『いつまでも捨てられないもの』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
いつまでも捨てられないもの
忘れたくない思い出
あの人にもらったもの
うれしかったこと
→いつまで続けるのか。
言い得て雑だと知りながらも作り続ける文章に、
止まぬ表現欲求の影
なけなしの才能を探して書き殴り、
意地の果に自己嫌悪
何度も夢を破り捨て
何度も拾い集める
何度も、
何度も、
何度も……
テーマ; いつまでも捨てられないもの
愛はこころの中にあり続ける
それがどんなに苦しくても
涙が出て寂しくて辛くても
愛とはこういうものだと受け入れなければならない
ずっと捨てられないものである
あなたにとっていつまでも捨てられないものは?
その質問に、それぞれが答える。
『ぬいぐるみ!』
『形見の指輪。』
『大切にしている本』
あなたは?
私?そうね…私は…
未だに叶うことの無いものを抱えてるわ。
『片思い』をね。
「 いつまでも捨てられないもの 」
貴方から貰ったもの。
別れた今でも捨ててないよ。
2024 . 8/18
私がいつまでも捨てられないものは、以前ゲームセンターにあったアイカツのゲームで使用するためのカードです。(通称:アイカツカード)
既にそのアイカツカードに対応するゲーム機はゲームセンターから撤去されており、カードの使い道は存在しません。しかしカードの質感やデザインが大好きなのはもちろん、何年も遊んできた思い出や今でも観ることの出来るアニメなどを見返してみると、どうにも手放すことが出来ないのです。
恐らく一番の理由は、忘れていた頃に部屋から出てきたアイカツカードを眺め、その思い出と未だに燻られる子供心に胸が踊るからだと思います。いつになっても、いくつになっても、アイカツは女の子の憧れだな、と感じさせられました。
お題:いつまでも捨てられないもの
いつまでも 捨てられないものは私にとって、うささんのぬいぐるみ(うさリカちゃん)と思い出と家族だ。
2歳で出会ったうささんは、私の家族のようなものだし、お母さんがドレスを縫ってくれたのも思い出。
思い出はかなり覚えている方で、私の人生最古の記憶は2歳。卵焼きをお母さんと一緒に作ったり、あっちゃんにおまんまをあげたり、あっちゃんが乗っている歩行器をおしたりしていた🤭
家族とこのまま一生永遠に楽しく過ごせたらいいのに、、と思ってしまう。年取るの嫌だな、小さい頃に戻りたいな、親に死んでほしくない、ずっと家族元気でいてほしいな、と思う。
2024/08/18/(金)/晴れ
いつまでも捨てられないもの
昔のトラウマです。前を向いて歩いていこうと決めて歩み始めた足を気が付くと止めて下を向いている事ばかり
人前に立てば、かつて私に向いていた悪意ある声が脳内再生されていつの間にか人に期待する事をやめていた。
相手を理解して、こちらが全部折れて、自然とわたしを好いてくれる簡易的な友達は沢山できたけれど、悩み事は誰にも言わず自己解決するようになった。
この足枷を捨てられる日が来たら、私のことを見てくれる人が、なんて、私は高望みをしすぎなのかな。
「幼馴染で親友で」
どんなに仲が良くても、これ以上は入り込めない。
どんなにお互い知り尽くしていても、これだけは知られてはいけない。
男女の友情は成立すると信じている貴方。
私は何年も前から、貴方を異性として見ている。
貴方が私のことを、そういう目で見ていないことは、わかっているのに。
