遠くでバイクのエンジン音が聞こえた気がして、ふと外に意識が向く。いや、バイクが走ってること自体は珍しくないけれど、近付いてくる音がどうにも聞き覚えがあるような気がしてならなかった。
瞬間、ぴんぽんとスマホがメッセージを受信した音を立てる。
『まだ起きてる?』
届いたそれにハッとしてカーテンを開けて窓を覗く。家の前にいる人影を見たその瞬間、画面がメッセージから電話に切り替わった。慌てて通話を押せば、時間帯を気にした絞られた笑い声がくつくつ聞こえる。
「急にごめん、どうしても会いたくて…。ね、ちょっとだけ抜けて来られない?」
電話口の台詞と同じように、彼がひらひらと2階にいる私に手を振った。
"耳を澄ますと"
あそこで教師に全速力で追いかけられているヤンキーは、出会った幼稚園の頃から高校生の今もずっと変わらず私のことを名前にちゃん付けで呼んでいる。
"二人だけの秘密"
「お前、何大きな声を出しているんです」
ぎゃんぎゃん声をあげていた女の腕を掴んだ彼に、あっと声が出た。彼にも聞こえたらしくそこでようやく私たちに気付いてにこりと笑みを浮かべる。
「失礼しました、皆さん怖かったでしょう」
「うん、怖かった…」
「来てくれてありがとう…」
「どうしようって思ってたの…」
「はァ!?かまととぶってんじゃねーし!言っとくけど、幼馴染みだからって調子乗んなって先に喧嘩売ってきたのあいつらだからね!」
いまだにぎゃんぎゃん騒ぐあの女にハイハイとおざなりに返しながら「それでは、失礼します」と私たちには柔和な笑みで丁寧に頭を下げて、彼は去っていく。あの女の腕をしっかり引いて。
それをぼんやり見送っていると、あの女が振り返って私たちに中指を立てた。やっぱ許せねえよあの女。
"優しくしないで"
「何色から色とりどりっていうと思う?」
「虹が七色だからその辺りからじゃない」
「成る程…じゃあ花屋で困ったように笑ってた人は最終的に花を7種にまで絞ったと仮定しようかな」
「世界に一つだけの花の考察してる感じ?」
"カラフル"
「主、大丈夫ですか」
布団に横になっているであろう主人に襖越しに声を掛けると、少しの間の後ぱたぱたと畳を手で叩く音が聞こえた。「大丈夫ではない」の意だろうか。「聞こえている」という合図だけかもしれない。とにかく、余程体調が悪いらしい。
年頃の女性である主の寝所においそれと近付くのもいかがかと遠目に窺っていたが、流石に折を見て声をかけるしか出来ないのももどかしくなってきた。かといって、せっせと食事や看病と世話を焼く侍女たちの手伝いは経験不足で却って邪魔になるだろうし、そもそも本日の警護番として不用意にここから離れるわけにもいかない。
ふむ、とひとつ唱えて考える。考えて、考えて、ぽんと思い付いた。
「主、宜しければ膝をお貸しましょうか」
以前より甘えの一環なのか主が「膝枕して」と老若男女問わず数多の従者に声を掛ける姿を幾度も見ていた。「はしたないですよ」と窘められる姿も同じ数ほど見ていたが。幼少の頃ならまだしも近頃はいつものことかとまともに取り合って叶えてやる者も滅多にいないのだ。まあ、とはいえ体調が悪い時くらい構うまい。そう思いつつ、そろりと声をかければ。
「えっいいの!?」
瞬間見えたのは、ぼさぼさに絡まった髪と、いつもより随分と青白い顔。体調不良は一目見て明らかだ。けれど、がたがた、がたんっと。主はそんな喜色に満ちた声とともに襖から飛び出てこちらに顔を見せてくれた。
驚きや心配よりあまりの執念にちょっと引いたのは秘密である。
"楽園"