太陽の塔の下でこう叫びたい。
「助けて、ひろしSUN!」
ニットワンピース。
あれってキャバ嬢の家着っぽくてエロいよね。そう言ったら君は、偏見すげえ、と思い切り笑い飛ばした。
ひとしきり笑うと落ち着いてきたらしく、涙まで拭いながら言った。
「でもあれだね。出てるとこ出てて締まるとこ締まってる人じゃないと、なかなかそういうふうには着こなせないね」
そんな赤の他人事みたいに。今の自分のカッコ鏡で見てごらんよ。
泣いてる声は、聞いたらすぐ分かる。お母さんの声。
そんなにさめざめ泣かなくったっていいじゃない。
まあ、伝わるわきゃないけど。
私、植物人間ですから。あ、正しくはそう言わないんだっけ。
あー、やだやだ。ただでさえ陰気臭い病室がさらに陰気臭くなる。
「ごめんね、無力で」
誰もあなたのせいだと思ってないから。
「失礼します」
男の人の声。看護師さんより聞き馴染みのない担当医の声だ。
こうして毎日病室へ回診に来る。
足腰が鈍らないように、とリハビリの先生も毎日に通ってくれる。お仕事って大変だなあ。
「……本当にいいんですね?」
「はい。この子が目を覚まさなくなってからちょうど半年……」
ん?
「最初はお見舞いにたくさんの人が来てくれてましたけど、今では私一人になりました」
雲行きが怪しくなってきた。
嫌な予感がする。
これってあれ? ドラマとかでよく見る延命治療装置を外す外さないうんぬんで家族ががんじからめのめっためたになる……。
「延命治療のための装置を外したら、娘さんは数十秒と持ちません。それでもいいですね?」
やっぱりかあああああ。
お母さん、朝からさめざめ泣いてたのはそれだったのか。
おかしいと思ったんだよ、夕方からしか来られないはずのあんたが朝っぱらから横についてるなんて!
ていうか、私が当事者になるとは一ミリも思ってなかったわ! いや、その半分くらいは思ってたけど、正直考えたくもなかったし!
「それに正直、ここに留めておくだけのお金ももう底をついて……」
お金のことについて言われるとマジで痛い……。
でも!でもでもでも!
私もっと生きたいよ!?
オチが気になる漫画あるし、好きなアーティストのライブ行きたいし、アイスクリームたらふく食べたいし、韓国にも行きたいし、あとあとあと……。
「確かに、このまま入院させておいても、目を覚ます可能性はゼロに近いですから……懸命なご判断をなされたと思いますよ」
あああああああああ。
毎日病室に来て「今日もかわいいね」って言ってくれた先生。半年近く風呂にも入ってないノーメイクボサ髪でそんなわけねーだろ本物の植物じゃねえんだぞ、とか思っててごめんなさい。
わかった。最近来るたびに先生のため息の数が増えていきてたのは、お母さんと私を殺す打ち合わせしてたからなんだ。
お医者さまは人の死なんてさんざん見慣れてるでしょとか思っててごめんなさい。
だから助けて。お願い。ねえ!
「お母さん、なにか最後に言い残したことは」
え? え? は? ちょ、なにこれ、お母さんの手ぇつめたい。
なんで? なんで? 私の手のほうがあったかいくらい。
「これで最後ね。お母さん、あなたが死んでもあなたのことを思い出しながら生きていくわ。天国から見守っててね」
自分に酔ってんじゃないよ。あなた昔からそういうとこあったよね。
って、え。
「では、外します」
嘘でしょ。
「はい」
待って、私、まだ。
「装置、止めてください」
「はい、先生」
やだやだやだ。
私まだ、やりたいことが、たくさん。
「本当だ……機械を外しても、まだ息はしているんですね」
「数十秒だけですけどね」
そう、そう。息してるの。
私はまだ生きてる。だから。
「死んでも、あなたは私の娘だからね」
死んでない! 勝手に殺すな!
先生、チューブを早く。
早く。はや……あれ……なんか、ねむ……。
……あああ! 寝たらだめだ!