フラれることよりも、幼馴染として、親友として側にいることを選んだのは、どんなことをしても貴方の隣を譲りたくないから。
どんなに知りたくても、聞かないことがある。
どんなに知ってほしくても、言わないことがある。
実は、私たちの友情は成立していない。
貴方がそれに気付いていないのをいいことに、私は嘘をつき続けている。
どうか貴方はそのままでいて。
いつか、貴方が私以外の誰かの手を取るまで。
いつか、私が今の関係に耐えられなくなるまで。
────いつまでも捨てられないもの
いつまでも捨てられないもの
小さい頃、母に買ってもらった
ハートの形をしたネックレス。
20歳になった今でも、空き箱で作った
"たからものいれ"に入っているよ。
他は色々整理しちゃったけれど
このネックレスだけは唯一手元にある。
成長した私も、プリンセスになれる気がして。
いつまでも捨てられないもの
私の捨てられないもの。
元カレとの写真。
楽しかった日々を思い出すと、
何度もゴミ箱へ運ぶけれど、
押せない。削除のボタンが。
私の捨てられないもの。
彼に貰ったプレゼントたち。
にこにこしながら楽しそうに笑って
プレゼントをくれた彼。
捨てたいのに捨てられない。
あの笑顔を思い出してしまうから。
私の捨てられないもの。
彼への恋心。
彼にはもう、あたらしい彼女がいるのにね。
『いつまでも捨てられないもの』
いつまでも捨てられないもの。それはきっと、思い出が詰まったものだろう。意を決して、それを持って、ごみ袋に入れようとする。そうすると、そのものに関する思い出が、チラチラと頭の上を舞う。それで、『これは取っておこうかな』と考えて、元の場所に置いてしまう。
私は些細なものにすら思い出を感じて、捨てるのに躊躇してしまう。本当に、短くなって使えなくなった1本の鉛筆すら、未だに捨てられない。友人と旅行に行った時のおみくじの結果なんて、もっと捨てられない。もう意味なんてないはずなのに。それすら捨てられない私はきっと、文字通り本当に何も捨てられないのだろう。
人はものを捨てるのに躊躇する。私は、それは人が『忘れる』という能力を持っているからだと思う。『思い出す』という行為は、頭の中にある『思い出』の棚から、探したいものを探す行為だ。そして、人が捨てられない『もの』というのは、そのあまりに巨大な棚から、たった一つの思い出したい事柄を見つけるための手がかり__鍵なのだ。自ら鍵を捨てようなんて考える人はいない。
なら、逆に捨てられるものもあるが、それは一体何なのだ、ということになる。進んで捨てるもの__ごみに関する思い出はあるだろうか。例えば、これは私の個人的な経験になってしまうのだが、中学校の頃の友人と、夏休みにバーベキューをしたことがある。盛り上がって、暗くなって片付けを済まして、解散の流れになった。皆は参加費も払わずに帰っていき、私と数人の友人は、人気がなくなったバーベキュー場で、油でベトベトになったり、割り箸が突き出たりしたゴミ箱を持って自転車に乗った。ひとつもいい気分じゃなかったけれど、ふざけんな、と思いながら乗った自転車の風は爽やかだった。でも、もちろんそれは捨てた。いくら思い出だったとしても、ごみを残していたってどうしようもない。臭くなってくるだろうし、場所をとるだけだ。こんな汚くなったごみで、私にできることはない。じゃあ、その使っていない短い鉛筆は? 使っていないならごみじゃないの? これは、これはごみじゃない。小学生の時にずっと使っていた鉛筆なんだ。昔からずっと取って置いてるんだ。それに、まだ使える。
まだ使える?
