【神様だけが知っている】
私の醜さ
私の嘘
私の涙
私の不安
私の…
何でもお見通しの神様は
こんな私に罰を与えるのか、恵みを与えるのか…
そして私を許してくれるのか…
いつか天上に行き神様にお会いできたら聞いてみよう
神様!
こんな私でも今日も生きています
明日も生きていられますか?
神様だけは知っていますよね
(本当に久しぶりにここに書いた。心が乱れたり、雑事に追われると書くことにも読むことにも体も心も向かわない。書けるということは読めるということは心も体も平穏だという証なのかもしれない)
【あいまいな空】
あいまいな空
私の心を映してる
どっちつかずな気持ち
行くのか行かないのか
やるのかやらないのか
泣くのか泣かないのか
笑うのか笑わないのか
言うのか言わないのか
決められない心
迷って迷って迷って目を閉じてエイ!と
決めて実行したとたんに
これで良かったのか?と悩み後悔しまた心がよどむ
やらないで後悔するよりやって後悔した方が良いと
どこかの誰かが書いたか言ったかした言葉を唱えてみる
雨が降るなら降ってよ!
晴れるなら晴れてよ!
あいまいな空のせいにして
私は今日も迷いの道をとぼとぼ歩く
【好き嫌い】
不思議なもので子どもの頃は食べ物の好き嫌いがはっきりしていてなすの漬け物なんてとても無理と思っていた。
ところが今では自分で漬けて食べている。もちろん今でも苦手な物はあるけれど以前に比べれば食べられるものが多くなった。
しかし人間に対する好き嫌いは別だ。以前は苦手でも、どうにかやり過ごし毎日会う人でもないからとあまり嫌いという感情を持つことはなかった。
ところが年齢のせいなのか、堪え性がなくなったからなのか、嫌だと思ったら、もうイヤ!
好き、はともかく嫌いという感情があらわになってそれを出さないようにするのが苦しくてたまらない。
会うのが週に1度だけの人でもそれさえしんどい。
食べ物なら食べなきゃ良いだけだけど人間となると、なかなか難しい。目は口ほどに物を言う、というが私の全身から「あなたが嫌い」オーラ全開したらどうしようかと思いつつ、今日も会議でその人に会ってきます。
【街】
私はこの街が嫌いだ
生まれも育ちも嫁ぎ先も同じこの街
誰かがくしゃみをすると、直ぐに伝わるような狭い街
土地が狭いのではなくて住む人の心が狭いようなこの街
見えない視線があったり、さりげなく干渉されたり…
親睦という名で行事に参加させられて、拒否すれば影で悪口言われそうなこの街
結束が良い?
そんなのは表面だけ。
地区のボスが何か言えば誰も反対できないから、黙って従っているだけ。
田舎だから仕方がないと言えばそれまでだが、そんな街で生き生きと暮らせるのはどんな人だろうかと思う。
だから私は子どもに
この街を出て良いと、好きなところでやりたい仕事をすれば良いと話してきた。
確かに都会は隣の人の名前も顔も知らないかもしれない。
孤独な人にとっては本当に孤独かもしれない。
でも顔を知っている人、名前を知っている人、会えば話す人がたくさんいたとしても
孤独を感じないとは言えない。
仲間がいたとしても心が通じない人ばかりだとすれば、そこは孤独なところなのだから。
他の街に行っても孤独はあるだろう。
この街を出てどこかで住んだとしても、その街も好きになれるとは限らない…
とはいっても、やっぱり
私はこの街が嫌いだ。
でもたぶん私は嫌いなこの街で老いて死んでいくのだろう。
【やりたいこと】
やりたいことはいっぱいある。
海に行きたい。
ひとり旅をしたい。
温泉に行ってのんびりしたい。
豪華客船で海外クルーズ。
ダイエット器具を買いたい。
日本語教師の講座を受けたい。
姑に意地悪したい。(自分に返ってくるからしない方が良いかな?)
犬を飼いたい。
自分の心を解放したい。(何に縛られているの?)
自分の死のタイミングを自分で決めたい。
眠るように死にたい。
いくつできるかな?
お金があればできること。
お金がなくてもできること。
還暦になったらもっといろんなことができると思っていた。
もっと自由になれると思っていた。
でも…
当たり前だが何も変わらない。
59歳の最後の夜から60歳最初の朝になっただけのこと。
それどころかやりたいことじゃなくて
やらなきゃならないことに追いかけられる毎日。
それに刃向かいスマホに逃げテレビに逃げ読書に逃げ…
できなかった理由を作ってる。
思い通りのお金と時間があれば本当にやりたいことをやるの?やれるの?
自分に問いかける。
私の心が答える。
やっぱりできない言い訳をしているかもね。
人間、本当にやりたかったら誰がなんて言おうがやるだろうし、やるための努力をするはず。
本当にやりたいことは何なのだろうか。