1000年先も 2026.2.3
紅のテント、吠える猛獣たち。
空中を揺れるブランコを渡る、輝く服に包まれた何人もの曲芸師たち。艶やかな装いで観客を見せる踊り子。
そして、舞台を取り巻く、観客でいっぱいの客席から聞こえる、終わらない拍手。
私はそれをテントから離れた場所で聞きながら、裏方の仕事をしていた。特になんの取り柄もない、歌を歌うことが好きな、平凡な、本当に平凡な裏方だ。
演者の服を干しながら、すんだ青空を見上げる。初夏の空が広がっていた。
私はこのままこの場所で長い長い時間を過ごす。
ずっとそう思っていた。
今日もまた、旅の一団は移動する。
娯楽を提供するために、あちこちの村や街、時には各国の王の御前で技を披露するよう、呼ばれることも何度かあった。
季節は何度もめぐる。私たちも何度も世界中をめぐった。
木々の花が開いて散り、若葉の頃を迎え、葉が紅くなって、やがて枯れて雪が降る。
ある南の国では半年以上夏が訪れ、北の端では太陽さえ上らない日も半年以上。
きな臭い時期にも、比較的平和な時期も、私たち一団は、世界中を巡っていた。
笑いと喜びを提供するため、そして。
*****
ある若い空中ブランコ乗りが、南の村の娘と恋に落ちて旅から離れた。
次にこの村に訪れたときには、ブランコ乗りのひ孫とその子どもたちが見にきていた。
一団の誰もが、ひ孫とその子どもたちを知っていたが、彼らは私たちを全く知らなかった。ひいじいさんが、空中ブランコ乗りだったことも、忘れ去られていた。
時の流れは残酷だと、そのとき私は思った。
*****
ある若い踊り子の少女は、東の街の有力者に見初められた。街の有力者は執拗に少女をもとていた。
団長のもとにやってきては脅したりしているのを何度も見かけた。
ある日、踊り子の少女は有力者の手の者にさらわれ、救出されたときには虫の息だったという。
それでも少女は一員として存在することを望んだため、そのまま一団にいた。
彼女は傷が治らないためステージに上がることも出来いことで絶望し、この団を離れてある村の片隅でひっそりと暮らすことにした。
次にこの村に訪れたときには、彼女のひ孫の孫が子供をつれて見にきていた。
時の流れは残酷だと、私は思った。
*****
ある猛獣使いは、息が合い、どんな困難な技を共にしてきた自分と共に組んだ猛獣が、何匹も目の前で年老いていき、別れを告げていくことに疲れていた。
彼は猛獣たちに立派な石造りの墓を立てると言って、東の果ての村で別れた。私たちはそれを見届けた。
次ににこの村に訪れたときには、ボロボロになった石が積まれているだけの場所になっていた。
時の流れは残酷だと、私は思った。
*****
一人、一人と減っていった一団は今は十人ほどになっていた。割れんばかりの拍手は相変わらず続いているが、一団として維持するにはもう無理だと、誰もが感じていた。
私たちは、運命共同体だ。数百年前に始まったこの一団も、団員がいる限り解散は出来ない。団を出たら待つのは、分かっているが誰も口にしないことだ。
原因は分からない。
だが、団長が何かしたとは聞いたことがある。
もはや誰が話したかも、いつ誰から聞いたのかも分からないが、それが原因でこの団が半永久的に巡り続けるのだという。
理由など、今となってはどうでもいい。
時の流れは残酷だと、私は思った。
*****
そんなある日のことだった。
その日、私は偶然鮮やかなテントから離れて、狩りに出ていた。
数こそ少ないものの、賑やかなテントからの笑い声。最近になって、ようやく私にも回ってきたリュートの弾き語り。やっと、発表できるようにもなって、聞きたいともいう声も聞こえてきた。
獲物を人数分確保し、テントへ戻ろうとしたそのときだった。
テントの方から、人の悲鳴と何かが破壊される音、布の引き裂かれる音。馬の蹄、雄叫びが聞こえてきた。あわててテントの方に走る。
目の前で団長が、軍服の男に取り押さえられていた。飛び出そうとしたが、団長が腕を動かす。
来るな、の合図だ。
私はそのまま、茂みに身を潜めて体を丸めていた。
仲間の悲鳴、男たちの雄叫び、その全てが私に何が起こっているのかを伝えてきた。
やがて、馬が去り、人の気配も完全になくなった。
狩りの際に馴染みのあるあの匂いが、辺りに満ちていた。
こうして、数百年続いた、輝くドレスやレオタードを着る若い踊り子達も、しなやかな肉体を持つ若い曲芸師も、そして団長も。
