【海の底】
♫みんなひとりぽっち 海の底にいるみたい だからだれか どうぞ上手な嘘をついて♬
中島みゆきの「孤独の肖像」の歌詞の一節である。
本当の海の底は、やっぱり孤独のイメージ。
ダイビングができるくらいの海なら仲間もいて光もさし色とりどりの魚たちも鮮やかだろうが…
深海の底は光も届かず真っ暗闇、魚たちもじっと息を潜めているような…もっとも水圧が高いから、どれほど生き物がいるかさえわからない。
私は山よりは海が好きだし、死んだら海に還りたいと思っている。
それは海の底が孤独なところだと思っているから。
でも光もささない真っ暗な海の底に沈んでいくのは、やっぱり怖い、淋しい。それは死への恐怖と同じなのかもしれない。
陽の光にキラキラ輝く海は明るく、それだけを見ていれば綺麗で憧れてしまうが、世の中のすべての物は表裏一体。
輝く海の底は真っ暗闇の世界。
人の人生もそんなものなのだろう。
たぶん私はキラキラ輝く思い出を胸にいつかは底へと沈んでいく。
それで良しと心に決めている。
(と言いつつその時がきたらジタバタ沈んでいくのかもしれないが…)
【君に会いたくて】
会いたくても会えない人がいる。
会えないと思うからなおさら思いが募る。
この世にいる人なら何らかの方法を使えば会える可能性があるけど、この世にいない人はどんなに手を尽くしても会えない。
だから余計に会いたい。
それは慕う気持ちが今なおあるからだ。
その一方で
生きているうちに言えなかった文句や不満を言いたくて会いたいと思う相手がいないわけではない。
でもそんなことに時間や労力、感情を使うのはムダなこと。
わかっているけどさんざんな思いをさせられ挙げ句の果てに死んでからまで、その負の遺産に悩まされていると、面と向かって文句の1つも言いたくなるのだ。
しかし、そういう相手を君とは呼ばない。あいつ、お前、とんでもない奴、そんな呼び名が似合うだろう。
だから「君に会いたくて」というのは、私にとって本当に大切な愛おしい唯一無二かけがえのないあなたなのだ。
会って何をするのかと言えば、ただお礼を言いたい、感謝を伝えたい。
生きているときにもその時々に伝えてきたつもりだったけれど、今が最期というときに改めて伝えたかったのだ。
別れは突然である。
だからそんな「君」がいるならば、悔いのないように今から伝えておかなければならないだろう。
でも、あらたまって
「本当にありがとう」なんて言ったら、今、この世に生きている君はきっと「ギョッ」として訝しげに私を見るに違いない。
伝えるというのはなかなか難しいものだ。
【木枯らし】
時代劇、木枯らし紋次郎を思い出す(笑)
【美しい】
ずっと以前、インドで見た夕日がすごく大きくて美しかった。
クルーズ船から見た夕日が美しかった。
山形の湯野浜温泉から見た夕日が美しかった。
青森の不老不死温泉から見た夕日が美しかった。
どうしても私は夕日に惹かれる。
近所から見える遠くの雪をかぶった山が美しい。富士山みたいな有名な山ではないけど、白く染まった山は登れないからこそ惹かれる。
自然が醸し出す美しさは作ろうと思って作れるものではない。
人もまた同じ。
着古した物をまとい、化粧もせずイヤリングもネックレスも身につけてなくても、その人に本来の美しさがあれば、きっとその人は美しいはず。
私もそうありたい。
(高価な物を持たない者のせめてもの負け惜しみですが…)
【この世界は】
ありとあらゆるもの、こと、ひとがありのままに混在しているところ。
生あるもの、無機質なもの
小さな生あるもの、既に亡くなっているもの
人の心で言うなら喜怒哀楽
嫉妬や欺瞞や希望や夢や理想
後悔や懺悔、望みや期待
そういう世界で私はどう生きるのか?
どう死んでゆくのか?
どんな強い意志があっても生きたいようには生きられない
死に方も選べない
この世界の中で見えないものに流されるまま漂うように生きるだけ
それならばこの世界を俯瞰してせいぜい楽しむことにしよう
生あるかぎり