『この場所で』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
この場所で。引っ越しや旅行なんてそうそうできるものじゃない。そういうことができるのは金持ちだけだ。
だから貧乏人は同じ場所に住み続けてその場所以外のことをろくに知らずに死ぬ。犬小屋みたいな部屋に住んで一生をそこで終える。くだらない人生だ。
とはいえ住めば都。なんだかんだ住み続けていれば部屋にも土地にも愛着がわく。ここで一生を終えるのも悪くない。そう思ってしまう。
きっと向上心がないんだろうな。でも人間って環境に適応するものだから生まれが貧乏だと上を目指す気力を持つのが難しい。
なんだかんだ言い訳をしてだらだらと生きている。苦しくてつまらない人生だけど死にたくはない。だから生きている。それだけの人生。
「この場所で」
この場所でテーマに沿った文章を書き始めてからもう3日が経ちました。
はじめは自分の文章なんて見向きもされない、透明な空気みたいなものだと思われるのだろう、そう思っていました。
ですが、私の文章をもっと読みたい!と思ってくださる方が想像以上にたくさんいらっしゃったのです。
名前も、顔も、住んでいる街のことも知らないその方々の優しさ並びにこの場所の暖かさに、私はとても、とても感謝しています。
今日も、明日も、明後日も、この場所で色んなことを書いて、そして素敵な文章や詩、物語に出会えたら。きっと毎日がもっと輝いて豊かになるのでしょう。
まだまだ新参かつ未熟者の私ですが、これからの、この場所での出会いを楽しみにしています。
これを読んでくださった皆様、ありがとうございます。そして、改めてよろしくお願いします。
場所 「場」 フィールド 地点 事象の焦点
「この場所」はたくさんある、と考える…
正直、このお題は私には難しい感じがする。
随分遠く、長い時間で何処かに行っていたような感覚の眠りから覚めて、時計を確認すると30分しか経ってない。でも甚だしい疲労感で重い頭も身体も、時間経過感覚のズレに捕まってしまうことがたびたびある。いったい「どの場所」に行っていたのだろう。ロジカル記憶に残らないなら、まあそのたぐいの「場所」なんだろう。
さて、今現在の、この現実のこの場所の私には、目下のところ「のろい」がかかっている。術式の名前は「青色申告」だ。私は申告義務者ではない。昔からやってきた作業だから、わけわかんなくて頭から湯気が上がるなどということはない。しかしタダ働きなのだ。税理士資格有る無し云々という話にもならない。身内だからだ。今年の申告を完了すれば、この「のろい」は解ける。今週末までに「解呪の魔法演算」で対抗し、後腐れ無い安心を手に入れねば。
クマさんポットにブドウ糖タブレットを詰め込んで、魔力切れ対策もバッチリだ。近年修得したスキル「鼻メガネ」の発動もスムーズだ。
地味にたたかう地力勇者。「いまここの場所」での私。
「桜の木の下に埋めてくれ」
亡くなる数日前、弱々しい声で父はそう言った。
「墓地埋葬法に抵触するよ」
可愛げも無い答えの無い答えが、宙を舞った。
アルコール依存症だった祖父とは会った事がない。父が16歳の時に他界しており、全ての写真を焼いてしまうほど、父は嫌っていた。
父が8歳の時に、10歳だった姉は近所の変質者に殺され全国的なニュースとなった。それが起因したのかは、分からないが、祖父はまともに働く事がなかった為、とても苦労したと聞いている。
そんな父は、典型的なアダルトチルドレンだった。
社交的だが、短気ですぐに人間関係を切り、定職も数年毎に変え、母には暴言、時には暴力も振るった。
挙句に借金が積み重なり、離婚。市営住宅に移り住んだ。
ろくでもない父なのに。
一生懸命 不器用ながら家族を愛そうとはしていた。
私は、母がひとり住む実家を訪れ、年老いた桜の木の枝を折り、そっと父の棺の中に入れた。
この場所で
小さい頃から引っ越しが多かった。
同じ場所に住んでいたのは、
長くても5年くらいだと思う。
今の家は、もうすぐ20年になる。
こんなに同じ場所に住んだことはない。
良いことなのだろうが、
たまに引っ越しをしたくなる。
多分、飽きちゃうんだろうな。
それに、引っ越しの時の断捨離がないので、
まあ、物が増える増える。
ああ、断捨離しなくちゃ。
…あれ。お題何だっけ?
そうだ。この場所で。
まだしばらくは暮らしそうだよ。
この場所で。
paki
この場所で
やけに埃臭い灰色のベッド
カーテンの隙間から差す光が
空っぽを充満する部屋に
輝きを求めていた
天井は妙に近く感じられ
手を伸ばせば届きそうで
空の彼方まで
きっと冒険できた
使い古したヒーターは
ずっと首を振り続けていて
モノクロしか移さない液晶は
ノイズすら叫ばせて貰えなくて
すぐに手の届く過去のスマホは
アラームのみを知らせた
ここに僕は いつも1人
いつかまた、この場所で。
あなたと会える日が来たら。
春めく景色の中、はしゃぐ君を見て、笑える日が来たら。
どうかその時は_____
私の名前を、また呼んでくれますか。
この場所で
この場所で私はスタートするんだと決めて、どれほど時が経っただろうか。
未だスタートなどできずに縮こまっている私。
さぁ、いつスタートするのだろうか、
この場所で大切な想い出ばかりが溢れてゆく。
まだ私は始まっていないのに。
いつかは捨てないと、始まれないのだろうか、
そんな悲しいこと、したくないなぁ、
そんな、不安なことしたくないなぁ、
じゃぁ、その想い出達を私の中の棚に、大切に飾っておこうかな、
そしたら、ふと思い出して、泣いたり笑ったりするのかな。
この私の中にある場所で、これから先もきっと輝いている、
汚さないように大切にしながら、愛しながら、そうできるようにもっと成長しなきゃね。
この場所での想い出を。
家族に会うことも、逃げることも、夢を見ることさえ叶わない。ただ生き、遊ばれ、散っていく。ひとり、またひとり。金と色が交差する、欲に塗れた、この場所で。
この場所で
人生において必ず目標がなくてはダメですか?
