくれ、頼むから。
この道の先に、
まだ会ったことの無い人達が沢山いて
その殆どが 面識すらなくて
知らない間に過ぎ去る
人との出会いは奇跡
『この道の先に』
風が囁く、この道の先に
何が待っているのか、誰も知らない
木々の影が揺れ、光が踊る
一歩ずつ進むたびに、心が高鳴る
遠くに見える山々は、手招きするように
「おいで」と、静かに語りかける
足元の小さな石ころ、柔らかな土の感触
自然の息吹を感じながら、道を進む
この道の先に、希望がある
夢が、未来が、私を待っている
躓いても、立ち上がる勇気が
私を強くしてくれる
この道の先に、未知なる世界
その扉を開けるのは、私の心
風が囁く、この道の先に
新しい自分が、待っているのだ
いつも歩いている
商店街
この道の先に
またいつもの日常があると
思ってしまう