2024 5/27 ♯16 〈天国と地獄〉
僕は幼い時からなんで大地獄はあるのに大天国はないのかが不思議だった。死んだら三分の二の人が地獄か大地獄に行くのであれば、大変な話だと思うこともあった。今の僕が幼い僕のその疑問に答えるなら、人生の評価は減点法だからだよ、と答えると思う。
上限がなく、下限はある加点法は最低でも0点だ。人生の評価が加点法だったなら、人の人生は今よりもっと美しく見えるだろう。
一方、下限がなくて、上限はある減点法は最大100点の正解から間違えた分だけ減点される。人によってはマイナス10点の人生になる人もいるだろう。これだと、どうしても間違いが目立ってしょうがない。
僕は僕を加点法で見る。今日もガンバれた自分を称えて10点プラスする。大変だった日はさらにプラス15点。これだと、明日もガンバれるから。少しだけ、地獄が遠ざかったきがする。
2024 5/20 ♯15 〈理想のあなた〉
僕は中学一年生の入学式のときに、
「中学校を卒業する時には、みんなより勉強ができて、運動も手を抜かず積極的に取り組むカッコイイ人になりたい。」
完璧な人間に生まれ変わることを本気で望んでしまった。
本気で望むだけだった。勉強はいつも平均未満で、運動も積極的に取り組みたいと思っていたはずなのに、怠けるために文化部に入たため、ただの逃げた人に成ってしまった。
僕は今年、新しい節目にはいる。やりたいことは沢山あるが、これらを全部、手を抜かずに完璧に遂行するのは無理だと思う。だからいつも優先順位を付けて行動する。これを繰り返していたら、結局できなかったこともでると思う。でも僕はそれで良いと思う。
できなかったことは有れど、やらなかったことは無い人生にしたい。もう、此処で逃げる自分をやっつけてやる。
僕は今、背を大河に向け城を築いた。後は逃げられない自分に宣戦布告するだけだ。
2024 5/19 ♯14 〈突然の別れ〉
突然の別れといえば、今年の四月に祖母の家で飼っていた元野良猫が死んだことを不意に思い出す。
その猫はよく冬になるとコタツの中に何食わぬ顔で入っていた。僕が幼いときにコタツに足を不器用に突っ込んだ時、猫に引っ掻かれたのはまだ根に持っている。そのおかげで、それ以来僕がコタツに足を入れるときはゆっくりゆっくり、コタツの中を必要以上に確認しながら入れるようになった。今となってはとんだ無駄手間でしかないのにこの癖は直る気配を見せない。なぜだろうか。
もしかしたら、本当は猫がいきなりコタツの中から出てきたら、本当は死んでなかったらなんて夢物語を想像する時間を稼ぐためにゆっくりゆっくり覗くのかもしれない。
もうコタツには人の脚しかないのは、言うまでも無い。
2024 5/19 ♯13 〈恋物語〉
本の中の華々しい恋愛は誰しもを魅了させる力がある。例えば、紫式部による源氏物語は今もなお読者を魅了し続けていることが当てはまる。
しかし、僕たちは恋が自分からできる。一度恋が始まれば、人の考えもしなかった恋愛をしてしまうかもしれない。そんな「たられば」の話とは裏腹に、その後に待っているのはただの別れかもしれない。
ある日、友人がパートナーになり、その後突然元パートナーに変わる。僕はそれが怖い。だから、自分と一切関係の無い恋愛小説をを読むんだと思う。
僕は憧れているんだと思う。華々しい恋愛に、コンプレックスを持ってしまっているんだと思う。
どうやら僕は皮肉にも大好きな本を読みあさるうちに、とんでもない劣等感を本に持ってしまったようだ。
ただそれだけ。それだけが今日分かったことであるが、同時に恋に億劫にさせていた何かを吹っ切れたような気もする。
明日からやることはもう決まった。
2024 5/17 ♯12 〈真夜中〉
「おじいちゃんみたいな生活だね。」
と 言われたことがある。この言葉は主に早寝早起きをしている人に向けて言う言葉だ。僕の場合もそうだった。
僕は当たり前のように午前五時に起きて午後十時半には寝るようにしている。だから僕は、全くと言って良いほど真夜中を知らないということになる。でも、僕の周りには十二時まで寝ずに何かをするのが日常になっている人も少なくなかった。
日中は太陽が顔を見せながら東から昇り西へ沈むことは当たり前のことだ。月もそれが夜になっただけだ。
でも僕はまだ真夜中の顔を知らない。本当に真夜中に光るものは月なのかすらもわからないまま今宵も目を瞑る。