誰に何を言われても、心にある想いは変わりようがない。
例え私の知っている彼の半分以上が職業人としてのものであったとしても、彼の人としての本質部分に触れられたから好きなのであって、ただの職業人としてだけであったら、この想いもここまでには育たないと思う。
特に「一緒に人として成長したい」などと思わせてもらえる人は滅多にいないと実感している。彼のたくさんある素敵な部分に触発されるし、色々な部分を受け止めたくて。そして、一日の最後に私が彼を笑わせる事ができたら、とても嬉しい。
あの笑顔に会いたい。
彼が笑った時、顔に浮かぶクシャっとしたシワ一本一本がとても愛おしい。あの笑顔を見ると、私の中の張り詰めている何かが少し緩んでいくのがわかる。彼のくったくのない表情、仕草が好きすぎるんだと思う。もしポートレート写真を撮るとしたら最初に撮りたいのは絶対に彼しかいないしあの笑顔を収めたい!
ただ彼の横で移り変わっていく景色を一緒に眺めながら、笑顔を交わせたら世界で一番の幸せものだと思う。私もきっと笑顔になりたいんだと思う特に彼には。そんな事を考えると切なく苦しくなってしまう。
私の前途多難な運命は「神様だけが知っている」かもしれないし、その実、神様も何もご存知ないのかもしれないと思いながら、今夜もいつもの神社へ彼の幸せを祈願しに行きたい。
この道の先に
一本真っ直ぐに地平線へ向かって伸びていく道に惹かれる。その先に暖かく光る夕陽が浮かんでいたら尚のこと見入ってしまう。ただ一方で、その地平線のその先はどんな道が繋がっているのだろうか?といつも考えてしまうのだ。
道を思い浮かべる時、私のイメージする道は一本道である。おかしなもので、その道が自分の歩んできた人生の象徴であったとしても、やはり一本道しか浮かばない。
自分が今人生の岐路に立っている事は自覚している。ここまで通ってきた道は平坦ではなく、霧に濃霧に覆われた視界のきかない様な中這って通った道は、アリの巣の如く入り組んでいたに違いない。しかしながらここにきて振り返った道は、客観的には曲がりくねった道であったとしても、やはり「一本道」という解釈だ。
つまり、振り返った時に自分で後ろに続く道がどう見えるのかが重要である、という事が言いたかったのではないか?複雑な道をくぐり通りながらも、今全ては正に立っているここへ繋がる一本道だったとそう解釈出来るのは、もしかしたら少し自分が強くなったのかもしれないなどと感慨に耽る。自分を憐れむことにもうエネルギーと時間を割きたくはない、という意思の表れではないかという気もしている。
この先の歩き方を私はまだわかっていないかもしれない。ただわかるのは、気づいたら愛しい人が横で一緒に歩いてくれていて、二人で沈まない夕陽を前に、お互いの心の荷物を支え合いながら歩いていけたらそれが幸せなんだと思う。
情景を思い浮かべて切なくなってしまったと同時に、私はとても欲張りな人だなと呆れている。
前回の窓に続き、今回のテーマ日差しについては上手くまとまらない。
最初の二、三行からタイプしていくうちに話の主軸がそれていき、今回も回顧録のような内容へと展開してしまったので削除した。
削除した今、結局何が言いたいのか混乱している次第である。
一晩時間を置いてみたのにまだ混乱中。
よく文豪が温泉宿などで執筆していたようだが彼らの気持ちがよくわかる。私は別に彼らのように高尚な文を書いているわけでも何でもないが、環境を変えてリフレッシュしないと自分の感覚感情イメージを代弁してくれうる文は構築不可能だと実感した。
何処か旅に出て旅先でゆっくり熟考してみたいと思った。もちろん穏やかな日差しの中で。大事な人への想いも一緒に。
...今日も彼が好きすぎて辛い...けど旅行が楽しかった様で本当によかった。
窓越しに見えるのは...
私が窓越しに見るその先は、自分自身の存在を削り取った同じ世界線上の別世界。窓が切り取ったアートのように楽しめる時もあれば、そこから溢れる日差しを楽しみたくて目を向けている事もある。
窓越しの世界には一つ、ここにはない自由がある。それはいつまでも自分の好きなだけ目に入ったものを眺めていられる様な自由。もしかしたら、ガラス一枚隔てたその先に広がるものを日常の中の非日常としてとらえているのかもしれないし、ガラスという隔たりが私に少し構えずとも、世界を眺めていられる様なそんな安心感をくれているのかもしれない。
ここまでタイプしていて、「窓」というワードは自分にとって重要なものの様だと気づく。そこを切り口にまつわるエピソードが幾つかあり、どんどん枝分かれしていくし又別の文章がまとまりなく浮かんでくるので多少疲れてしまった。そのせいかしっくりいく文章が降りてきてくれなくてモヤモヤしてしまう。
そもそも窓の外を見る事があまりにも日常の一部になっていて、こうして改めて考える機会も無かったので、今回のテーマは又気力があれば考えたい。
しかし心が重い。今日もずっと窓を通して自分の過去を振り返ってしまい、晴れ渡る空を眺め何とも言えない気分に昨日より浸ってしまっている。
雨の夜の独り言
「会いたい」と今思う人はたった一人しかいないのに、そのたった一人に会えない事が苦しいなんて。わかっている事のはずなのにどうして心が痛むのか。
普通に生きることと同じくらい自分の想いをその特別な人に受け入れて貰うことは困難である。人間の三大苦悩という概念がもしあったとしたら、間違いなく失恋、拒絶、別れになるだろう。
こんな事をタイプしながらも、彼は今どうしてるのか、楽しい旅先での時間になるといいなと思ってみたり、ただ寂しいって一言伝えられたらどんなに良いだろうと切望したり、それらが叶わぬ事だとわかっているから落ち込んだり。私の頭と心は今日も忙しい。
きっとそれも全て雨のせいだろう。
彼が何処にいようと、幸せでいてくれたらそれが一番嬉しいのはずっと変わらない。