「現実逃避」
現実逃避をしたくなったら、私はヘッドホンをつける。
そうして大音量でジャン・シベリウス作曲「フィンランディア」をかける。
私の心は、フィンランドの美しい自然を味わい勝利の旅をする。
現実逃避と侮る勿れ。
心は満たされ活力を得る。
さぁ、今日も頑張ろう!
もいもい!
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「現実逃避」
現実逃避をしたくなったら、私はヘッドホンをつける。
そうして大音量で音楽をかける。
重苦しい重低音が鳴り響く。
ここは、帝国に支配されたフィンランド。
地底から、上空から、内外問わず、物体のみならず精神を押しつぶすような音。
おどろおどろしく迫ってくる分厚いそれは、
自国を歴史から消し去ろうとする帝国の圧政であり、凍てつくような寒さであり、飢えであり、
死にたく無いと言う叫びに他ならない。
隣で同胞が苦しい声をあげている。
街で子どもの名前を呼ぶ母の声が聞こえる。
子どもは泣くことすら出来ず冷たくなっていく。
負けて、負けてなるものか。
トランペットが鳴り響く。
フィンランドの諸君よ、今こそ、立ち上がる時である!
ティンパニが加わり、闘争への機運が高まっていく。
力強い歩みを感じる低音が機運を支える。
戦士を鼓舞する上昇音。繰り返される勇ましいメロディ。
私は戦士の一人となり、帝国に挑んでいく。
勝利が見えたその先に広がるのは――――
木管楽器が奏でる美しいメロディ。その後、弦楽器が引き継いでいく。
多幸感に溢れ、どこか懐かしく、そして暖かい。
私の目の前には、フィンランドの美しい情景が浮かんでいる。
針葉樹林に囲まれた幾千もの湖。
清らかな湖と周囲の森のコントラストを何と言えば良いのか。
ビュハ山から見える真白の雄大な大地。
何もかもを覆い尽くす雪の美しさ。
煌めくオーロラ。
夏の沈まない太陽、白夜。
バルト海に面した、自然と融和したヘルシンキ。
こんなにも、こんなにも美しい!
音楽はクライマックスへ続く。
オーケストラは、美しいハーモニーを、戦士への鼓舞を、それぞれ高らかに歌い上げる。
兵士を鼓舞する勝利へのメロディは、活力を産み、
力強くフィンランド自体を肯定し鼓舞していく。
多幸感に満ちた中で楽曲は終了する。
フィンランド人たる私も多幸感、活力でいっぱいになる。
現実逃避と馬鹿にする勿れ。
この湧き上がる活力は本物だ。
さぁ、今日も頑張ろう!
「包丁一本しか持ってないんですか?」
「万能包丁っていうじゃん。一本でいいじゃん~~」
「先輩、それでも女子です?」
「関係なくない!!?」
一言多い人だったと思う。否、料理好きの人だったと思う。
打ち上げの帰り道、酔っ払いの様相そのままに話したり時に叫んだりしてた。明日のご飯作るのめんどい~って勢いのままに言ったら、君は、酔ってるのか酔ってないのか良く分からないテンションで、ご飯作りに行きましょうか?なんて言った。いいよ~うち料理ちゃんとできる感じじゃないしって返したら、そのまんま包丁の話になって。
そうして冒頭のセリフだ。
「これは、正確には三徳包丁と言って、肉も魚も野菜も切れるようにできてる包丁です」
「それぞれ食材で包丁を分けた方がいいですよ」
「包丁研ぎも無いんですか?どうやって料理するつもだったんです?」
並んで料理するようになって、色々教えてもらった。
人参の擦りおろしが面倒くさいと嘆く私に
「その一手間で美味しくなるんだよ。いつも言ってるじゃん」
やっぱり一言多い人だと強く確信する。
野菜専用の三徳包丁で玉ねぎをみじん切り、そのまま弱火で炒める。手早く人参をすりおろす。ずいぶん慣れたものだ。
サラダのためにパティナイフを取り出そうとしたら、視界の端に入った万能包丁。
途中からお肉専用となり万能を名乗れなくなった包丁。散々使い倒され、包丁研ぎの効果も大分薄くなった。今では、ナタのようにしてたまに使われる。
今月末処分してもいいかもしれない。
ねぇ、君。
君は今、何をしているんだろう。
この包丁のこと覚えてるかな?
「あの日をもう一度やり直せるなら」
そう、何度思い返しただろう。
ずっと思いこがれていた。きっかけなんて当の彼方に忘れてしまった。君を一番に理解してるのは私だなんて軽い思い上がりをして、教室での隣を独占して。なんなら一度思いの丈をぶつけて玉砕したんだよなぁ。イベントの1ページとして、日常には関係ないものになっていたけど。
受験の年にクラスが分かれた。東京に出たい、という話はずっとしていたね。自分のことに精一杯で、君の行き先に考えが及ばなかった。私の、行きたくてたどり着いた場所は君の友達の枠からも外れたところだった。
あの日は。
大学に進学して2度目の夏だったけ。地元で好きなアーティストのライブがあって誘ってくれた。東京から帰ってくるって。誘われた時はいきなりで驚いたけどとても嬉しかった。
それにどんな意味があったのか、今でもわからないけど。
感想言い合う帰り道。終演後のテンションは長くは続かずどんどんなくなる会話。
あぁ、これで最後なんだなって、わかった。---うそだ。一挙手一投足にドキドキする気持ちに、これ以上振り回されるのが辛いって。色々言い訳して、自分の気持ちから、逃げた。物分かりのいいフリをした。
「また連絡してね」なんて、最後の言葉。
せめて、再度好きと告げていれば。会えなくなる、と言う結果は同じでも後悔は引き摺らなかったかもしれない。
泣きたくて、でも何もしてない私に泣く資格は無いとわかってた。涙なのかなんなのかわからないものを堪えながら見上げた物憂げな空。
好きだった、好きだったよ。
伝えられない気持ちと一緒にあの空の色、忘れない。
年明け1通のハガキが届いた。
年賀状もLINEで済まし、一人暮らしの我が郵便受けに入るのは、専ら水光熱費のお知らせやDMだ。
見慣れない形状に驚きつつ、おもむろにそれを取り出す。
ハガキだと思ったそれは、正確には圧着葉書だった。
宛先が我が家であることを確認。
差出人は-
「日本学生支援機構」。
訝しみながら開封し2つの数字を確認する。
貸与額と同額の返還額。
無造作に郵便受けに放り込まれていたのは、奨学金返還完了証だったのだ。
思い出すのは、大教室で受け取った分厚いA4の返還開始に関する案内文書。
それとは比ぶべくもない小さなハガキを、それはそれは大事に握りしめた。
毎月27日に記帳されていた重たい数字はもう出てこない。
「0からの」はじまり。
そうだ、お祝いがまだだった。
誇らしさと共に、お気に入りのあのお店にハンバーグ食べに行こうか。
一緒にワインも頼んじゃおう。
同情。
思ったより多様な場面で使っている。
相手ー例えば、家族や友人。同僚や道行く人。物語の中の登場人物などーの、心情を慮ったとき。
相手の悲しみや苦しみの状況や理由について考え、寄り添うとき。
相手に対し例えばそんな考え方しか出来ないのかなど、哀れに思ったとき。
時には、馬鹿にしたような感情を伴う。
同じ言葉を使うけど、場面によって意味が変わってくる。
意味というか自分の心の存る場所が違うのか。
同情。
隣で寄り添うか、上から憐れむなど。そんな場面で使う言葉。
私は好きな人には、隣で「同情」したい。
そして、私に傷を負わせた人には、上から「同情」してやりたい。