小説家X

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『形の無いもの』

 形の無いものを写真に収めたい、というのは写真部部員として颯斗が今最も興味を持っていることである。
 たった五人しかいない写真部では皆で活動するのは週末だけで、平日は各自好き勝手に写真を撮るばかりである。憧れの先輩目当てで入部した颯斗としては少し思っていたものと違う所もあるが、入部して二ヶ月、なんだかんだ写真の世界にはまりつつある。ある程度の基礎知識は先輩達から教わったのであとはひたすら撮り続けて上達するしかない。
 授業終わりのHRの後、部活に向かう生徒達の波から外れて、颯斗は一人西の芸術棟へ続く階段を上る。本館の喧騒が嘘のような芸術棟の静けさが、ドアの開閉音を虚しく響かせる。ドアの内側、写真部の部室には誰もいなかった。あるのは幾つものホワイトボードと、それに貼られた過去の入賞作たちである。
 颯斗にとって、歴代写真部の先輩達が生み出したこれらの作品を眺めるのは勉強のようなものだ。入賞作だけあってどれも美しく洗練された写真なのだが、その中でも颯斗が一番好きなのは、やはり現部長の葵先輩の作品である。この学校の渡り廊下を我が物顔で歩く野良猫と、それを眺める生徒達の写真だ。 生徒は足しか写っていないのに、皆が猫を見ていることは分かるのが不思議で仕方ない。校内に猫、というイレギュラーを楽しむ葵先輩の様子も伝わってくるようで、凄く好きだ。
 その時、突然背後でパシャとシャッター音が高らかに鳴る。驚いて振り向くと、心底楽しそうに笑う葵先輩がいた。
「なんで急に撮るんすか」と尋ねると
「いやー、私の写真を熱心に見てる後輩が可愛いなーって思って」と悪びれる様子もなく答える。呆れた顔をしてみせる颯斗に、先輩はカメラの画面を向けた。
 その写真を見て、画面に映る自分の表情に驚いた。自分はこんな顔で先輩の写真を見ていたのか、と少し恥ずかしくなる。斜め後ろから颯斗の視線をなぞるような構図となっているその写真は、被写体である颯斗の感情を包み隠さず表現している。形の無いもの、例えば感情だったり空気感だったりを撮る技術はまだ颯斗には無い。その点、この葵という先輩はそういった目に見えない何かを写し出すのがとても上手い。だからこそ、颯斗はこの人を尊敬し特別に想うのだ。
「ところでさ」と葵先輩が口を開く。颯斗が目で続きを促すと、葵先輩はにやりと笑って言う。
「颯斗君は本当に私のこと大好きだよねー」
一瞬声にならない声を出してしまった颯斗は、すぐさま「うるせー、ばーか」と返したのだった。

9/25/2023, 12:54:34 AM