頑張るときはちゃんと頑張るけど、あまり無理はせず、ただただ心穏やかに日々を過ごせればそれでいい…なんて思ってはいけませんか?
向上心がないとか、人間としての成長や、魂の成長がないなんて言われてしまうかもしれないけれど、
今の私はこの場所でそうありたいと思ってしまうんです
この場所で幸せというものを知った。
幸せが何であるかは、一つの諦めを要する。
それは、必要ないものを知ることだ。
知って捨てる。
それから、必要なものさえ、必ず失ってしまうことの諦め。
人は得ることよりも、失うことで大切さを知る。
悲しみの果てに見つけた、幸福より。
この場所で、何があったのか?
車と人が通り過ぎる喧騒の道
そのガードレールに手向けられた
花。一瞥していつものように通り過ぎ
日常を生きる自分。
もし自分なら、家族なら、
どう生きていけるだろう。
今日も何処かでけたたましく緊急車両
の音。
当人でなければ、日常茶飯事…
と思っている。
『この場所で』
遠くへ行ったあの人は、いつでも私を見守ってくれている気がする。そう思うと、私はどんなに高い壁が目の前に現れても乗り越えられる気持ちになる。
私は今もあなたが好きだったこの場所で生きています。
生きていきます。
______やまとゆう
この場所で
この場所、入るべからず
この場所、近寄るべからず
この場所で、人は死ぬることを望む
この場所、見るべからず
覚えている
あの日、開け放たれたベランダから見た景色を、風に膨らむカーテンを
落ち行く貴女の姿を
落ちた後、洗濯籠には干し切れていない洗濯物がまだ入っていたことを
この場所で俺は貴女と同じ景色を見ている
一人暮らしをするようになって、初めて貴女の気持ちが分かった
ベランダから見る街の景色はとても汚かった
今になって貴女を許せる気がする
あの日、綺麗な姿でこんなに汚い場所に落ちていった貴女
逃げたつもりで、逃げた先で見世物になった
開け放たれたベランダの前で座り込む子供は、身勝手な怒りを持っていたけど、捨てられたと、役目を放棄して逃げたと思ったけど
今でも持っている あの日の新聞の切り抜きを
『母親 ベランダから飛び降りか』
この場所で生きていく先行き不安しかないけれどそれでもだましだまし生きていく多少の楽しいことがそこにあると信じて面白いことを探して。たぶん楽しもうとすれば楽しいものがあるのかもしれないから。これから先の未来は自分にとって辛いことばかりだろうと何処かで諦めが囁いているけれど。どこかのスピリチュアルなサイトで人は生まれる前にすべての運命を決めてやってくると書いてあった、あなたが選ばなかった道は他の誰かが選ぶのだそうだ。じゃあ自分よりつらそうな人はきっと変わってくれたのだろう、ありがたいことだ。楽しそうな人は自分が変わってあげたのだろう、やるじゃん自分。そんな多少の欺瞞と現実逃避で自己否定をそっと心の中で慰めて。ずいぶんハードモードを選んだんだろう。仕方がないさ。どのみちあの世に持っていけるのものなんてなんにもないんだから。
この場所で出会ったのを覚えていますか?
丘の上にある桜の木。桜が咲きほこる季節、あなたと出会った。
そして、そこで死にゆく彼女は桜のように綺麗だ。
そして僕は、警察に捕まったのだ。
この場所で出会ったのを覚えていますか?
丘の上にある桜の木。桜が咲きほこる季節、あなたと出会った。
そして、そこで死にゆく彼女は桜のように綺麗だ。
そして僕は、警察に捕まったのだ。
この場所で
ツーンと変な音を鳴らした
ギコギコって変な音がした
何もかもがつまらないなぁ苺ジャム
皮、いちご、目玉、ねぇ生きてよ
速水もこみち って、名前の方はこれはひらがな表記のまま本名で、命名した彼の父親によれば「真っ直ぐな道」という意味らしい。「もこ」は真っ直ぐという意味の外国語だと言ってるらしいのだが、どこの外国語なのかが分からないとか。(wikipedia)
これが何語なのかを検証しているサイトもあって、でも該当する言語がないらしい。
しかし、語感からは「真っ向」の方がぴったりしているし、地名の「真岡」もmaokaがエリズィオンして<moːka>なので、これなんじゃないの、「みち」の方は日本語なんだし。
それに不明な外国語+日本語の「道」で全部ひらがなにするのって、おそらく子供が学校で揶揄されるのに敢えて命名したその意気込みが曖昧模糊。