『いつまでも捨てられないもの』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
「いつまでも捨てられないもの」って、これは捨てようと思ったことがある、捨てるか捨てんか審議にかけた事があるけど捨てられないもののことですよね。だとしたら今は思い浮かばないかなぁ。
私は定期的に「断捨離じゃあぁぁ!」と、断捨離祭りを開催しているのです。だからといって、ミニマリストのようなキレイでスッキリとしたお部屋に住んでいる訳ではありません。いつも雑然とした部屋からお送りしております。
その断捨離も明らかな不用品やゴミを捨てるといった段階は過ぎ、今は思い出やら思い入れやしがらみと向かい合って、捨てるか捨てんか審議をしている最中です。
思い出と冠するものは捨て難い。
でも回を重ねるごとに、前回は生き延びたというかすり抜けたものたちでも「...もうええか」と思うことがあります。
思い出も朽ちるんですよ。
そして、朽ちた思い出は捨てても平気なんですよ。
なので私は結構、思い出も捨てました。
今残っているものは、何かしら意味があるんですよ、多分。
とりあえず捨てられないものはないとしても、捨てないものならあります。
以前にも書きましたが、子どもの頃、犬を飼っていたんですね。
ある日、床に一本のヒゲが落ちていたんです。「え?ヒゲ?」と思いつつもそのヒゲを拾って適当にアルミホイルに包んで財布に入れたんですが、そのヒゲ、今も財布に入ってます。当然、何回か財布を買い替えてはいますが、その度にヒゲも入れ替えてきたのです。
猫のヒゲは縁起が良いと聞いた事があったような気もしますが、犬はどうなんでしょうね。
でも、縁起物だとか魔除けとかお守りとかじ
ゃなくてもいいんです。飼っていた犬のヒゲ
だから持っていたいんです。
だからこれは、捨てられないじゃなくて捨てないもの、絶対に捨てないもの。
なので私が死んだ時に棺桶に入れてもらえるとありがたい。
(こういう事って、エンディングノートに書いておくべきなんですよね?とりあえず臓器提供の意思表示カードにでも書いておくといいかも?)
12. いつまでも捨てられないもの
捨てる捨てないの基準は難しい。
過去一年間使わなかったものは捨てると決めたとする。それでもやはり捨てたくないものがゴミの山に見えていたものからちょくちょく顔を出す。
ここで例外を与えるとルールを作った意味がなくなる。しかしここで捨てたらこれを見て想起する人や風景ごと捨ててしまう気がする。思い出すことがなくなってしまうのが怖い。
これを見る機会は二、三年の周期程しかないのだから捨てても同じだという声が聞こえる。すると今度はたったそれだけでも定期的に思い出してきたのは事実だと言う反論が聞こえる。
書いていて気づいたが、まるで人生の一部を失うみたいな気持ちになってしまうのだろう。今までのことを(悪い記憶は除いても)なるだけ覚えておきたいという傲慢が根底にある。
もう一人は訴える。覚えていて何になるのかと。今実際何かになっているのか。その確かめようがないから困ってしまう。それは自分を形作ることに参加しているような気もするが、無くなったとして自分が崩壊するとも感じられない。
単に「これからこちらを失いますよ」とわざわざ注目するから惜しく思えるだけなのかもしれない。知らない内に捨てられていたとして、気付ける自信はないが気付いたら寂しくなる都合の良さは不相変なのだ。
物を手放すときが来るとしたら、恐怖や傲慢、都合が良いだけの自分自身の問題とケリをつけたときになりそうだ。皆さんはどう乗り越えているのだろう。気になるが、結局自分で辿り着かないと納得できない性分だ。全く面倒臭いな。
テーマ「いつまでも捨てられないもの」
君から貰ったアクセサリー
ずっと捨てられずにいたけど
何よりもこもっていたのは
君からのキスだった
眠れない夜に…
いつもは悪いことばかり考えるのだけど
今夜は幸せなことを考えていた。
今、私が持ってる幸せ
今、私が感じられる幸せを
虚ろ虚ろに指折り数えてみる。
こうやって文字を書いていることとか
今日食べて美味しかったもの
思いがけなく笑ったエピソード
明日食べる予定のご褒美おかし
失敗する前に分かって良かった気づきとか…
想像しているよりも結構、むしろ沢山あった。
それでも
満足しない感じがあるのは
きっとほんとうの幸せを遠くに感じているからだと思う。
日本語は、ときに美しすぎて尊すぎて
「愛している」
を簡単に言えないように、
幸せも
大抵の日本人には
大きくて歯がゆく感じさせるシロモノなのかもしれない。
幸せは
感じるものではなく
こびりついて剥がれなくて、見えなくなっているもの
だとしたら?
