寝ても覚めても想うのは私の好きな想い人。
一緒に側にいてくれた時も、ただネットで繋がってる今も変わらず好きだ。困るのは、彼の笑顔がとても恋しくて一緒にいた時感じていた温かい空気感も、彼が心で対話をしてくれていた時間全て忘れられなくて。それら全てはもう過ぎ去ってしまった去年のお話で、今は彼の笑顔にも会って言葉を交わしたりも出来ない現実がとてつもなく悲しくて寂しい。
彼のとてもまっすくな心根が好きだ。笑った顔もちょっとムッとした表情も目が輝く瞬間もつい見続けてしまっていたな去年。尊敬する所たくさん持っている人なんだけど、一番素敵な所は人を一人の人間として接してくれる懐の大きさがあるところ。
一番尊敬している所は、絶対絶滅の状況下でも諦めずあらゆる方向からボールを投げ続けていけるタフさがかっこいい!
一番好きでいて良かったと思える点は、彼と一緒に人として成長していけたらいいなと思えるそんな存在である事。きっと彼が側にいてくれたらトラウマなんて気にもならなくなっていくと思う。
何より私が彼を支えたい!良い時も悪い時も。
あーあー。重症ですね。ティーンの様な感性がここまで書いていて痛々しい..そして書いてて彼の指パッチンが聞きたくなって又辛くなってしまった笑
夏
あなたにとって夏とはどんな季節を象徴するものだろうか?
私にとって夏は切ない想いが去来する季節だ。夏を思わせる全て、例えば蝉の鳴き声、青い空にくっきりと浮かぶ入道雲、田舎の祖父母、唯一幸せだった小学生時代、何故か頭を離れない男の子..
といったたくさんの想い達で胸がいっぱいになる。戻ってこない平和で幸せだった一時はもう帰ってこないし帰る由もない。今まで春が一番辛い季節かと思っていたが、夏だと今改めて実感した。
思い出が波の様に次から次へと押し寄せてきて、今とても心が耐えられない程に重く辛い状態になってしまった。
思い出がたくさんある事はある意味幸せだと思っていたが、近年は思い出こそが自分を苦しめる要因と化している事に気づいてしまった。
そして、お伽話の様なハッピーエンディングも勧善懲悪なストーリーも、人生生きているとありえ無いという事実に何度も直面する。
其れでも自分の在り方生き方は自分が選んで生きていくもの。それが完全懲悪であろうとなかろうとも、最後に一つ一つの出来事に、どんな色をつけどう解釈し経験や思い出として記憶するのか、それは己次第でどの様にも変容するということを今までの夏の思い出を通して感じた。
良い気づきを得られた夜である
今年の夏はどんな夏になるのだろうか?振り返って綺麗な色を色付けられる様な時間を作りたいものだ。
想いを沈める事は難しいらしい。
というのも、さっき私の思い人にリプしてしまった。もう自分の想いは封印していこうと考えていたのに..
どうしても彼の言葉にとっさに反応している自分がいる。楽しそうなら良かったって想うし嬉しそうなら私も嬉しくて、悲しそうな時は心痛くなっていく。この感覚は彼が去年「お泊まりできない」っていう話をしてくれた時と似ている。気がついた時には「今を楽しまなくちゃ!」と大声で言ってた。あの一言が出た時は自分でも言った事自体に驚いた。それもあんな大声で.
でも目の前の当人は黙って受け止めてくれていたのも覚えてる。その横顔は憂いを帯びていて、彼がその抱えている悲しみを持て余して来たであろう事が想像出来た。あの時、心からこの人は幸せになる権利があるのに、悲しみに浸かり過ぎてそれさえ放棄しているのではないかと思ったのを覚えている。
離れていても定期的にあっていなくても、きっといつまでも大事な人。だって私の心の声を引き出してくれるのは一年以上ずっと彼だったし、今でも彼だけ..他にきっといないのでは?と思ったら、心が少し暖かくなった。
今夜私の中で彼への想いが又強くなってしまった。想いを沈めるどころか掬い取って育ててどうする?自分である。
ここまでタイプしていて恥ずかしくなってきてしまったので今夜はここでおしまい。
唯一無二の人
患者としてしか接した事なのない相手がとてつもなく好きだ、と最近になって曖昧で捉えたくなかった思いを受け入れた。一年とちょっとの間にすっかり心が捕らわれていたと今となってはそう受け入れざるを得ない。曖昧というのも語弊が多分にあって、曖昧なままにしておきたかったのだと思う。
その人は時に先を見通す鷹の様な目を持ち、ある時は5歳ほどの男の子の様であり、ある時は私と同じ絶望の淵に立っている様にも見え、私にいつもその真っ直ぐさでインスピレーションをくれる稀有な存在だ。
この想いは相手にはとても迷惑なもの厄介なものである事は重々承知しているし、自分でも本当にどうかしてると自分をせせら笑いたいくらいだ。
交わることの許されない想いは出来るだけ胸の奥深く、底深い所へ沈めておこう。私でさえも届くことのない光の当たらない場所に。そしてそれが風化してしまわず今の情熱を帯びたまま誰の目にも触れられることなく永遠に私の奥で眠らせておかないと。
それくらいしないと沈めて置けるかわからない。それ程に大切な人なのだ。
綺麗な風景を目にした時、誰かと心が繋がった様に感じた時、ふと一年後の自分はどこで何をどう感じ生きているのか思いを巡らせる事が多い。思えば幸せだという感覚を充分味わう前にこういった思考が頭によぎり不安で頭がいっぱいになってしまう。
一年後はせめてもっと笑って、歌って、体動かして好きな事を好きと思える自覚出来る自分でありたいものだ。