この国の軍に踏みにじられて、テントも荷車も何もかも破壊されていた。
私だけが、全てが終わってしまったその現場に立っていた。
時の流れは残酷だと、初めて体の芯からそう思った。
*****
こうして、私は最後の団員になってしまった。
団長なき今、原因は解消されたのかと思ったが、歳を重ねることもなく、世界の移り変わりをただ見送っていく。
どうやら、団そのものに何らかの力が働いているのだろう。
この定めを終わらせるために出来ることは何度もした。長い時間を書けて調査もした。それでも分からないままここまで来た。
もう、無駄なのだ。諦めるしかないのだ。
私は全てが変わってしまったあの日から、共にあるリュートを手に取った。切り株から立ち上がると、あてのない旅へと再び歩き始める。
1000年先も、そのまた先も。
私はリュート片手に巡りつづけるのだろう。
時の流れは残酷だと、何度も思った。
星に包まれて 2025.12.30
まばゆい星空が刻まれる天球の中に、私はいた。
星という名の、数々の物語が刻み込まれていたその場所に。
そっと、青白く勢いよく輝く一等星に手を触れる。
力強い男だ。自信に満ち溢れ、これからの可能性に胸を躍らせる、まだまだ未来が明るい、若く、勢いのある物語を抱いている。抱いていた。
今度は反対側の、赤く巨大な星に触れた。若さの盛りを過ぎ、この皺と共に生き様を刻んできた雄々しい老年の男の生き様をみた。最後の輝きを探していた。
私は、一つ一つの物語に手を触れていった。悲しみに押し潰されてしまった星、助けを求めて叫ぶ星、そして、星の雲から現れる、生まれたばかりの、まだ世界を知らない星たちにも。
どれだけの時間が過ぎたのだろう。
たくさんの星の物語に触れてきた私の心の奥深くには、絶望と怒りと哀しみと、そして満たされた安らぎ。
星たちは全て、私の存在を受け入れていた。
私が、何のためにここにいるのかも。
私は、手にした星の紋様が刻まれたリュートを鳴らした。
じゃらん。
輝く闇のなかに、音が震え、揺らぎとなって、星たちを揺らす。
じゃらん。
もう一度星たちは震えた。自らが消えることの恐怖。そしてそれを受け入れる安らぎに、身を委ねている。
星たちは、灯火のようにふっと消えていった。
最後の星が溶けていったあと、私はほっと息をついた。
私の詩人として生きていた中で、もっとも重く、もっとも胸を締め付けられる弦の音。
それは私を包む星たちを、私のリュートで鎮めること。
最後に、私自身も消えること。
長く生きすぎた。これで私もようやく解放されるのだろう。
私はリュートの弦に手を掛けた。
じゃらん。
闇のなかに、リュートがひとつ。
そのリュートも、金の粉となって闇に溶けていった。
光の回廊 2025.12.22
以前から気になっていた光の回廊という場所に、団体旅行で訪れた。
光の回廊と呼ばれるそこは、とても大きく、高さは10メートル以上、幅は5メートル以上あるようだった。どこを歩いても太陽の光が差し込む作りになっているそうで、くるりと回っても日差しが入ってくるらしいと、観光ガイドにも書いてある。
ガイドさんは、この回廊の入り口の端に、団体さんを集めて、皆に聞こえるように叫んでいた。
同じように、端に集められた団体さん達がいくつもあり、同じようにガイドさんが叫んでいる。
「とても大切なことを今からいいます。いいですか? この回廊のなかで、決して立ち止まっては行けませんよ。危険ですからね。もう一度いいますよ。危険ですから立ち止まらないでくださいね
落とし物は絶対にしないでくださいね。スマホはショルダーバッグかウエストポーチに入れて、決して落とさないように。スマホに出たり、歩きスマホは、絶対にしてはいけません!」
学校の先生が言うようなことだな、と不思議に思った。ガイドさんは、私たち一人一人の鞄やスマホが落ちないようにしているか、チェックをしている。私もチェックされていた。
チェックがすみ、私たちは回廊のなかに入っていった。
異国の町のなか、たくさんの観光客に揉まれて、中に入る寸前、私のスマホが震えた。彼からだ。
私は無意識のうちにスマホを手に取って立ち止まり、メッセージアプリを立ち上げると急いで返事を打ち込み、しばらくそうしていると、いつの間にか人の気配がしなくなった。
「あっ」
気がついたら、誰もいなくなっていた。
あれだけごった返していた観光客も、一緒の団体さんも、ガイドさんの姿さえなくなっていた。
……どういうこと?