いつまでも捨てられないものって
実は 幸せ
そのものなのかもしれない。
カバンを集めるのが趣味だ。どこにも出かけないくせに、ポーチやらトートバッグやらが溜まっていく。
なにかイベントごとがあったりすると、バッグのなかに関連するものを詰める。例えば、映画なら、公式トートバッグを買って、その中にパンフレットとかグッズのアクキーとかを。そしてその一式をそのまま部屋の隅に放り投げて、放置する。そうやって出来たカバンの山の一角が、部屋の少なくない面積を占有している。
片付けることにした。
カバン一つを手に取り、中身を確認する。これは何年か前に行った展示会だな。ポストカードが4枚、シールシートが2枚、クリアファイルが1枚、会場で回したガシャポンが2個。
カバンかけにかけ直す。中身はそのままだ。
次のカバン。知り合いのコンサートに、付き合いで行ったやつか。グシャグシャになった演目リスト、お手製の入場チケット、彼女からお礼にともらった、ちょっとした小物類の詰め合わせ。賞味期限のあるコーヒー豆だけ取り出してある。
これもカバンかけへ。
お次は? おや、これまた随分と古いものが出てきた。大学生の頃、ガチ恋した相手との縁結びを願って、有名な神社にお参りしたときのものだ。出てきたのはおみくじ、それと扇形のペアのお守り。金属製の扇に「えんむすび」と書いてある。これの片方を想い人に渡して、恋愛成就を願うのだそうだ。「えんむすび」と書いてあるお守りを渡す勇気などなく、結局その人とはなんにもならなかった。お守りを袋に戻す。なんとなくおみくじを広げる。大吉。今となってはなんの感情もない。綺麗に畳んで、カバンに戻す。カバンは、カバンかけへ。
それから、次は……
使わないカバンなんか中身ごと捨ててしまえばいいのに、夫にはからかい混じりでそのように言われる。
知ってるんだ、夫は単に、自分の趣味のプラモを飾る場所を確保したくて、私のカバンスペースを狙っているのだということを。
いつまでも捨てられないもの、それは、やっと手に入れた、愛する人との平和な暮らし。一生、捨てるつもりはない。
(お題:いつまでも捨てられないもの)
8月18日 お題:いつまでも捨てられないもの
私は物に執着しない
使わないものはサッサと捨てる
使うかもしれないものも捨てる
でも物欲はある
結果出費が増える
そんな私だからか
物では無いものは捨てられない
記憶、匂い、仕草
あなたはいつになったら
捨てられるのか
たまには単純に想いを伝えてみようと思うのです。
貴方への憧憬と愛情。
どうしようね。
貴方が居亡くなったって、こればっかりは捨てられないのだろうね。
いついつまでも永遠に、私は貴方への感情の一片だって捨てられないのだろうね。
-いつまでも捨てられないもの-
私にとってそれは 嫌な自分 かもしれない。
心の中でのことだけれど
すぐに他人を羨んで、それを紛らわせるために相手を貶して、悪いことを思ってしまう。
いつもそうなってしまう自分が嫌で、もっと違う自分になりたいと思うけれど、今の自分は捨てれずにどんどんと悪い人間になっているような気がする。
でも実際、人間ってそういう生き物なのかもしれない。
綺麗なまま生きてはいけないのかもしれない。
いつまでも捨てられないもの
引越しの前日に貰った綺麗な石。
お揃いで買ったブレスレット。
レジンで作ったらしいキーホルダー。
使うことも無くしまわれている思い出たち。
それに価値なんてなくても、誰も覚えてなくても。
捨てたくないし、捨てられないかもな。
「夢」と「繋がり」
どちらかと言ったら、捨てたくないものに近いのかも
【いつまでも捨てられないもの】
甘い言葉に惑わされ、ガラクタばかり集めさせられて。
本当に貴重なもの、必要なものほど、捨てさせられる。
後生大事に持っていれば嘲笑の的よ、我先にと簡単に捨てていく。
気付け目覚めろ、と嘯く奴等に急かされて脅かされて口車に踊らされて。
身ぐるみ剥がされ回されて、用が済めば廃棄される。
いらないものばかり与えられる、押し付けていく。
欲しいものなど一切与えられず、なんの役にも立たないガラクタが積み上げられていく子供部屋。
もう、何もかも面倒くさい。
テーマ「いつまでも捨てられないもの」
2024/08/18
久しぶりー!!!!!!あ、そうだ!私旅行に行ったんだよ!楽しかったな〜
3日前ぐらいに行ったのかな?
