『いつまでも捨てられないもの』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
音を立てないように寝室の戸を開ける。二つあるうちの一つ、盛り上がったベッドは既に眠っているようで、耳をすますとほんの微かに寝息が聞こえた。二つを遮るかのように置かれたサイドテーブルの上で未だに光を放つランタンを見るに、また俺が帰ってくるのを限界まで待っていたらしい。
覗き込むと淡く照らされた顔の眉間にシワが寄っている。さっさと寝れば良かったのに、と呆れかけて罪悪感に襲われた。俺が放浪なんかしていなければ、真っ直ぐ帰ってきていればもっと早くぐっすりと眠れたはずなのだ。
起こしたくはなかったが、ぎこちなく柔らかい髪に指を通して小さな頭を撫でた。俺がこういうことをするのが苦手だと知りながら、彼女はよく子どものようにこれをねだる。感触を楽しみ終えて手を退けると、どういうわけか表情は和らいでいた。
額に口づけようとしてやめる。ランタンに息を吹き込んで火を消し、冷たいベッドに潜り込んだ。きっと今日も夢見は良くない。
くだらないプライドも執着も捨てて俺から解放してやれれば、彼女はもっと幸せになれるはずなのに。鉛のような体にのしかかる自己嫌悪に潰されながら目を閉じた。
『いつまでも捨てられないもの』
いつまでも捨てられないもの
変わり映えしない毎日
心地よく安全な道を真っ直ぐ歩いてきた。
結局、自分の世界に閉じこもって生きてきた気がする。
何が怖いのだろう。
変化を期待しながら、
新しい自分を求めながらも、この道から抜け出せない。
捨てられないものは沢山あるけど、持てる量にも限界がある。
いつまでも捨てられず、すべてを手に入れようと見えなくなるまえに
選択して分別して、本当に捨てられないものが何かを見極めた時に、本当に欲しいものが手に入るのかもしれない
いつまでも捨てられないもの
弱さが捨てられない、
親友が好きな人、好きだったのかな、わかんないけど、親友がその人への気持ちを話した時、すごくモヤモヤした
私より可愛くて明るい親友、ずっと一緒にいたから、仲良くなる人も、好きになる人も同じなのね
人の恋愛に尽くして色々我慢してきた。
私は性格が良いなんて自惚れようとしたけど
弱さが邪魔してダメでした、
『いつまでも捨てられないもの』
小学生の頃から書き溜めてきた創作物。
ただの設定だったり小説だったり会話文だったり。
それらはみんな黒歴史であるとともに、
かけがえのない僕の証なんだ。
小説家の先生はこう言っていた。
「自分にしか書けないものなんてない。
自分に書けるものは大抵他の誰かにも書けるもの。」
世界で自分だけなんてのは有り得ない。
というのが先生のお言葉。
僕はそうは思わなかった。
似通ったものが書ける人はいても、
一言一句同じものを書ける人はいない。
たった一文違うならそれは違うもので、
だから全ての作品は唯一無二なんだ。
私が書いているものは私にしか書けないものだ。
それは昔書いたものもそう。
凡庸で拙いけれど、私は面白いと思ってる。
私という読者を何度だってワクワクさせてくれる。
最高だろう。
だから、いつまで経っても捨てられやしない。
今まで書いてきたもの全て、失くしたくないんだ。
捨てるなんてできないよ。
数年前に引っ越しをした
またとない断捨離のチャンスだったのに
結局いろいろと新居に持ち込んでしまった
母に似て、捨てられない物が多すぎる
人間関係は
いとも簡単に切っていくのに
いつまでも捨てられないもの、結局は自分な気がするなぁ。結局ね。
家族とも友だちとも縁を切った
写真も思い出の品も全て捨てた
唯一捨てられないのはこの記憶
いつまでもどこまでもついてくる
何よりも一番捨てたいのに
どう足掻いても捨てられない
記憶喪失になれたらどんなに楽だろう
全てを忘れて一から生き直せたら
何もかもが新鮮で
何もかもが感動で
記憶に雁字搦めにされたまま生きるのは
今の私には苦しすぎる
でも今の私には
この状況から抜け出す術がない
ああ
―――To be, or not to be: that is the question.