……でも、なんだか、ゆらゆら、ふわふわ、きもちいいな……。
「できるだけ楽に死ねるように、痛みを感じない薬を投与しました」
「ありがとうございます。まあ、笑ってる。どんな夢を見ているのかしら……」
子供の寝顔を見ていると、なんだかこっちまで眠たくなってくる。
襲い来る眠気を振り払い、私は子供部屋を出た。いつもはなんだかんだ言ってぐずるのに、今日はすんなり寝てくれたな。
兄弟が二つ所有しているうちのもう一つの子供部屋から、私が出てくるのとほぼ同時に夫の信行が出てきた。信行はとたんに疲れた顔をして、「寝た?」と尋ねてきた。私も表情を崩し「寝たよ」とごくゆるい言葉のキャッチボールをする。
信行がリビングにあるソファーに深く座りこむと、はあー、と長いため息をついた。私はそれを背中で聞きながら、二人分の晩酌の用意をする。酒のつまみに最高なキムチやイカはあるけど、明日は私も信行も仕事だから控え、代わりに夕食時に子供達が余らせたおかずを二つの缶ビールと一緒に盆に載せた。
私が持ってきた盆の内容を見た信行が、庵の上少し顔を曇らせる。
「なんかもう少しないの、チーズとか……」
「今日買い物行けてないから。ピーマンと挽き肉だって最後だったんだよ」
「だからって、ピーマンだけってねえ」
信行が箸でピーマンをぺらりとつまむ。ピーマン自体は肉厚だが、肉抜きのそれは確かに物悲しかった。私は久々に家族揃った夕食時の光景を思い浮かべた。
「あのねえ、そもそもあなたが甘やかすから……」
「あー、はいはい」
私の言葉を遮り適当に流した信行が、コショウの下味しかついていないピーマンを一口で平らげた。缶ビールのプルタブを開けて、あっという間に半分くらい飲み干す。だから飲むスペース早いって。
私も缶のプルタブを開けつつ、事実を突きつけるように聞く。
「ていうか肝臓の数値そろそろやばいんじゃないの」
信行が酒くさい息をはきながら腹のあたりを叩く。
「だいじょーぶ、休肝日つくってるから」
「休肝してるとこみたことないけど!?」
大声を出すつもりはなかったのに、思わず怒鳴るような口調になってしまった。
信行はいわゆるイケメンではないし、そろそろ頭皮の方もヤバい。デリカシーもないからモラハラ寸前のことを平気で言ったりもする。仕事が忙しい人だから、予定していた家族の行事をほっぽりだされることも珍しくない。
でもたまにまとまった休みが取れた日には、外国旅行に連れて行ってくれる甲斐性と、家族を気遣ってくれる優しさの持ち主であることを私は知っている。こっちが身体の心配をしているのに飲酒や喫煙をしたり、仕事の忙しさにかまけて家族を軽んじていても、最終的には身体も心も私のところに帰ってくると分かっているから、別れられない。
「今度からはビールじゃなくてワインのほうがいいかな……」
「ああ、ワインのほうがビールよりプリン体が少ないって言うなあ」
信行が缶をぐるっと回し見ながら、ぷりんたい……、と漢字になっていないような発音で言う。私も、プリン体って何が語源なんだろうね? あのプリンじゃあるまいし、とろくに回っていない頭で笑う。
っていう夢を見た。
今日、デリバリーで牛丼を頼んだ。
私が愛用する最寄りの店は、店舗のほうがかきいれ時になると、いつもデリバリーでの注文を打ち切る。
時計を見ると十八時過ぎ。店舗に実際行ったことがないので具体的にいつごろ忙しくなるのか分からないが、そろそろ急いで決めなければならなければならない時間帯だった。でもなかなかどうして決められない。
プレーン、おろしポン酢、チーズ、キムチ、ビビンバなどの味の種類から、小盛並盛大盛特盛などのサイズを選べる。あとサイドメニューの有無も。
おいしそうな画像をさらにおいしそうに見せるための煽るための文言に、目が迷って迷って、十分間くらいスマホのデリバリーサイトのメニューとにらめっこしていた。今日はがっつりの気分だからチーズ?ビビンバ?でも牛丼自体がこってりしてるからおろしポン酢?
やがて悩むのにも疲れ、スマホを手に持ちながら、半ば放心してしまった。「……どうすればいいの?」とはまさに今日の私の心の悲鳴である。
こんなことばっかりだ。普段から優柔不断な私は人を待たせる。何か映画を見たくてネットフリックスを開いたはずなのに、見たい映画を探すのに疲れて見るのをやめる。なにかきっかけがないとやりださない。どうすればいいの?
ちなみに牛丼はおろしポン酢にした。なんかカロリー低そうなので。牛丼の時点で低いわけないんだけど。今日はガッツリの気分と言っておきながら、ころころ変わるのもなんだかなあ……。