そう言っておきながら、一度も使っていない。削ることもなければ、取り出すこともない。ここ数年、その鉛筆の姿すら見ていない。ただ、そこにあるということだけは知っている。当時、一生懸命に『大吉』『中吉』『小吉』と書き込んだ鉛筆がそこにあることくらい、覚えている。机の上でその鉛筆を転がしたことも。
一体何なのだろう、捨てるという行為は。お洒落な言い方をするならば、『思い出の継承』ということになるだろうか。使い古された自分の思い出を捨て、リサイクルして新しいものに生まれ変わって、顔も名前も、何も知らない誰かの元にそれが届いて、それがその人にとっての思い出になったとしたのなら、思い出は皆と繋がっているということにはならないだろうか。なんだか素敵な話に思える。けれど、自分は、もう少し長く、もう少しだけでいいから、その思い出に浸らせてほしいと願うのだ。あくまで、思い出は継承されていくものだが、共有されるものではないということだ。自分が持っている思い出は自分しか持てないのだ。それなら、余計大切にしたいと思う。
結局、ずっと捨てられないものなんて言うのは、自分の思い出の鍵であり、まだ使えると言い聞かせたものであり、それでも自分にとって害になるものなら、躊躇もなく捨てるということだ。ただ単純に、『捨てたくない』__『思い出の品』と思ったものは残しておきたいという、わがままな人間の欲望、ということなのだろう。
きっと人は、『忘れる』という能力を持っておきながら、『忘れたくない』と感じている。それを捨てれば、その棚は一生開かない。それが怖いのだ。それが嫌なのだ。だから、ものを捨てたくないと思うのだ。どれだけ部屋が散らかっても、それはすなわち、思い出の宝庫ということになるのだから。
ぬいぐるみって捨てられない。
親がたまに、部屋のクローゼットに沢山収納されているぬいぐるみに対して「捨てちゃいなよ」って言い放つことがある。
私はそれに「怖いから捨てれない」って咄嗟に返しちゃうんだけど、本当は怖いなんて思い微塵もない。
ただ沢山の思い出を手放したくないだけなの。
『いつまでも捨てられないもの』
「いつまでも捨てられないもの」
私には捨てられないものがない。
私は生まれてこの方、何度も引っ越しをして、捨てたくないものも、やむなく捨てることになっていた。
これから先、捨てられないものが、できるだろうか。
心にあるものだけは、捨てないようにしよう。
一人だけになって今、私に残ってる数少ないもの を抱えて、この先を歩いて行こう。
『当たり前と常識』
例えば、目の前で友人が手首を切り始めても
例えば、オーバードーズして粒を噛み砕く音
例えば、交通事故や病気で植物人間になった人生
例えば、DVだと気づいても止められなかった隣人
例えば、見えない者が見える同志に出会う確率
例えば、朝と夜が逆転したのにやり過ごす毎日
例えば、飯の準備がされていて、寝る場所があって
例えば、キリのない可能性をあげている奴とか…
…◯してやろーか?お望み通り。とか思っちゃう人
あとがき
その生物、それぞれの当たり前や常識を
数十年しか生きていない私たちがとやかく
言うのはおこがましいと心の片隅に置いていたり
いなかったり?
近い話でいうと男性は短髪!みたいな当たり前も
ここ数百年の話ではないかと…
いつまでも捨てられないもの
君からもらった懐中時計は随分と古びた。
メッキがはげ、緩くなった蓋、巻けなくなったネジ。
懐中時計としての役割はとうのとうに果たせなくなった。
ネジが巻けなくなったのは3年前。
それでも、君から貰ったというだけで
この時計はお守りにもなる。
隣に君がいなくとも、君が僕にくれたという事実を
この時計は教えてくれる。
未練がましい奴だ。
いつまでも引きずってる奴だと思われても構わない。
優しく懐中時計を胸に抱きしめる。
鼓動も伝わらないひんやりとした感覚は
冷たい現実を突きつけるかのようだった。
語り部シルヴァ
いつまでも捨てられないもの。
心に残っているもの。
目には見えないけど、ちゃんとあるもの。
人間関係の苦しみは、承認欲求が満たされないことや、被愛欲求、すなわち愛されたいという欲求がみたされないことに由来する、なので、そんな苦しみから逃れるためにそうした欲求から自由になることを目指してみたり、そもそもそうした欲求は無くすことのできない欲求なとであるから、どうすればそうした欲求を満たすことができるかを考えるべきではないかと考えて、「愛されたいと望むなら、他人を愛することを学ばなければならない」などとノートに書き込んでてみたりした学生時代。
そして、所謂社会人となり、苦しみとは思うようにならないことの謂なのであり、世の中や社会とは自分では如何ともし難い他者たちといるところなのであるから、まさに一切皆苦で、思うようにならないことはデフォルトとして生きていくべきだ、社会とは、思うようにならない場所のことなのだ、などと達観したふりをする。