#45【いつまでも捨てられないもの】
ただの私の悩み
4年前に性被害に遭って
児童相談所と精神科、催眠療法に通って
今年齢的に児童相談所は行けなくなって精神科も卒業。
催眠療法だけを受けている。
私は児童相談所も精神科も今必要としてる場所。
皆精神科と言ったらいいイメージを持たず勝手にやばい人が行く病院だと言う。
実際全く違う。
私だけの認識で言うとあそこは私の心のケアをしてくれてどんなに強い薬で、どんなに強い副作用があってでも効果があるから頼れる場所だ。
例え変なやつだと思われても今私には精神科が必要。
催眠療法も来月で卒業。
何で卒業出来るかって聞かれたらひとつしかない。
私が大人に嘘を話しているから。
催眠療法は保険が効かないから未成年でもお金がかかるしそれを親に出してもらっている。
正直高い。そう思う。
自分ではまだ返せないから早く卒業してできるだけ負担を減らしたい。
精神科もお金はかかってしまう年齢になったけど、催眠療法よりかはましだと思う。
1,2年前にパニック障害とフリーズ症状があると言われた。パニック障害は多くの人がどんなものか、大まかな内容を知ってると思う。
フリーズ症状はあまり浸透していない。
性被害やそういう事件に遭った人達に多く起こることらしい。何かがあるとフリーズしてしまい大切な時に言葉が詰まってしまい出てこなくなる。
私がよくある事は
本屋さんで2冊の本とっても悩みました。
どうすればいいんだろ…お金が足りないから1冊しか買えないや…。
どっちにしよ、、、
お母さんが横で待ってくれてる。
怒ってるかな、遅すぎるかな、呆れてるかな、早くしないと早くしないと、どうしようどうしよう
こうなって動けなくなってしまう。
私は少し前まで親に自分の気持ちを文面にすれば伝えられていた。
今はそれすら出来ない、なんでかって、
親ももう十分傷ついて疲れたはず。
私を守ることに必死で、ケアすることに必死で、どうにか元の私に戻れるようにすることに必死で、たまに、私自身がそれをする事に嫌気がさしていることにも気づかず皆必死に。
ありがとう。
でも私はもう疲れました。
小学生で男の人から性的目で見られて
触られて、信頼してた人から。
年上から。気持ち悪い。
もう怖いです。生きている事はもちろん
やっぱり男の人は怖いです。
外に出たら犯されそうで怖いです。
よく言われてきました。
あんたが可愛いから巻き込まれるんだよ
あんたが可愛いからやられても仕方ないよ
過ぎたことだよ
過ぎたこと?それを口にしていいのは経験した本人だけだろ。
周りの無神経な発言にどれだけストレスがたまっているか。
拒食症、脱毛症、パニック障害、鬱病。
もっと多くのことが重なってしまっている人も居るしひとつの事でも死なないと解決出来ないほど苦しんでる人も居るし私なんて…と思ったけどくらべることではないし絶対に。絶対、
比べていいことでは無い。
それぞれ受け取り方が違う。
例えば大切な物が壊れた。
性被害にあった。
一見大きな差があるようにも思えるけどそんなことない
比べちゃいけない。
失くしたものが形見だったら、もう戻ってこなかったらその人の心に穴が空いて戻らなかったら、
逆に性被害の方も
空いてしまった穴は塞がらない。
もう一生。
正直今になって過去の自分が可哀想で仕方がない。
小学生、沢山青春して笑う。
それが出来る国に生まれたのに出来なかった。
そこからずっといじめ生活。
もう笑えないしなにも楽しくない。
消えたい消えたい消えたい消えたい消えたいでも消えたらなく人がいる私なんかのために
でももう
どうすればいいの
あと何日生きれば楽になれるの
やっぱり方法は
死ぬしかないんだよって、早く気づいてよ
いつまでも捨てられないもの
そんなものある?
プライド?
思い出?