私は立ち止まった。
あれだけ濃密だった人の気配が一切しない。
振り返っても、誰もいない。肩越しにしか見えなかったはずの壁面も、今ならしっかり見える。
真っ黒な石で作られたのであろう、艶やかな壁と柱。アーチ上の天井と、傷ひとつない床には、まるでチェス盤のような黒と白のタイルが敷かれている。
柱と柱の間から差し込む白い光があまりにもまぶしすぎて、私は思わずサングラスをかけた。それでも目蓋の裏に焼き付くほどの白い光だった。
この回廊は、こんな作りだっただろうか。
団体で入ったときには、白黒ではなかった。もっと色鮮やかで、壁には鮮やかな模様を描くタイルが貼られていたし、柱からは青空と、強い日光が入って光と影をくっきりと見せていた。
何より、廊下は各国の観光客で混雑していたし、私と一緒に来た団体のメンバーもいたはず。
私は思わず走り出していた。
スニーカーの靴底が鳴らす音が、回廊に響き渡る。しかし、誰の気配もない。誰とも出会わない。
はあはあと息を切らせて立ち止まる。それでも目の前の景色は全く同じだった。
黒い柱に床はモノクロのタイル。柱の間から差し込む光はより明るくなったのか、サングラス越しにさえ差し込むようになった。
どうしようもなくて地面に座り込んだ。
ひんやりとしたタイルの上から、天井を見上げた。黒と白の格子柄のタイルも、今や光で真っ白だ。先ほどよりもまぶしくなっている。
まさか、ここから出られない?
そう感じた瞬間、私は膝を抱えてすすり泣いた。
どのくらい泣いていただろう。
私の名前を呼ぶ声が聞こえた。
ガイドさんだ!
慌てて立ち上がると、声の方向を探す。
するとガイドさんが、廊下の奥から走ってきた。
「間に合ってよかった!」
ガイドさんは荒い息をついて私の目の前に立つと、いきなり私の手首をつかんだ。
「急いでください! いつまでもここにいると戻れなくなりますよ!」
ガイドさんは異国語で腕輪になにか叫ぶと、そのまま走り出した。慌てて私も走り出す。
スニーカーの音が二つ、廊下にこだまする。
どのくらいの時間走ったのかよく分からないが、もう限界だと感じたそのとき。
「ここだっ!!」
ガイドさんは叫ぶと、私を連れたまま回廊の壁面へ飛び込んだ。
*****
「どんなに注意しても、最低一人はこうして行方不明になるんです……なぜ、観光ルートにこんなところが入るのか」
ガイドさんの代わりに来たらしい別のガイドさんは肩を落として、絶望に満ちた声で団体に言った。
「あの、あの時立ち止まった女性は?」
誰かがそっと手を上げて、ガイドさんに尋ねた。行方不明とは穏やかじゃない。代わりのガイドさんは首を振って、哀しげに眉を寄せた。
「あの人は、時間までにはお戻りになれないので、どうかお気になさらず……ガイドの皆さんが総出で探しております」
総出で!?
