未だ嫁修行

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8/18/2023, 9:53:30 AM

【いつまでも捨てられないもの】

★子どものもの(関わる物)
・捨てられないのよね〰️💦
子ども自身に判断してもらいたいけど帰省しても寝てばかり(泣)だから片付かない
★いつかはやりたいんだけど学びたいと思っていることに関わる物
・いつかはソーイングや編み物をしようと買っておいた本や自学自習しようと思って買っておいた英語の本、いつかは見ようと録画しておいたDVDなど…さてさて、その「いつか」はいつなのか、何月の5日なのか?もしかしたら永久にこない「いつか」なのだろうか?と思うと泣けてくる(笑)
★執着
・やりたいと思う気持ち、やれるはずだという変な自信、きっとやるはずだという根拠のない思い。それら全ては執着なのだろう。執着を捨てられたら、もっと楽に生きられるのではない、もっと片付いたところで過ごせるのではないかと思う。
★自分の命
・自分では解決できないトラブルを思うと、もういいや、生きていても楽しいこともないだろう、いつ死んでもいい、と思うのに…心のどこかでまだ死なないはずだ、死にたくない、と思ってる。自分で自分の命は捨てられない私がここにいる。


8/3/2023, 1:08:10 PM

【目が覚めるまでに】

目が覚めるまでに
私の心の奥の深い悩みが解決していてほしい。
それが叶わぬなら、目が覚めなくても良いのだけれど…

それでも生きていれば目は覚めてしまう。

そして私は深い悩みを忘れたふりしてまた1日を過ごす。

8/2/2023, 2:09:58 PM

【病室】

私は先天性の障害があったので乳児の時にも入院していたらしいが記憶がないので、私にとっての初めての入院は切迫早産の時だった。初めてのお産、初めての入院…安静を言い渡され24時間の点滴生活は私の心を蝕んだ。
ベッドで天井を見ていると天井の模様というかシミというか、それらが虫に見えてきて形を変えて動いてるようにさえ見えた。心細くて不安だったのだろう。
それだけではなく肌掛け布団のカバーに小さな虫がいる、と実家の母が来たとき私は訴えた。私としては本当に見えたので「ほら、ここにいるでしょ!」と言ったが、母には見えなかったらしく、困った顔で私を見た。本当にいたと思うのだが、見えたのは私だけだったのかもしれない。
入院生活は3ヶ月を越えた。産婦人科でこんなに長く入院する人は少なかったので病棟の主になっていた。出産後もすぐには退院できなかった。他の赤ちゃんは1週間で退院していくのに私が発熱したため子どもと2週間いたため、新生児室では頭ひとつ大きくなった我が子がいた。
病室は独特なところだ。重苦しい空気、いろんな病状の人がいるので話す言葉も選ばなくてはならない。そしてなんとも言えない孤独感。頭は暇だから悪いことしか浮かばない。病室でポジティブにいられる人がいたら尊敬に値する。毎日、見舞いに来る家族もあれば1週間に1度も来ない家族もいる。
元気でいるときは、寝ていられるなら入院したい、と思ったりしたが、やはり健康が一番だと教えてくれるのは病室だ。
その後は2度ほど1泊2日の検査入院した。検査を終えて結果を聞くまでは生きた心地はしない。今度こそは痩せて体には気をつけようと自分に言い聞かせるが、異状なし、と言われたとたん暴飲暴食をしてしまう。自分の意思の弱さを思い知る。
そう思うと、たまには病室で反省する時間を過ごすべきなのかもしれない。

8/1/2023, 2:47:33 PM

【明日、もし晴れたら】

あんまり暑すぎるのは嫌だなぁ~

ほどほどの日差しの中を歩いてみる?
それとも木陰で読書?

さてさて、どんな明日になるのだろう

(本当に久しぶり。お題のお知らせが来るたび、今日は書こう!今日はアップしよう!と思いながら気持ちが乗らなかったり億劫になったり暑すぎたり…言い訳だけどね。8月になったので心機一転。たとえ数文字でも何か書いて残していきたい。お題によっては浮かばない時もあるのだけど💦 でも中身のない文章もまた一興、それも私。皆さんの文章を読んで、なるほどなぁ…と頷いたり感動したり…ささやかなひとときを過ごしたい)

7/9/2023, 10:00:27 AM

【街の明かり】

昔、若い頃まさしく青春時代のころ、東京に住む叔母の家を拠点にして都会の雰囲気を楽しんでいた頃があった。せいぜい5日くらいなので本当にお遊び感覚だった。
夕方、叔母の家に戻る電車の中でいつも感じていたのは都会の夕暮れの寂しさである。ネオンやビルの灯りなど、これでもかというくらい街の明かりは煌々と光っているのに寂しく感じていた。
私が一度も離れることなく住んでいたのは本当の田舎、夜は漆黒の闇のような田舎だったのに寂しさを感じたことがなかった。
楽しい時を過ごし叔母の家に帰る1日の疲れだったのか、もっと遊びたいのに帰らなければならない寂しさだったのか。

時は流れて…
ひとりしかいない子どもが進学のため住んだこともない、行ったこともない初めての土地で一人暮らしをすることになり、準備のため一緒にその土地へ行った。用意もすんで子どもひとりを残し帰路の新幹線に乗った。そのとき車窓から見る街の明かりにどうしようもない寂しさを感じ、景色を見る振りをしながらあふれでる涙を拭き続けていた。都会よりもくらい街の明かりなのに、どうしようもなく寂しかった。
そのとき感じた寂しさは若いとき都会の夕暮れの街の明かりに感じた寂しさと同じことに気づいた。
街の明かりに感じる寂しさは結局、自分自身の心の寂しさだったのだ。街の明かりに私の心が映っていただけなのだろう。

今はひとりで遠くに行くことも少なくなったが新幹線でローカル線に乗り換えるとき、時折寂しさを感じる。その寂しさは街の明かりに感じる寂しさではなく、お出かけして楽しかった非日常の世界から、姑や夫がいるところへ帰る寂しさだと思っている。

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