ぱくぱくと何度か口を開閉させて、けれど結局何も言えずにぐっと息を飲み込む。言いたいことはたくさんあるのに何一つ出てきはしない。それでも涙は止まらなかった。
すると、そろりと私の目元に何かが当たった。顔をあげれば、友達が目の前で少しバツが悪そうに眉を下げている。
「ごめんね、今日ハンカチなくて」
流れ落ちるばかりの私の涙を自分の袖を引っ張って拭ってくれながら、そう言った。
"言葉にできない"
「春だなぁ、ほら綺麗だぞ」
「もう、そんなにアピールしなくても私はいつでも先輩のこと綺麗だと思って見てますよ」
「俺じゃなくて桜を見ろ」
"春爛漫"
ただひとつ微笑めば、誰もがあいつに優しくなった。ただひとつ溜め息を溢せば、誰もがあいつに手を差し伸べた。ただひとつ頬を膨らませれば、誰もがあいつの味方をした。ただひとつ、ただひとつ、ただのひとつ。そのひとつで、あいつは全てを手にする女だった。
「覚悟しておいてくださいね」
俺の手を掴んで、異常な至近距離で、それはそれは美しく、微笑んで。
あ、食われる。
本能的にそう思って、ゾッとした。
"誰よりも、ずっと"
国も傾くといわれるこの顔面でとびきりに微笑む。瞬間、目の前の男がぎくりと体を強張らせた。その隙に手を握りぐんと距離を詰める。
「私、これからも貴方の腐れ縁に甘んじるつもりはありませんよ」
覚悟しておいてくださいね、と耳元で囁けば。男は赤くなるでもなく、慌てるでもなく、ただただ青い顔で「ひ、」と微かに呻いた。
"これからも、ずっと"
「帰り道にカレーの匂いがすると無性にお腹空くよな」
「うちおかんが今日カレーって言ってた」
「いいな。俺もカレー食べたくなってきた」
「じゃあうち来る?親も兄もばあちゃんも皆ちゃんといるよ、カレーだから」
おかん絶対いいよって言うだろうし、と提案して気付く。初めての彼氏を家に呼ぶ理由が「今日カレーだから」なことあっていいのか?いいわけなくない?
「ご、ごめん」
不躾な提案を、と謝りかけたその瞬間。
「…それは…ちゃんとお土産買って、ご家族に迷惑じゃない、タイミング…がいい…」
ぼそぼそ聞こえるどこか掠れた小さな声。暗くなりつつあるのにやけに赤い顔をしているものだから、笑ってしまった。
"沈む夕日"