擬人化注意。
6月2日の『お題:正直』の兄弟の話の前日譚。
暗く、寒く、窓一つない狭い部屋。そこは冷たく、身を凍らせる風が吹き荒れている。
私はあの人によって、この暗く狭い部屋に入れられた。
そこにいたのは私だけではなかったが、誰一人声を発するものは居なかった。私を含めて。
私の体はあの人のものだ。
あの人の手によって、あの人の名前をこの体に記された。
それを望んでいたかどうかもわからないけれど、私はそれを黙って受け入れた。
それから、長いような短いような時を、この暗く寒い部屋の中で過ごすことになる。
そこにいる私以外のものと言葉をかわすことはなかったし、私も言葉を発することはなかった。
相変わらず、この部屋は暗く狭く、冷たい風が吹き荒れている。
私も、他に一緒にいるものもただじっとしていた。
ときには扉が開かれて、他のものが外に出ることもあったけれど、連れて行かれるときも抵抗していなかったし、私たちはそういうものだと受け入れて見送った。
扉はその都度閉ざされて、変わらないときが過ぎる。
誰もがこの部屋から、いつか外に出るときがあるのだろうと、そう思っている。私もあの人の手に取られるその日まで、じっとしている。
そうしてある時、扉が開かれ、何者かが私を手に取った。
もしかして、あの人?
私は抵抗することなく、その手に身を委ねる。
しかし、私はその手の主を知った。
――あの人ではなかった。
あの人ではない手に掴まれて、真っ暗で狭い部屋から引きずり出され、真っ白い外の世界を知る。
あの人以外の手によって、狭い部屋から出された私は、固いところに置かれた。
あの暗く寒い、狭い部屋のほうが、私にとってふさわしい場所だったのだと、ここに来て思い知らされた。この世界に出された私の体は灼熱で溶けそうだった。いや、すでに溶け出している。
その人はどこかへ行くと、再び戻ってきた。細長く先が丸い物を持って。
それを見てわかった。
私はあの人の口には、入らないのだろうと――
お題:狭い部屋
弟「高級カップアイスのバニラ味サイコー」
タキシードに身を包んだあなたが、白のドレスの女性の手を取るのをみた。愛おしい眼差しを交わし合う。
私は目を背けようとしたが、それは許されなかった。
白いドレスに身を包んだ女性が、何も知らずに私に微笑みかけてきた。
これからも、よろしくね。
はい。
私はこわばった顔で答える。上手く笑えていないのがわかる。
こちらこそ、よろしくお願いします。
それだけいうとさっとその場を離れる。もう、二人を見ることに耐えられなかったから。
私はずっとあなたが好きだった。
それこそ、物心がついたころから。
名前を呼んでは、後ろをついて歩いた。
大きくなっても、たくさんのひとと出会っても、あの人しか、見えなかった。理由なんてない。
あなたが全てだった。
けれどもあなたにとって私は、最後の最後までただの妹のようなものだった。
――知ってた。だけど、いつか振り向いてもらえたら。
でもそれも、今日で終わり。
あなたは本当に、私を見ることはなくなった。
そして会場から逃げられないまま、ライスシャワー。
私はその中に混じったけれど、参加することなど出来なかった。
そしてブーケトス。
ブーケは私の胸に当たった。反射的に落とさないよう手に取る。
白いドレスの女性が屈託のない笑顔を向ける。その笑顔を見つめるあなたの姿。
みんなの歓声が私を取り巻く。
私はブーケを手に持ったまま、一生の恋を永久に失った。
*****
他の誰にも受け取ってもらえなかったブーケとともに、涙と嗚咽をこらえて二人の退場を見守る、ピンクのドレスに身を包んだあなた。
あなたがずっと、あの男しか見ていなかったのを知っていたからこそ、僕は彼女に掛ける言葉が浮かばない。
あなたにとって僕はずっと、弟のようなものだった。
今も、これからもそれは変わることはない。
あなたをずっと見つめていたからこそ、わかってしまったんだ。
これからも一生、あなたはあの男を想い続けるのだと。
お題:失恋
