「奇跡をもう一度」
私は何度も死を繰り返している。
自殺未遂を図り、橋の上に立った時、窓から飛び降りた時、薬を大量に服用し倒れた時。
そのたび死ぬことはできなかった。
自分に勇気がなかったそれだけの事かもしれない。
だが、私はたくさんの人に救われた。
自殺未遂を図り橋の上に立った時には、もう歩くのもやっとにみえるお爺さんが走って私を橋から引きずり下ろした。
窓から飛び降りた時、骨折はしたものの、命に別状はなく生き残ってしまった。
母が急いで病院に連れて行ってくれ、学校でも、家でも怒られ、心配してくれた。
薬を大量に服用し、意識を失い、病院に運ばれた時もそうだ。あんなに薬を飲んだのに後遺症も残らず今もこうして暮らせている。
病院の先生は父のように叱りながらも心から心配し、もうやらないようにと強く念を押された。
私は何度も人に救われている。
私の日々は、人生は奇跡の連続だ。
あの奇跡をもう一度などもう願うことはない。
願えるうちは、まだ命があり、幸せだということを知っている。
私はその奇跡をもう願うことができない存在を知っている。
あの日、屋上の上から友人が言った。
「一生に飛び降りようか」
私は返事を断り、友人といろんな話をした。
その日は、友人も私も家に帰り眠りについた。
だが、後日友人が本当に飛び降りて死んでしまった。
友人に奇跡は訪れなかった。
奇跡をもう一度、そう願える幸せを。
奇跡を感じることが出来る大切な時間を。
私は毎日感じて奇跡の日々をこれからも生きていく。
「たそがれ」
暑さがおさまり、夏が終わる感じがする。
道端を見るとそこには枯れたひまわりがいた。
くたびれ下を向き、命尽きるのを待っている。
その姿は私のように見えた。
夏には太陽のような笑顔でみんなを元気づける。
私はひまわりが、夏が、嫌いだ。
私は日陰が好きで、静かな夕方、午前四時の閑寂な街並み、夜の真っ暗な海、そんなものが好きだ。
この日のひまわりは違った。
誰も見向きもしない。道端にうずくまるような姿。
その漂うような哀愁、それでいて見守っているような優しい寛大な優雅さ。
私は初めてひまわりが好きになった。
夕方のなんだか切なくなる気持ち、ひどく静かで侘しいこの時間。
ひまわりと一緒にならんで夕日を見てたそがれた。
この日の夕日はとても綺麗なものだった。
「また明日も」
目の前が真っ白になる。
呼吸が上手くできない。
さっきまでの自分が嘘のように過呼吸になる。
地面にうずくまる。
涙が止まらない。
手足が痺れる。
苦しい、苦しい、くるしい。
この日々はいつまで続くのだろう。
いっそのことこのまま。
そう願って息を止める。
だが、私は息を吹き返す。
胸が大きく弾み、吸い込んでは息を吐く。
なぜこの苦しみに反抗するのか。
今、私は生きることを願ったのだ。
きっとまた明日も明後日も、
私は生きていくことを選ぶ。
生きながらえたいと思うこの矛盾。
その行為に希望を感じた。
生きる理由はいつでも近くに存在する。
「静寂に包まれた部屋」
眠りから目が覚める。
目を開いているのにそこにあるのは真っ暗な暗黒。
声が出ない。体が動かない。
なにかに縛られたかのように体の自由が奪われる。
また、目を閉じる。
そこにも同様に真っ暗な暗黒があった。
いつまでもどこまでも闇が広がっている。
私はひどく不安に襲われた。
このまま死んでしまうのだろうか。
そのとき、部屋に蛍光灯の光が射し込んだ。
母が部屋に入ってきて、
「カレーできてるよ。」
と私に言った。
部屋にカレーのおいしそうな匂いが漂ってきた。
その瞬間、恐ろしく不安に思えた闇が晴れ、体が軽くなった。
母の陽気で明るいその声は、
静寂に包まれた部屋を一瞬にして光で包んだ。
「別れ際に」
別れ際に、
「またあしたね」
と言える当たり前の日常。
いつも傍にいて、それが当たり前になって、おはよう、おやすみも言わなった。
当たり前に明日も傍ににいてくれる。
そんな当たり前。
いなくなってからでは遅いのに。
いつも私はそんな当たり前に甘えてしまっている。
いなくなってから気づく。
ふとした時の横顔、おいしそうにごはんを食べる姿、まくらに残る匂い、大きくて吸い込まれる瞳、あたたかくて優しい声。
日常のどこを見ても君ばかりが今も存在している。
私の日常にもう当たり前の君はいない。
別れ際にもっと抱きしめて、涙を流して、
大袈裟に毎日毎日感謝の気持ちを伝えればよかった。
今はもうない別れ際の君の笑顔が忘れられない。
君の残したすべてが私の人生。