ささやかな約束
「小さい頃の約束など覚えていない。」
それはどんな時、どんな内容であっても絶対に覚えていられるという確証などない。その時の約束がどんなに大切であったとしても。
そのせいか、どうしても思い出せない約束がある。名前も顔も覚えていない、本当に小さい頃の約束。それは大切な約束だったと思うのに、何の約束なのかが分からない。その約束と同時に、約束した相手のことも大切だった。
その一瞬の約束でさえ、最初は気まぐれだったり、興味半分だったのかもしれない。それでも、時間が経てば大切な約束へと変わっていく。
あの時、私と約束した相手はたぶん気まぐれだった。それでも、あの人は私を選んだ。私の顔を瞳に映して、真剣な表情で。
それなのに、私は約束の時間に行ったのか、行かなかったのかも覚えていない。いや、きっと行っていない。そんな気がするのだ。それに、その約束の時間を記した紙でさえ、どこかに消えてしまった。あれは、大切な約束だったのか、大切じゃなかったのか今ではもう分からない。
ただ、今ではあの約束の内容も相手の顔も知りたいと思っている。だからきっと、今の私だけの大切な、ささやかな約束なのだろう。
一輪のコスモス
母にコスモスを送ったことはまだない。母の日、もしくは秋になるとふと何か贈ろうかと考えることがある。しかし私は母にコスモスを渡す勇気がない。
母の日といえばカーネーションだが、私にとってはコスモスなのだ。カーネーションはとても華やかな花だが、どこか自分の中の母のイメージと違うように感じる。もっと落ち着いていて安心できる、そんな花が似合うと思うのだ。それが、コスモスだと思っている。しかし、コスモスは春には咲いていない。だから、いつも諦めてしまう。
だが、去年の秋にコスモスを母に贈ることができた。学校の授業で紙を使ってコスモスを作る課題が出た。絶対にうまく作ってやる!そう、意気込んで真剣に取り組んだ。
とても満足のいく作品に仕上がった。それを、学校の行事で展示し、見てもらうことができたのだ。とても嬉しかった。これが、母に贈った最初の一輪のコスモスだ。
既読がつかないメッセージ
息をひそめて機会をうかがう。これは、送ってはいけない言葉だったろうか。既読がつかないと、何か良からぬことに巻き込まれているのではないか。心配性の人間である私は、既読が10分経ってもつかないと心配になって何度も何度も送ってしまう。そして、ようやく既読がついたとき、一瞬だけ安心するのだ。その後に返信がないと、また心配になって居ても立っても居られなくなる。
私は既読がつかないことが、恐怖で仕方ない。相手がどう思っているのか知りたくても顔が見えないし、どこで何をしているのかも分からない。メッセージを送るときですら、何度も読み返して相手がどう感じるかを考える。しかし、送ってみなければ分からないのだから、何度読んでも答えにはたどり着かない。
あ〜、早くこの心配性をなんとかしたい…。メッセージを送ったあとは毎回、この言葉が浮かんでくる。
こんな調子で毎日やっていると、頭が痛くなりそうだ。変えられるものなら変えたいが、難しそうだな。これも私自身の良さだと思い込んで、また新しい一日を始める。
「今日って暇?」
そう一言送って返ってくる言葉を待ち続けるのも、考え方を変えると楽しいかもね。
秋色
秋といえばオレンジ色…橙色といったほうが良いか…
ふと思った。なぜ秋は温かい色(橙色)のイメージがあるのだろうと。
「孤独の秋」という言葉がある。それならば、温かみのある色でなくとも良いではないか。寂しさを感じるという意味の「孤独の秋」。だんだんと寒くなっていくから、だから孤独という言葉を使うのか。それとも、別の意味があるのか。
私は不思議でならない。なぜ、秋は温かさと寂しさの両方を持ち合わせているのかと。
焼き栗や栗ご飯、焼き芋や焼きりんご。どれも秋の温かさを感じる。まあ、それが一番か。グダグダ考えたところで、秋を楽しめない。美味しいものを食べまくって…ってすると「食欲の秋」で食べすぎて太るのが定番だ。
秋は夏の終わりを思わせる。だからきっと、その楽しい夏に寂しさを感じるのだろう。それをかき消すために食べまくったり、読書をしたりするのかもしれない…。
空白
最近、文章を書いてなかったからその期間は空白っちゃ空白だよね。やらなきゃいけないことほどやりたくなくて、どんどん時間が過ぎていってしまう。そして、あっという間に半年経ってたりする。
嫌な人には会いたくないのと同じで、嫌な気分のときは家から出たくなくなる。なるべく人と関わりたくない。
私自身、文章を書くのは好きだけど、それでも空白の時間はできてしまう。全てを好きな時間にまわせない。平日は忙しくて書けないから、だんだんとストレスが溜まっていく。負の連鎖と言っても良いんじゃないか。このサイクルはあまり好ましくない。だって好きなことができないのだから。
でもその一方で、平日は好きなことを我慢をして、休日は楽しことをやりまくるぞ!なんて言い聞かせて頑張ろうともする。そう考えると、空白の時間も大切なのかもしれない。ただ単に好きなことばかりやっていても、飽きるだけだろうし。
とは言ったものの、やはり好きなことはやりまくりたいというのが、私の願望ちゃ願望ですね。