「冬晴れ」
痛くらいの寒さが体の感覚を鈍らせる
だんだんと動けなくなっていく
手足の感覚が無くなっていく
痛いのか、寒いのかそれすらも分からなくなって
思考すら低下して、何も考えられなくなって
凍ってしまうと、思った時、一筋の光が目に飛び込んだ
眩しいくらいの光
辺りを溶かすくらいに暖かくて眩しい光
その光に照らされて、だんだんと感覚が戻ってくる
消えていた寒さや、痛みを感じ始める
それでも、照らされた光は優しくて、暖かくて
その時、確かに喜びを感じた
「愛があればなんでもできる?」
1年前と同じお題を提示され、正直どう書こうかしばらくの間、頭を悩ませた。
さて、どうしたものか。
その結果、せっかくなので書き比べて見ようという結論に至った。
良ければ読み比べて貰えばと思う。
1年前
結論から話すと愛の大きさにもよるが
なんでもという点では叶えるのは容易では無いと思っている。
つまりどれだけ愛があっても、出来ない事はある
というのが私の考えだ。
何故なら根本的に出来ないものがあるからだ。
非現実的な事や論理上無理とされた事などを
愛の力で実現できたとしたら、こう言ってはなんだが、それは実に出来すぎた話で、もし仮に愛を持っているだけでなんでも出来たなら皆苦労しないだろうと思ってしまう。
しかし、なんでもという点では無理であるが
愛の力は人を動かす原動力や力になるとは思っている。愛は形に出来ない為に証明は出来ないが、形にして測れないからこそ愛には大いなる可能性と未知なる力があると私は考える。
もしかしたら、不可能を可能とする力をも
持っているかもしれない。
あくまでも可能性の話だが。
1年後
愛があればなんでもできる。
そんな考えは正直言って甘いと思う。
しかし、そのような考えで居られる人を羨ましいとは思う。
何故なら、その人には愛する人が居るからだ。
愛を知っているから、なんでもできると言える。
愛に溺れているから、そのような考えが出来る。
なんでも出来る。など、そう簡単に思えることでは無い。
愛という事をよく知らない私にとっては羨むほどに手に入れたい考え方だ。
現実的な考え程につまらない考え方はないだろう。
夢を見ている、夢に溺れている人程、幸せな人はいないだろう。
傍から見れば浮かれている人に見えるかもしれない。
周りとは浮くかもしれない。
それでも本人が幸せならそれでいいのだ。
少なくとも私はそう思う。
けれど私は現実的な考え方しか出来ないつまらない人間なのだ。
けれど、いつか愛を知れたなら。
愛に溺れる事が出来たなら、私も現実離れした楽しい毎日を送れるかもしれない。
「遠くの空へ」
飛んでゆきたい
そして淡く儚く消えてしまいたい
誰にも知られることなく
ただ静かにひっそりと
それを望んでいると思い込みたくて。
誰かと一緒に居るとどちらかが傷ついてしまうから、悲しい思いをしてしまうから。
友に捨てられる事が怖いだなんて
離れていってほしくなくて。
ずっとそばに居て欲しい。
でもそれは叶わぬ願いだから
いつか辛い思いをする事になると分かっているなら
静かに消えてしまいたい
余計な感情が入り交じる前に早く消えてしまい。
でも、もう知ってしまったんだ。
暖かさも、心地良さも。
何も知らないまま、遠くの空へ消えられたらよかったのに。
この心の温かさは消えてくれない。
捨てられると分かっているのに求めてしまう自分に空が答えるように冷たい風が頬を撫でた。
「春爛漫」
咲き乱れて散る桜
桜吹雪の中、舞い踊る君
それは、それは、なんとも美しく
言葉で言い表せないほどに魅了させられる
さくら、さくら、舞えや、吹雪け
花散らして、この身を奪え
踊れや、歌え
さくら散るまで終わることなく
その身削りて、魅了させ
桜と共に美しい君、散ってゆく
せめてその刹那で君を魅せたい
多くの人に君を覚えて貰うため
君の舞を心に刻むため
歌えや踊れ
汗も涙も忘れるほどに
痛みも苦痛も感じぬほどに
疲れさえ、呼吸さえ忘れて舞い踊れ
君に幸せを届けるために
僕のこの命捧げよう
「これからも、ずっと」