不条理
不条理、今の世の中ほど、この言葉に会っている時はない。大国が自分達に意に反する国を攻撃したり、諜報活動で政権を転覆させたりと、無理やり従わせる。こんなことをしていると、世界が第二次世界大戦前の状態になってしまう。
日本でいえば、江戸時代の幕末や太平洋戦争前がそうだろう。理不尽な条約を結ばされたり、ブロック経済で、貿易ができなくなるなど、力のあるものが弱きものを従わせる。
ウクライナがロシアに何かしただろうか。ウクライナは自国を良くするために、EUに近付いただけだし、イランは、石油に代わるエネルギーを、原子力発電に転換しよとしただけだろう。今のイランにアメリカを攻撃するだけの武器はない。
北朝鮮の方が、アメリカの脅威になっていると思う。
日本にとっての危機はロシアと中国だろう。ロシアはウクライナのことが終われば、北海道を攻めてくるかもしれないし、中国は沖縄を日本から独立させるために、何か仕掛けてくるかもしれない。
これからしばらくは、何が起こっても不思議じゃない。常に不測の事態に対応できるようにするべきだ。戦争は嫌いだが、戦争に巻き込まれないように抑止力を持つことも必要なのかもしれない。
理想と現実を両方見据えて、行動すべき時だと思う。
泣かないよ
泣かないよと誓うようなのをしたことはない。それどころか、幼い頃の私は泣き虫だった。大人しくすぐに泣くから、よくいじめられていた苦い記憶がある。
でも小学校に入ってから、目立ちたがりやな部分も出てきて、大人しい部分は消えっていった。それなのにあがり症ときているから、矛盾している。
大人になってからは、目立ちたがりやな部分は無くなったが、自信過剰なところが鼻につく、いけすかない人になっていた。いろんな人に迷惑をかけていたと反省している。
今は角が削れて、子供の頃のように大人しくなったと自分では思っている。まあやる気が無くなっただけなのだが、見方を変えれば気負いがなくなって、ちょうどいい感じになったと思う。
歳をとると涙脆くなるというが、感動ものの番組を見ると涙が出た時もあったが、最近はその手の番組を見ても、あまり涙を流すこともない。
そういえば、最近心が揺さぶられるようなことがなくなった。感情が平坦になったと言ってもいいくらいだ。味気ない人生を送っているように思える。
たくさんの経験をしたからだろう。刺激のある人生を送るには、新しいことにチャレンジする以外方法はないと思う。
今こうして書いていることが、最初の一歩になっている。
怖がり
小学校3年生まで私は、人型の人形が怖かった。特にマネキンと人体模型が怖かった。近くを通るのも嫌だったし、見るのも嫌だった。
マネキンの目は恐怖すら感じるほどだ。マネキンがあると、見ないようにして走り去っていた。家族とショッピングセンターに行った時は、怖くて1人で車の中で待っていた。
義手や義足も苦手で、病院の待合所で待ってた時は、俯いたまま、周りを見ないようにしていた。
夢でマネキンが襲いかかってきたり、ギロッと見られるなどの夢を見たこともある。一番怖かったのは、人が手術室みたいなところに入って行って、マネキンに改造されて、襲いかかってくる夢だ。
最近のマネキンは、のっぺらぼうの顔をしているので怖くない。昔のマネキンは、冷たい目をした感情のない表情が、恐怖を倍増させていたと思う。
幽霊に匹敵するくらい、自分には怖い存在だったと思う。流石に今は人型の人形を見ても、なんとも思わないし、触れることもできる。
でも、ターミネーターの世界が現実になったら、恐怖が再燃するかもしれない。
星が溢れる
子供の頃、宿題で夜空の星の観察をした記憶がある。子供の頃の方が、星がたくさん見えていたように思える。
今でも街から離れた山沿いに行けば、見ることはできる。特に冬の晴れた夜空は澄み切っていて、綺麗に見える。でも寒すぎるから、星を見るためだけに出かけることはない。
子供の頃、夏でも夜になれば幾分過ごしやすかったが、今の夏は、夜になっても蒸し暑くて、外にいるのは辛い。夜風に当たって涼むこともできなくなった。
高校生の時まで蛍を見かけたが、今は家の近くの山で、一匹見るのがやっとだ。蛍が乱舞しているところなんて見ることはできなくなった。
自然の美しい風景を残すには、実際に体験して初めて、実感できると思う。
スマホを見るより、夜空に瞬く星々や蛍が舞う姿を見る方が、感動の度合いが大きいと思う。自然に触れる時間を少しでも増やせば、心の豊かさも増えて、自然を大事にしようと思えるはずだ。
安らかな瞳
安らかな瞳で思い出されるのは、祖母の瞳だろう。私は祖母に溺愛されていたと思う。物心ついた時には、祖母と一緒に寝ていたし、病院に行く時も祖母が付き添ってくれた。
祖母の優しい眼差しは、私の心に安らぎを与えてくれたと思う。無償の愛を注いでくれたことに、私は感謝している。
最近、父の目を見ると、祖母の目に似てきたと思う。特に安らかな瞳が祖母にそっくりだ。いずれ私も似てくるのだろうか。心が安らかになれば、祖母のような安らかな瞳になれるのだろうか。
心がざわつくような人生をここ数年送っていた。そういう生活に疲れた自分がいた。本来の自分とは乖離しているから、心がざわつくのだろう。
穏やかな人生を送りたいとは思っている。子供の頃は、物静かでおっとりとしていたと思う。最近は時間に追われるだけで、生きがいを感じることも少なくなっていた。
親の面倒を見ているとき、よく笑顔を見ることが増えた。その時、自分の心も安らいでいくのを感じた。笑顔を見ることが、安らかな瞳になれる方法なのかもしれない。