めちゃくちゃ楽しかった、1日目は遊園地で、2日目は橋を観光して、三日目はなんか昔?を体験した、とても楽しかった、もう少しで夏休み終わる、現実逃避できぬ
悔しい😭
今日はここまで、さよなら〜
「いつまでも捨てられないもの」
そんなの何個でもあるし、人それぞれ。
命、感情、身体、家族、友達、いろんな大切がある。
だからこそ、人生は楽しい。
「いつまでも捨てられないもの」
いつか あなたが
私を好きだと言ってくれるかもしれない
という期待
**「道化の心」**
古びたサーカスのテントが静かにたたまれる夜、道化師のミロは一人、空っぽの舞台に立っていた。彼の仮面はいつも通りに明るい笑顔を作っていたが、その下に隠された心は、もう長い間静かに泣いていた。
ミロはサーカスの顔として、観客に笑いを届けるために自分を犠牲にしてきた。彼の身振り、言葉、ジョークは全て、他人を楽しませるために作られていた。しかし、仮面を外すことは決してできず、その内側に隠された感情や過去の記憶は、誰にも見せることができなかった。
その夜、ミロは静かに鏡を見つめた。仮面を外してみると、そこには疲れた目を持つ中年の男が映っていた。彼の心には、忘れられない過去の痛みや、夢の欠片が残っていた。かつての希望や失望が、彼を支え、時には苦しめていた。
「笑ってやるさ、世界がどうあろうと。」
ミロは小さく呟きながら、再び仮面を装着した。仮面の下には、捨てられない感情と記憶が、静かに残っていた。それでも、舞台に立つときには、誰もその本当の自分を知ることはない。彼は笑顔を作り、観客を楽しませるために踊り続ける。
サーカスの灯りが消え、夜が深まると、ミロは一人、仮面をつけたまま外に出た。星空の下で、彼の心の奥には捨てられないものが残っていた。それは、彼が道化として生きる限り、ずっと付きまとい続けるものだった。
しかし、ミロは知っていた。その捨てられないものが、自分を人間らしくさせることも、彼の役割を全うする力にもなることを。暗闇の中で、彼はまた笑顔を浮かべる。道化の心に抱かれたその感情は、静かに彼の一部として存在し続けるのだった。
2025年-8月-18日-日曜日
【いつまでも捨てられないもの】
自分の子供の頃の思い出。これは要らないもの。捨てていいものだ。だか、自分の子供の思い出。自分の子供の子供の頃の思い出など、これらは捨てては行けないものに値する。捨ててはいいが、"いつまでも捨てられないもの"は誰にでもあると思う。今すぐにでも思いつけなくても、きっといつかはとある場面で思い出すことだろう。そうなる事を私は願っている。
いつまでも捨てられないもの
物は捨てたら無くなるけど
嫌な記憶と気持ちはなかなか
私の中から捨てることが出来ない
この記憶と、この気持ちを
捨てることが出来たなら
どれだけ楽になるんだろうと思う
けど、それもひっくるめて私
嬉しくて、楽しい記憶も気持ちも
いっぱいあるから
まぁいっか
2024年も8月18日になっちゃったね〜
今日は初めてのお題だよ
捨てられないものか…
みやびは人から貰った物かな
好きな人 友達 家族
それは問わずに、全部綺麗に保管してある
その一つ一つが大切な物になるからね。
「そんなこと言ってたらいつまでも捨てられないもの」
そう言ってお母さんは写真をゴミ袋の中に置いた。
捨てたのではなく置いたように見えたのが、唯一お母さんを人間だと思える事象だった。
捨てられた写真には僕と、お母さんと、お父さんが居た。
お父さんが死んで10年、写真を捨ててお母さんは
「やっと前に進める」と言った。
やはり人間ではなかったと思った。
お母さんなら、お父さんの写真はずっと飾っておくものではないのか。前に進むためとはいえ、写真を全て捨てるのは冷たすぎやしないかと言いたかった。言わなかった。
ここで何も言わない冷たさはお母さんに似たのだろうか。
これからもお母さんの中にお父さんはいるのだろうか。
そんなことを考えながら僕はテレビをつけた。
人は生きていく中で長く持ち続けている物って少ないと思う。
私は物持ちはいい方だと言えるけれど、大掃除の時はしっかり吟味して整理整頓する。
そんな中でまだ捨てられない物、それはシルバニアファミリーの人形たちとお家たち。
少しずつ少しずつ集めては小さい小道具を無くし、その度悲しんだシルバニア。
友達が居なくてずっと私の友達でいてくれていたシルバニア。
お人形さん遊びは少し恥ずかしくて出来ないが、物語を持たせて配置を決めたりするのはいいと思う。
今度は、大人の遊び方でシルバニアファミリーを遊ぶとしようかな。