ここ最近ずーっと晴れていて、だから、布団にくるまって、スマホばかり弄っていた。カーテンを閉めていても入ってくる陽の光が怖くて、私を責めるようにジリジリ焼いて、黒い汁にまで溶かしちゃうような気がしてた。
業者さんに発見されたら、人の形になってるのかな。私の形は、ベッドにくっきり残って、写真を撮ってくれるのかな。
そんな風に思うと、少しだけ悪く無い。生まれて初めて世間に爪痕を残せるような、そんな気持ち。
でも、今日の朝は違った。いつものように朝日が私を虐めてこない。音楽を止めても、耳鳴りが聴こえなかった。それは、外の音のおかげだった。
今日はカーテンを開けられる。ザッと思い切り引っ張ってやると、予想通りの良いお天気だった。雨雲が街を覆って、ざんざんと降る水滴が何も見えなくしてくれて、何の匂いもしない。
外に出よう。風呂に入ってなくても、髪がボサボサでも、部屋着のままでも、すっぴんでも。雨が包んでくれるから、傘が隠してくれるから。
みんな、雨に気を取られて、私を見ない。濡れたくない、寒い、って、みんな早足で、私を見ない。
家よりちょっと離れた場所の自販機で、大好きなメロンソーダを買った。今日の私はすごい。いつものメロンソーダが、すごく幸せで価値のある、ご馳走に見えた。
近所の海に浮かぶ小島には、赤い鳥居が建っている。
小島は岩で出来ていて、とても神様はいそうにない。
ぼくは波打ち際の岩にしゃがみ、それを眺めていた。
背景の空は灰色の雲に覆われて、ぼくの心と一緒だ。
鳥居も沈んだ色になり、胸を打つ鮮やかさは消えた。
ふと、小鳥が三匹、飛んできた。なんて名前だろう。
名も知れぬ小鳥たちが鳥居に留まって、鳴き出した。
ぼくも一緒に泣いた。小鳥たちが掻き消してくれた。
すると、瞼の裏が明るくなった。ぼくは目を開けた。
鳥居が光っている。雲を裂き、陽が顔を出していた。
赤くて、周りの青と灰色を置いてけぼりにするそれ。
それの奥から、神様が顔を覗かせたような気がした。
いっぱい泣いて、反省したから、許してくれたんだ。
ぼくは手頃な石をポケットに入れた。小島の代わり。
この石の中の小さな神様に、ぼくを観てて貰うんだ。
ぼくは生まれ変わる。二度と母さんを泣かせないぞ。
鳥居に差す光が広がっていく。ぼくは決意を固めた。
終点より二駅前で降り立った。他に三人降りて、僕の前を背を丸めて歩いてる。
エレベーターもエスカレーターもない。老人が、一段上に杖をついて、腕に力を込めて、脚を持ち上げて、階段を登っていた。キャリーバッグの女性が、一段ずつ、バッグを持ち上げている。手伝おうかとも思ったが、僕の存在で旅の思い出を汚してはいけないと思って、やめた。
出場と書かれたICカードリーダーに、カードをかざす。ポップな電子音がした。この駅で、見たことも聴いたこともない光景だ。最近追加されたのだろう。最近といっても、ここ二十年ほどか。
駅前は変わっていなかった。こぢんまりとしたカフェが一軒、居酒屋が一軒、それ以外は何もない。カフェのマスターは穏やかな低い声の、初老の男性だった。今もまだ、彼はいるのだろうか。覗く勇気は無かった。
大通りの様子を見ることにした。道をまっすぐに進む。はっきりいって、怖かった。だが、僕にとって必要なことだった。
小道を通って、広い道へ出た。視界が拓ける。
そこには何もなかった。店も人もない。果てまで続いているのは、シャッターの閉まった店の跡で、かつての賑わいの、名残のみだった。
僕は、目を閉じなくても、二十年前を思い出せた。そこに煎餅屋があって、隣には怪しげな服屋があった。観光客向けの土産屋に混じって、町に住む人向けの八百屋があって、しゃがれた声のばあちゃんが接客そっちのけで常連客と話してた。ふたり並んで団子を食べている女学生がいて、「おいしい!」「こんなの初めて食べたよ」って、はしゃいでいて、自分のことのように嬉しかった。
そして、君がいた。えくぼをくっきりとさせて、僕に手招きをした。
僕は、手招きをされるまま、この大通りを駆けたんだ。少し坂道になってきて、赤い三角コーンが目印の曲がり角を曲がって、細道を慎重に早足で進んでいく。そしたら、
そこには何もなかった。君の家は、もうない。
僕は、廃墟を眺めた。これは、かつて君の家だったのか、それとも、君の家がなくなった後、新たに建てられてまた廃れた家なのか。それすらも定かではない。
でも、ここに来た目的は達成した。僕は、君のことを思い出せた。柔軟剤とほんのちょっと汗の匂いがして、僕の手を引く時、手のひらはしっとりしていて、坂道を駆け降りる時の声はきゃらきゃらと、風鈴のようだった。
帰ろう。
もう一度だけ振り返った。道路を跳ねるサンダルの音がふたり分、聞こえた。
鏡は自分を美しく見せる。
それを知ってから、メイクのあとの最終確認は、カメラで自分を見ることにしてる。
私ってこんなに面長で、死にそうな顔してるんだって、現実を突きつけられる。
世の中で美人って言われてる子たちは、カメラで撮られても美人だ。それに、私の目から見たその子と変わりない。ということは、本物の私は、この私?この、スマホの内レンズが映し出した、画面いっぱいに見えるブサイクが、本物の私?
加工じゃだめだ。虚構の中で美しくたって、本物の私は変わらない。だから、
「カメラよカメラ。この世で一番美しいのは誰?」
って、怖がらずに訊けるように、いっぱいお金を貯めるんだ。
チーズ、パティ、チーズ、パティ、チーズ!バンズで挟んで 特製バーガーの完成だ。噛み締めると口内に染み渡る肉汁とチーズのまろやかさ。コーラを挟めば酸味と弾ける泡に味覚をリセットされる。またバーガーに齧り付く。一口目みたいに旨い。いくらでも繰り返していられる。
夜勤明けのストレスが吹き飛ぶ……までは行かなくても、かなり軽減されるルーティーン。この時だけは、生きてるー!って実感できる。
そして、ようやく緊張が抜けて、血糖値の急上昇によって襲いくる眠気。
ベッドに横になった時、意識が落ちる前の、考え事タイムが苦手だ。だからこうして、一瞬で意識を失くすほど、飯をかき込むのが良い。
ほら、心地よい。柔らかいお布団が包み込んでくれる。何も考えなくてもいい。健康診断の結果なんて無視無視。今を、生きるんだ……。