憎しみ…
悲しみ…
それにまつわる物
結局、物は、思いだから
結局、物は、気持ちだから
物を捨てると思いも捨てられる
物を捨てると重い想いも捨てられる
…スッキリ
いつまでも捨てられないもの
感情。
「良い名前だね」
そう言われる度、私は作り笑いで微笑んだ。
大層な意味合いを込めた、しかし私の世代にしては古臭い名前。
名前は親から一番に渡される贈り物だと言う。そうだと言うなら、私のこれは、親からの重すぎる期待を形にしたものに相違なかった。
何度か改名要項を見るとも無しに調べたことがある。珍しすぎるわけでも日常生活に不便があるわけでもない「これ」は変えることへの労苦と天秤にかけられ、そしてすこんと飛んでいってしまった。ついでに言うのなら、私はそれほどこれが嫌いではなかった。
そう、綴りや響きだけを客観的に見るのなら、決してけなすほど悪くは無いのだ。点数でいうのなら10点満点中7点くらい。
⋯⋯本当に捨てたいのは。変えたいものは。
その思いすら、幼い頃のほんの少しの優しい記憶に阻まれてしまって。どうしようもない自分に、また曖昧に微笑んだ。
いつまでも捨てられないもの
特にないね
いま捨てる必要があるものは
要らなくなったら捨ててしまいがち
人でも物でも
なくならないものはある
ほとんどのものは
なくなってもなんとかなる
いままでもそうだったと思う
捨てれずに残してあるもの
それにはこれからがある
捨てれるときがきたら手放せる
手放してしまったから捨てれたのかもね
ゴミとして捨てたいけど
面倒で放置されてる物なら
それなりにあるんだけど
捨てるのにも色々と面倒で困る
気楽に捨てられない確実に要らないもの
いつまでも捨てられないもの
必要性が高いもの
セットでまとめて買ったもの
集めたもの、集まったもの
これから整理するもの
使い切っていないもの
単品でいつまでも捨てられないというものはなかなか無い。ある程度分類がある。(未処理というのもひとつの分類。)
書きものとか着にくい服とかこまごましたものが増えてきて、捨てなきゃなという分類に入っているのもある。
置き場所を固定していて、要るからと取っておいているものはいくつも思い当たる。
捨てなくちゃいけないけれど、捨てられないっていうのは、ゴミ袋に入れる前段階のそういったこまごましたものかもしれない。
いつまでも捨てられないもの
私が小学校一年生のクリスマスに、妹はリカちゃん人形を、私はオルゴールをサンタさんにお願いした。
小さなクリスマスツリーを飾り、家族で苺のケーキを食べた。
外で微かな音がしたため雨戸を開けると、そこには綺麗な包装紙に包まれたプレゼントが二つ。
あの頃は本当にサンタが来たと思って、物凄く興奮したのを覚えている。 包み紙を綺麗に取って箱を開けると、淡い黄色の蓋のところにクマが付いてるオルゴールが入っていた。箱から出して、底のネジを回し蓋を開けると、ゆっくりと音が鳴り始まる。
曲はトロイメライ。
嬉しくて嬉しくて何回も聞いた。
あれから60年が過ぎた。
結婚して家を出た時も、バツイチになって家に戻ってきた時も、引っ越しをした時も、いつも大切に持って行った。
オルゴールの色も剥げ、クマの飾りも欠けてしまった。中のオルゴールも少し錆、音もなんだか弱くなったような気がする。
それでも、いつまでも捨てられない。
今は両親も亡くなり、そのオルゴールは両親の仏壇の横にある。
幼い頃はサンタからのプレゼントだと思っていたけど、このオルゴールは両親からの贈り物である。
これからもずっと側に置いて、時々、トロイメライの音楽を聴きながら優しい両親を思い出す。
🎵🎶♪♫
・可愛いくてつい切り取ったペットボトルのラベル
・何枚も連写してある写真
・「ノート貸してくれてありがとう」の付箋
・SNSでの見栄
実家を出た時、18年分の荷物を冬物の服を入れるケース一つ分だけ残して、他はあげるか捨てるかして来た。
私は断捨離が得意だけど、きっとどこへ行くのにも連れて行くもの、どこに行っても捨てられないものが私の人生の大切なものなのだと思う。
このもの(形があるにせよ無いにせよ)に溢れている世界で、それと出会えたことと、大切に手元に残しているということは、それと出会えずにいたことよりも遥かに幸せで、尊い。
だってその気になれば、いつでも置いていけるもの。
-いつまでも捨てられないもの-
私の実話を話します。私は人を心から愛したことがありません。だから、私が結婚して子供が出来たら、家族を愛することなんて出来ないと思っていました。子供のために睡眠時間を削って、ミルクをあげ、トイレの世話をする。夜型人間の私にそんなこと出来るわけがないと決めつけていました。でも、私は動物が好きで、売れ残っていたシマリスが可哀想で飼うことにしたのです。まだ幼いシマリスでした。名前は中原中也からとって“中也”にしました。シマリスは昼間活動して、夜には寝る動物だったので、私は驚きました。ハムスターと同じ感覚で、夜型の動物だと思っていたのだから。中也はすぐに私に懐きました。好物はナッツとミルク。餌をあげると、いつもナッツから食べ始めました。私が起き上がると、ミルクの時間だと覚えたのか、ゲージの中から朝、私の様子を伺っているのが分かりました。小さい頭でそれを覚えられることに関心しました。いつの間にか夜型人間の私が、朝早起きをし、ミルクをあげ、糞の片付けをしていることに気がつきました。ミルクは、粉ミルクをお湯に溶かして、中也用の小さな注射器に入れます。それを持ってゲージを開けると、私の手に飛び乗ってきます。そして私の手の上でミルクを一生懸命飲むのです。私はこの時間が一番好きでした。活発な中也が唯一私の手に長く留まっていたのですから。中也は私の姿が見えると、すぐに駆け寄ってきてゲージにしがみつきます。その姿が愛おしくて、私もこんな風に誰かを愛することが出来るのではないかと思ったのです。私の中に、いつの間にか母性が芽生えていたのです。