「正直に吐いたらラクになるぞ」
俺の目の前にはカツ丼がある。向かいには兄貴が頼んだトンカツ定食がある。
兄貴はじっと俺を見つめる。俺の目の奥にある、深い思いを見抜こうとするかのように。もし、兄貴に俺の思いがバレたら、大変なことになる。
「いつまでも黙秘を続けるつもりか」
だが、兄貴は声を潜めながらもはっきりとした口調で、俺に目をそらすことを許さないという、強い意志を込めてくる。俺は目をそらし、テーブルの冷めかけたカツ丼を見つめた。もったいない。
――早く食べようぜ。冷めちまうじゃないか。
俺はそう言いかけたが、
「いつまでも、黙っていたらつらいだろう」
ここで兄貴は柔らかい笑みを見せた。俺はどきりとする。もう、ごまかしきれない。
「さあ、言うんだ。言わなければいつまでもこのままだぞ」
打って変わって、穏やかな口調に変わる。だが、俺は顔を上げないまま、黙っていた。
立場は不利だ。
結局、俺は兄貴には勝てないことは分かっていた。しかしそれでも俺は顔を上げて兄貴の視線を受け止める。
しばらく、無言の時間が続く。
俺は、最後まで隠し通すと決めていたのに、沈黙に耐えられず、ついに言ってしまった。
「兄貴の名前が書いてあるカップアイス食べたのは俺です本当にごめんなさい」
俺は、テーブルに額を擦り付ける勢いで謝り倒した。
もちろん、ここのお金を俺が払ったのは言うまでもない。
お題:正直
正直難しいですよね。
隣の家のあじさいの木が、今年も紫の花をつける頃になった。
ああ、もうこんな季節になったんだなぁ、早いな。
僕はため息を付いて、窓越しに雨が滴る無数のあじさいの花を眺めた。
あまり手入れされないその木は、僕の住んでいるアパートの二階の窓まで届いている。
わりと大きな葉っぱとあじさいの花に遮られて、日当たりの良いはずの南側の部屋は陰ってしまった。引っ越してくる前は大好きな花だったのに。以前はわざわざ見に行くほどだったのに。
おととしまでのスマホには、あちこちの名所のあじさいの花の画像が大量に入っている。いろんな色の手入れされたあじさいたちが、雨を受けながら遊歩道に沿って植えられている、お気に入りの画像たち。でも、もうしばらくは見返すことはないだろう。
あれから2年。
二階の窓の前で茂るあじさいの木と、この時期に咲く大量のあじさいの花を、雨とかたつむりと共に今年も梅雨を迎える。
お題:梅雨
あじさいは木だそうですよ
「おはようございます」
「おはようございます」
「もう梅雨に入ったそうですよ」
「はい」
「これからしばらくは雨が続くと、天気予報で言ってましたね」
「ええ」
今日は梅雨の合間の、雲ひとつない晴天である。
――全然話が続かない!
天気全然違うし!
違うんだ、もっとこう、話が続くように……!
明日こそは、上手く話そう!
翌日。
「おはようございます」
「おはようございます」
「今日は本当に暑いですね」
「ええ、そうですね」
「今日は一日、晴れのようですね」
「そうですね」
「今日は傘がいりませんね」
「はい。そうですね。今日はいらないと思いまして」
朝は晴れでも、帰る頃には土砂降りである。
――全然話が違うじゃないか!
天気もこんなはずじゃなかったし。
でも今日は、昨日より少しだけ長く話せたな。
明日はもう少し頑張ろう。
…
……
…………
十年後。
「おはよう」
「おはよう」
「今日も朝から暑いね」
「うん、そうだね」
「今日は梅雨半ばの、晴れみたいだよ」
「そうだね。でも夕方から降るっていってたよ」
「じゃあ傘がいるから持っていかなくちゃ」
「そうだね、ぬれたら風邪引くから」
「きみは持っていかないの?」
「いや。持っていくよ。天気予報外れたら嫌だし」
「……」
「……」
「今日は、一緒に家を出ようか」
「うん」
――あの頃と全然違う!
今日は天気予報もきちんと見たし。
今はあの時よりも、ずっと長く話せてる。
これからも、ずっといられるよう頑張ろう。
お題:天気の話なんてどうだっていいんだ。僕が話したいことは、