グループがざわついた。
「では、あの、スマホを落としたひとは……まさか……迷子になってしまうと」
「はい……この回廊は長さが2キロ程とはいえ、一度置いていかれると観光客に流されてしまうんです」
無理もないよな。あのすごい人じゃあな。
そういった声が飛び交う。
「では、一旦皆様はホテルに戻りましょう。事情はホテルに伝えております」
*****
数時間後。
他の人に心配されていた私は、本当に申し訳ないのと、ここに帰れたという安心感で、涙が止まらなかった。
そして、これからの人生、あのガイドさんは嘘はいっていないけど、なぜこんな大事なことを隠しているのか分からなかった。ただ、
「今度ここに来たら、あなたはもう戻れなくなります。来ないでください。このことを話してもいけません」と、強く口止めされた。
今後、二度と私はあの国に立ち寄ることはないだろう。
降り積もる想い 2025.12.21
嬉しいこと、哀しいこと、楽しかったこと、時には怒ったこと。
それらは全て、たくさんの想いが降るように積もっていく。
生まれた頃は私のモノクロからセピア色の写真。その数年後には、たくさんのきょうだいと遠足の時に写った、少し色褪せたカラーの写真。みんな半ズボンに半袖シャツといった格好で、ニカッとした笑顔がまぶしい。
20代には妻と共に取った2L版の写真。緊張と期待で表情が硬い。新婚旅行先で、ラベンダー畑で撮ったときの妻のはにかむ笑顔が、今でも私の胸に残っている。
30代になると子供の写真が増えていく。産湯に浸かった頃の写真。はいはいが出来、立ち上がることが出来たときの写真。小学校に入ったときの、校門の前で桜吹雪と共に立つ、妻と息子の笑顔。
40代になるとビデオテープで運動会を録り、それがいつしかデジカメの画像になった。その頃の息子は荒れていたが、カメラを向けると、『しょーがねぇな』と顔を向けてしっかり画面に入ってくれた。
息子の進路を心配したものの、大学に入り、入社したその日に撮った写真はケータイの写メになって、家族に送られていった。
50代。息子は結婚したい人を連れてきた。初対面の時には緊張してガチガチになっていた。その後、食事会を行い、ウェイターさんに頼んで何枚かスマホで写真を撮ってもらう。
コンビニプリントした写真を配ったら、四人とも顔がひきつっているのを見て、私たちは思わず笑ってしまった。
今はすっかり相手は私たち家族に馴染んでいった。私たちも、相手の家族と馴染めただろうと、そう思っている。
60代を過ぎてからはスマホの動画がメッセージアプリの中に増えていく。孫の6ヶ月の写真。3歳の写真。お嫁さんの実家で預かっていることもあるようで、あまり顔が見れず、少し寂しい。
動画だけではなく、小学校に入ってから夏の休みには直を顔を見ることも増える。
年々成長していく孫の動画。そして、実際に会う度に背が伸び、大人らしくなっていく孫。スマホの中は孫の写真と動画がいっぱいになり、SD カード対応のスマホに換えるようになった。
そのカードも何枚もたまっていく。
70代。孫が息子のところに顔を出したらしい。結婚をしたい人を連れてきたのだとか。時の早さを肌で感じながら、私は昔より細くなった手で、そのときの写真を眺めた。やはり、昔のように顔がこわばって撮れているその写真を見て、自分もそうだったと思い、笑ってしまった。
80代。私は暖かいこたつのなかで足を温め、金の刺繍のはいったはんてんを着て、温もっている。古いアルバムから順番にめくって、懐かしい記憶をたどっていた。
アルバムの1ページ1ページ、ケータイやスマホに入っている写真に動画。降り積もっていく想いが重なって、思わず涙が出た。
隣に座っている妻が、そっと私の手を握る。
「これからも写真も動画も取りましょう。まだまだ子供も孫も成長するのですから」
「そうだな。これからも取らなきゃな」
私は手元に合った一眼レフのデジカメを眺めながら、にっこりと笑った。
君が見た夢 2025.12.17
きらきらと輝く
みがきあげられた鏡
外界を照らす その明かりに
身を委ねて
たゆたう この身
ゆったりを流れに乗れば
目覚めよと 呼ぶ声がした