小説家X

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9/25/2023, 11:01:50 PM

『窓から見える景色』

 電車に揺られながら感じるのは秋の空気。徐々に減速し、ホーム側のドアが開くと、金木犀の香りが鼻腔を満たす。行き違いの電車を待つらしく、暫くこの駅に停まるようだ。葵は背負ったバッグから一眼レフを取り出す。
 この時間に電車を利用する人は少ない。平日の活動時間が曖昧な写真部だからこそ、人のいない電車に乗ることができるのだ。葵はカメラを構える。
 レンズの向こうにあるのは、人のいないプラットホーム。金網フェンスの隙間から金木犀がこちらに顔を覗かせている。カメラを構え、1ミリも動かずに周囲と一体化して、葵はその瞬間を待つ。秋を感じさせる肌寒い風が止んだその時、シャッターを切る。西陽を受けて咲き誇る金木犀が、風に揺られる様子をしっかり画角に収め、葵はまた車内の席に座る。良い写真が撮れた、という達成感が心地好い。
 電車がまた動きだす。車内の窓から秋空を眺めながら葵は思う。秋という季節は短い。来年の今頃は受験勉強に追われているだろう。一度きりの高二の秋、沢山写真に収めたいな。雲一つない空の青に吸い込まれるような気持ちになった。
 電車から降りた葵は、秋の夕暮れに呟いた。明日の部活で皆に写真を見せよう、颯斗君は何て言ってくれるかな。

9/25/2023, 12:54:34 AM

『形の無いもの』

 形の無いものを写真に収めたい、というのは写真部部員として颯斗が今最も興味を持っていることである。
 たった五人しかいない写真部では皆で活動するのは週末だけで、平日は各自好き勝手に写真を撮るばかりである。憧れの先輩目当てで入部した颯斗としては少し思っていたものと違う所もあるが、入部して二ヶ月、なんだかんだ写真の世界にはまりつつある。ある程度の基礎知識は先輩達から教わったのであとはひたすら撮り続けて上達するしかない。
 授業終わりのHRの後、部活に向かう生徒達の波から外れて、颯斗は一人西の芸術棟へ続く階段を上る。本館の喧騒が嘘のような芸術棟の静けさが、ドアの開閉音を虚しく響かせる。ドアの内側、写真部の部室には誰もいなかった。あるのは幾つものホワイトボードと、それに貼られた過去の入賞作たちである。
 颯斗にとって、歴代写真部の先輩達が生み出したこれらの作品を眺めるのは勉強のようなものだ。入賞作だけあってどれも美しく洗練された写真なのだが、その中でも颯斗が一番好きなのは、やはり現部長の葵先輩の作品である。この学校の渡り廊下を我が物顔で歩く野良猫と、それを眺める生徒達の写真だ。 生徒は足しか写っていないのに、皆が猫を見ていることは分かるのが不思議で仕方ない。校内に猫、というイレギュラーを楽しむ葵先輩の様子も伝わってくるようで、凄く好きだ。
 その時、突然背後でパシャとシャッター音が高らかに鳴る。驚いて振り向くと、心底楽しそうに笑う葵先輩がいた。
「なんで急に撮るんすか」と尋ねると
「いやー、私の写真を熱心に見てる後輩が可愛いなーって思って」と悪びれる様子もなく答える。呆れた顔をしてみせる颯斗に、先輩はカメラの画面を向けた。
 その写真を見て、画面に映る自分の表情に驚いた。自分はこんな顔で先輩の写真を見ていたのか、と少し恥ずかしくなる。斜め後ろから颯斗の視線をなぞるような構図となっているその写真は、被写体である颯斗の感情を包み隠さず表現している。形の無いもの、例えば感情だったり空気感だったりを撮る技術はまだ颯斗には無い。その点、この葵という先輩はそういった目に見えない何かを写し出すのがとても上手い。だからこそ、颯斗はこの人を尊敬し特別に想うのだ。
「ところでさ」と葵先輩が口を開く。颯斗が目で続きを促すと、葵先輩はにやりと笑って言う。
「颯斗君は本当に私のこと大好きだよねー」
一瞬声にならない声を出してしまった颯斗は、すぐさま「うるせー、ばーか」と返したのだった。

9/20/2023, 2:12:32 PM

『大事にしたい』

 高校一年の入学式。多くの生徒が新たな環境への期待や不安で緊張しているであろう日に、ベランダの柵をぶっ壊したヤバい新入生がいる、という噂はすぐに学校中に広まった。勿論、その噂の新入生である坂﨑 颯斗(さかざき はやと)も故意に壊したわけではなく、偶然もたれかかった柵の木材が腐っていただけなのだ。それでも運の悪いことに、颯斗は第一ボタンを開け、ポケットに手を突っ込んだままの姿勢で柵を壊してしまったので、端から見れば立派な不良に見えたことだろう。実際はただ少し態度が悪いだけの一年生なのだが。

 入学初日から職員室に呼び出された颯斗は、初対面の先生のお説教に飽々していた。恐らくそれが顔に出ていたのだろう。先生は溜め息を一つ吐くと「少し待ってろ」とだけ言って何処かへ行ってしまった。流石の颯斗でも一人で職員室に取り残されるのはきまりが悪く、辺りをきょろきょろと見回していると、先生は一人の女子生徒を連れて思いの外早く帰ってきた。

 明るい髪色のショートボブに丸眼鏡がよく似合うその女子生徒は、颯斗をちらりと見ると、ポケットから一枚の写真を取り出して颯斗に渡した。無言で渡された写真に目を落とした颯斗は思わず
「すげぇ」と呟いた。それは先程颯斗が壊した柵と、その上に止まる雀の写真だった。柵に生えた苔でさえ雀を引き立てていて、素人の颯斗にも分かる素晴らしい写真だった。
「葵(あおい)は写真部の部長なんだ。こいつの手に掛かればどんな物でも凄い写真になるんだ」と先生が説明しているが、そんなこと颯斗にはどうでもよかった。ただ、今手の中に収まるその写真の世界に見惚れてしまって、颯斗はもう一度葵の顔を見た。
少し恥ずかしそうにペコリと会釈するこの先輩の姿を前に、何故だか胸が熱くなった。
 
 颯斗はさっき自分が柵を壊したことを反省もしていたが、それ以上に今はこの葵という先輩に出逢えたことがとても嬉しかった。これからこの人をずっと大事にしていきたい、そう思った颯斗は、手に持った写真の中の雀に含羞んだ。