そんな毎日が続くと思っていました。しかし、中也は亡くなりました。私が隣の県に研修に行っている時でした。研修が終わり、駅のホームで電車を待っていると、家族から電話があり、その悲報を受けたのです。私は死を決意しました。電車が来たタイミングで飛び降りるのもいいかもしれない。でもまだ中也の死体は見れていない。どんなに悲惨な死体だったとしても、私は見なければならない。そう思ったのです。死ぬのは家にしよう。そう考えました。電車に乗り、友人と別れて新幹線に乗りました。一人になった途端、涙が溢れてきました。止めようと思っても止められない。私は新幹線の中で泣き続けました。
家に着くと、中也は眠っているように死んでいました。も浮かれ果てたと思っていた涙は、再び溢れ出てきました。今までで一番泣きました。泣いたら冷静になったのでしょう。私は中也のためにも生きないといけないと思いました。その日は眠れず、朝起きたら中也のミルクを作っていました。この習慣はきっと暫く抜けないのでしょう。中也との思い出が詰まった家にはいれず、一人暮らしをすることにしました。そうして荷物を整理し、アパートでの生活に必要なものを段ボールに入れました。そして、捨てようとしても捨てられなかった中也のミルクを飲む時に使っていた注射器を持っていくことにしました。私でもきっと誰かを愛することが出来る。そう教えてくれた中也のためにも、中也がいないこの世界で生きていきたいと思います。長くなってしまいましたが、最後まで読んで頂きありがとうございます。
『いつまでも捨てられないもの』
いつまでも捨てられない物
エアリズム。色落ちしてる。
ビンテージ!!
いつまでも捨てられないもの
ポケットの中で潰れてるタバコの吸殻
6歳のときにもらったあのCD.
モーツァルトの曲が入ってる。
ピアノの先生がくれたあのCD.
あのね、あれが無いといけない時があるんだけど、
物凄く呼吸が苦しい時とか、不調の波が治まらなくてずっとひどい時。
最初は良かったけど、だんだんと、聴いているうちに、
あれは不調の時の音楽だからって、身構えてしまうようになって。
もっと強く病を意識してしまったり、死を意識してしまう。
だから、あまり好きじゃなかった。
だけど、やっぱり不調の時にはあのCDだって頭に植え付けられてしまったから、
やっぱり聴いてしまうよね。
そうしてまた、ひどい時が不定期で来ると、必死にそのCDを探すの。
あれが無いと、たぶん駄目だって、被害妄想してしまう。
それくらい洗脳に近い信頼がある。
最近、また体調がひどくなった時。
やっぱりあのCDを探し始めたよ、必死になって。
わざわざ古いラジカセを持ってきて、あれ?流れない!なんて騒ぎながら、
吐きそうなくせに、必死になって埃をとって、処置をほどこして。
やっと流れたときにはさっきまで感じもしなかった吐き気が戻ってくる。
なんだよ、と思いながらまた不調に戻ってベッドに倒れ込む。
まったく良くなる気配もないし、やっぱり強く病を意識してしまうし、
死を意識してしまうし、不調の時の音楽だって思ってしまう。
でも、やっぱり消そうと動くけどどこか安心していて。
結局、しんどい時には、今までにしんどかったときのことを思い出して
しまうけど結果安心するあのCDを聴いてホッとしているんだ。
これこそ、年季の良さかもしれないね。苦味も甘味も経験したその先に、
本当の家族みたいなあったかさがある。
そんなCDがあるんだよ。
珍しく素直に綴ってみたんだ、リアルをね。
#いつまでも捨てられないもの
ずっと捨てられないものなんて
どうせつまらないものだろう…
ちょっとのこだわりだったり
ちょっとの意地やプライドだったり…
傍から見たら
どうでもいいじゃんってものだろう…
あるんだなぁ〜
どうしても捨てられん
どうでもいいやつが…
昔、突然の遠距離きっかけで
大好きなまま別れた人の写真…
何度も始末するきっかけはあったのに
何故か手離せない…
今では
もうこのままずっと持ってようって…笑
大好きなままって言っても
結果
終わった時点で
ついて行くほど“好きじゃなかった”
ってことなんだろうけどね〜
なんか捨てられない!
他の終わったそれらのものは
瞬殺即処分できたのに
この人は謎だ!
顔が好きすぎて“推し”的なアレ?
チラ見すると
「やっぱカッコええなぁ〜٩(♡ε♡ )۶」
なんてね〜
永遠のアイドル様www
そういう
どうでもいいものを
大切に持ったまま終わっていく…
それが不完全な人間の証なのかもね~
ホントつまんねぇ~なぁ〜
┐(´д`)┌ヤレヤレ…
🌈黒猫のつぶやき🌈
こういうの捨てられるのって
終活の一番最後だな~