「麦わら帽子」
夏の日の昼過ぎ
強い日差しが照り付ける中
ひまわり畑に白いワンピースの麦わら帽子を被った
ロングヘアの子が水遊び
雨粒はまるで宝石のようにキラキラと輝いて
まるで自由自在に操っているように
はしゃぐ姿は踊りを踊っているように
どの瞬間も絵になる光景で
暑さも忘れてしまうほど見惚れて
いつしか寝てしまったのか
気がつくと草むらに横になって、夕刻になっていた
あの子はどこにも見当たらず、草むらに湿り気ひとつない乾いた麦わら帽だけがポツンと落ちていた。
「上手くいかなくたっていい」
いつまで、その言葉を言うことが出来るだろうか
最初は上手くいかなくたって次がある
挑戦した事実が過程が大事だと言える
だが、その言葉にだって限度はある
何十回、何百回、何千回、何万回、
上手くいかなかったとして
それでも上手くいなくたっていいと前を向いていられるだろうか。
時間も回数も無限ではない
いつか必ず終わりがくる
段々、次が見えなくなってくる。希望も薄れていく。
だから本当に叶えたいことなら上手くいかなくたっていいなんてあまり思わない方がいいと思う。
勿論、楽観的な考え方も必要でその考えを否定する訳じゃない。
重く受けとめ、真剣になり、信じ続けてもなお上手くいかなければ負の大きく膨れ上がる。焦り、責任感、劣等感、上手くいかない事への苛立ち、ストレス
そして、それらは自分に、やがて他人に向く。
だから楽観的に考えればそういった負の感情はあまり貯まらないのかもしれない
ただ自分を追い詰めることが必要な時もある。
楽観的な考えは誘惑が多い。
自分に甘くなりやすい。
段々、段々、雑観的な考えが酷くなっていきやすく、
また次が、また次が、そうやってどんどん長くなる
どんどん時間がすり減っていく。なくなっていく。
挑み続けるなら、切に上手くいくことを願うなら、
絶対上手くいく。必ず成功するという気持ちがないと
成功を信じ続けないと、いつか必ず諦めてしまうだろうから。
「喋よ 花よ」
美しい花が凛と咲き
その周りを蝶がヒラヒラと舞っている
それらは美しくそしてどこか儚く
見たものを魅了させてしまう力を秘めている
だが、この美しさも魅力もいつか必ず散ってしまう
いつか散るから美しい
いつか散るから花を咲かせ、羽を羽ばたかせる
いつか散るから今を懸命に生きようとする
辛さや苦しさが見えずその分、美しい部分が引き立ち
見るものを魅了する
綺麗な所を切り取ったように
綺麗な所だけ目を向けるから
美しさの裏は誰も知らない
いつか散るその日まで咲かせてみよう、その花を
いつか散るその日まで舞ってみせよう、その羽で
その命すり減らして
「太陽」
いつか夜は空ける
朝がくるから、光が暗い大地を照らすから
生物は規則正しい生活リズムを刻むことができる
太陽が昇るから健康な体を作ることが出来る
明るく、眩く、時に目を細めるほど明るく輝いて
いつかは必ず陽の光が照らすと信じているから
当たり前のように信じて疑わないから
絶望の中にも希望はあるという比喩表現として
太陽を使うことが出来る
必ず夜が明けて、太陽も昇る様子がまるで絶望の中の希望の光のようにみえると誰かが思ったから
必ず夜は空け、太陽は昇る。
だからどれだけ絶望していても必ず希望はある。
と言えたのではないだろうか。
つまり太陽とは希望の象徴の1つなのかもしれない
「つまらないことでも」
つまらないことでも笑えるのなら
それはとても幸せなことだろう
些細な事でも、楽しさや元気、勇気を貰えるなら
それはとても素敵なことだろう
つまらないことでも何か結果や効果が得られるなら
それはとても大事なことだろう
最近はずっと時間を無駄にしている
楽しいか、好きかも分からない、目的も意味も何も無いつまらないことをずっとやり続けて、ただ時間だけが
過ぎていく。
何が好きか楽しいか、よく分からない。
笑えもしない、楽しさも、意味も目的も効果も何もかも分からない。
だから、つまらない。
楽しいって、好きだって、幸せだって感じられるなら、
どんなつまらないことでも、その人にとって大切な時間だと思う
でも、何も感じない、分からない時間は
全てのことがつまらなく感じる。
それは時間を無駄にしているようにしか思えない
だから私は常に時間を無駄にして捨てているように思える。
つまらないことでも感じ方によって違う
大事なのは内容ではなく、その人の心
何を感じて、何を思っているかが1番大切なんだと
私はそう思う。