結婚して子供ができたり、職場の中で、いつのまにか自分が一番上の立場に立っていて、外から見たら、褒められたいとか、愛されたいといった思春期的な感情などとっくに卒業してるようにみえるだろうし、そうあるべきだろうとは思うのだが、14歳頃に考えていたようなことを未だ続けている自分に愕然とする。
私のような人間は、マザーテレサの次のような言葉を日々呟き、噛み締めるべきなのだろう。
イエスよ、私をお救いください
愛されたいという欲望から
ほめられたいという欲望から
名誉を得たいという欲望から
称賛されたいという欲望から
人よりも好かれたいという欲望から
相談されたいという欲望から
よく思われたいという欲望から
人気を得たいという欲望から
屈辱を受けるという恐れから
軽蔑されるという恐れから
非難されるという恐れから
中傷されるという恐れから
忘れ去られるという恐れから
ひどい扱いを受けるという恐れから
嘲笑されるという恐れから
疑われるという恐れから
Deliver me, O Jesus,
From the desire of being loved,
From the desire of being extolled,
From the desire of being honored,
From the desire of being praised,
From the desire of being preferred,
From the desire of being consulted,
From the desire of being approved,
From the desire of being popular,
From the fear of being humiliated,
From the fear of being despised,
From the fear of suffering rebukes,
From the fear of being calumniated,
From the fear of being forgotten,
From the fear of being wronged,
From the fear of being ridiculed,
From the fear of being suspected.
いつまでも捨てられないもの。
それはやはり、親友とのやりとりの手紙だな。小学生の時の親友からもらったフェルトの枝豆🫛。
あとは年賀状。かなりの年数分。
そして、病院のレシートを貼っているスクラップブック。年季が立ち過ぎなのに。
で、1番たちの悪いのが、痩せてる時の服。
痩せたら着る!これ、なかなかの歴史を刻んでます。トホホのホ。笑
いつまでも捨てられない物。
子供の頃、幼稚園や小学生の時、
将来の夢を聞かれた。
ヒーローになりたかったり、
スポーツ選手だったり、
皆夢があった。
僕は小学生の時、友達が欲しかったから
一番人気のある子を見ていた。
その子は器用で、特に絵を描くのが上手かった。
だから僕も絵を描きだしたんだ、
やがてそれは夢になった。
皆から認められ、
皆と友達になる為に。
29歳の夏。
僕はまた出版社に持ち込みをした。
ズタボロに言われ、悔しくて泣きそうになった。
年齢的にラストにしようと書き上げた作品は、
自分の中では最高傑作だったが、
3ページも読んだら結末まで見えるぐらいに
ありきたりだと酷評された。
成る程、いやしかし、王道とは
そう言うことでは?
そう言い返すと、溜息を吐かれ、
だから無駄に歳とったヤツはダメだと
怒られた。
前回。
斬新な作品を持ち込んだ時は、
意味不明だ何だと怒られ、
いい歳なんだし才能無いんだから
もっと王道の作品を、と言われたのに。
僕にどうしろって言うんだ。
家に帰り、
コンビニで買ってきたビールを煽る。
やめちまおうか。
何度も考えた。
来年には30歳。
今更何が出来るのか。
僕の人生にはもう、王道なんてないのに、
夢にしがみつかないで生きていける程
聞き分けが良いなら最初から夢なんて見ないさ。
今更捨てられないんだ。
明日からまた新しい作品を描こう。
次が最後。
次が最後。
次が最後。
次が。
次が。
次。
次。
。
遅咲きの漫画家は、そんなに多くないだろう。
其処に行くまでに諦めてしまうからだ。
しかし、それも正しい人生。
どうしても捨てられない物を
捨てられた事は、勇気ある行動だ。
それでも、諦めずしがみつく事でしか
手に入らない物がある、いやあった。
僕は漫画家だ。
WEBでの掲載になるが
世間では先生と呼ばれる。
だけどまだ、僕は夢の途中だ。
捨てられない物を宝物みたいに、
心に抱き、今日もペンを握る。
夢みたいな、王道の人生だろ?