「天候の話なんてどうだっていいんだ。僕が話したいことは、」
僕って事は男の子なのかな?
男の子が上手く話せないって事は相手は好きな人かな。それとも言いづらい事か、大事な事かな?
頑張って本当に話したい事、話せるといいね。
大切な事なら後悔しないように言える時に言ったほうがいいよ。気をつけてね。
私みたいに…ならないようにね。
私は人前だと上手く話せなくて、自分が他の人に何を本当に話したいのか分からないの。いや…本当は話したい事沢山あるんだけどずっと誰にも話せないまま、ずっと胸の内だけにとどめているうちに後戻りできないところまで来て溜まる一方なんだ。
月日を重ねるごとに辛い気持ち苦しい気持ちが増えていく。でもこんな重い事話したら、こんな内容話してしまったら皆んな離れて行ってしまうと思ったの。嫌われて捨てられて独りになっちゃうんじゃないかって思ったら、怖くて誰にも言えず仕舞いで悩み事も私の悩みはきっと同世代の事とは違うから、将来に向かっている、今を生きてる人の悩みでは無いから。話せる皆んなが羨ましい、口に出せる皆んなが。
あんな話しをしたらきっとまた独りぼっち。
皆んなに気を遣わせて、迷惑かけて、めんどくさがられてしまう。嫌われて離れていってしまう。
それだけは、それだけは嫌。
だからこの事は誰にも話さない。話せない。
私一人で抱えていく。この心が粉々に壊れるまで。だから、もう独りにしないで。なるべく期待に添える様にするから、頑張って笑うから、明るくいるから、暗い話も愚痴も悩みも皆んなの前では出来る限り見せないから。
気休めでも、一時的でも、一時でも。
私がそうある事で私の側に居てくれるなら、
私は頑張るから。
「私の事は心配しないで大丈夫だから、天気の話でもしようよ。」
人を信じれないのに独りや、嫌われるのが嫌なんて我儘で無茶苦茶だと自分でも思う。
いっそどっちかに偏ってたらまだ楽だったのかな。
「ごめんね」
「ごめんね」や「すみません」が
いつしか私の口癖になっていた
何かあったり、不安に思ったり、少しでも自分が失敗したり、自分のせいで相手が傷ついたかもしれない、迷惑や不安にさせたかもしれない、と思った時にはいつも謝罪の言葉が出ていた
軽く言ってるつもりは無い
本当に悪いと思って言葉にしているつもりではある。ただ、自分が謝らないことで怒られるかもしれない怖さが、嫌われるかもしれないという気持ちが、恐怖がない訳でもない。自分は悪くないと思う時でも、きっと私が何かしてしまったのではないかと、つい口をついてでていた事もある。
嫌われるのが怖いのだ。
孤独が嫌いで、無自覚に誰かを傷つけてしまうのも、自分が傷つくのも、裏切られるのも、見捨てられるのも。だから自分から仲を壊すような真似をしたくない。それが偽りでも。
そもそも喧嘩は好きじゃない、罵声や憎悪といった負の感情がぶつかり果ては暴力にまでたどり着く。良い気が1つもしない、喧嘩するくらいなら自分が折れた方が良いと思ってしまう。
聞くのも好きじゃない。喧嘩にもよるが私にとって喧嘩は辛くて苦しくなるだけだ。
喧嘩内容にとどまらず相手を罵りだしたりしたらもっと苦しくなる、勢いでどんどん悪化していくのを見るのも聞くのも私にとっては耐えがたかった。喧嘩はどちらかが、あるいは両者が傷ついてしまう。
といっても喧嘩は家族と意外した事がない。
友達や先輩後輩と喧嘩したという話しを聞くばかりで自分は体験した事がなかった。
自分が自分の本当の気持ちをあまり表に出していないからだろうか、しかし今では相手には相手なりの気持ちや理由があるのだろうと考えるようになり相手の考えや気持ち、理由を知ろうと考えるようになったのも1つの理由かも知れない。
それに喧嘩せずとも共に分かり合え和解できる可能性が少しでもあるのならその可能性を信じたいと私は思う。
だが私にだって理解できないこともある。
それでも喧嘩が起きないのは、私が喧嘩を嫌いという理由の他に私が自身の手で相手との関係を断ち切ってしまうかも知れない、崩してしまうかもしれないと、相手の存在と喧嘩の内容を天秤に掛けてしまうからだろう。
結局は自分が傷つくのを、見放され捨てられるのを何よりも恐れているのだ。喧嘩をしても相手が仲良くしてくれる自信が無い、相手を信頼しきれていない。信用出来ていない。
信用できなくて信頼できなくてすみません。
人が怖いと思ってしまう、皆の優しさを素直に受け止められない、信じきれない。
私は酷く醜い人間なんです。
「半袖」
半袖を着る時期になると夏を感じる。
夏はあまり好きじゃない。
暑いし、日が長い、長期休みもある、それに半袖の時期。
半袖だと落ち着かないというか、安心感が足りない。半袖で人前に居ると少し不安で、怖い時がある。
長袖なら多少無理しても気づかれないのに、
半袖だと隠せない。
でも、夏に長袖なんてそれこそ目立ってしまうのでは、と考えたりもするが、どの道、学校では衣替えの時期が決まっていて夏は長袖ではいられない。
半袖か長袖くらい自由にして欲しいと思う。
「天国と地獄」
私は皆が言うような天国や地獄は無いと思っている。
そもそも死後の世界があるという事も私は、あまり信じられない。
もし仮に死後の世界が存在したとしても
私が想像している世界とは程遠い気がする。
此処がその天国と地獄なのでは、と思ったりもする。そもそも此処に住んでいるのは人間だけではないのだ。ありとあらゆる生物が様々な環境で境遇で暮らしている。
あらゆる生命体の暮らしや環境には天と地程の差がある。それこそ天国と地獄のようだと思う。
人に対しては考え方の差などから多少上下するだろうが、常に命の危険にさらされ、今日の食べ物の保証もされず、娯楽など一切知らないものなど数え切れないほどの生物がおり、数時間で死ぬもの、食べられる為に生まれたもの、知能が乏しく本能のままに生きるもの、幸せ、楽しさを知らない生物も沢山いる。
生き残る為、子孫を残す為その身ひとつで戦う
お互いにお互いの身を削って行くのだ。
薬なんて無いし、休む暇もない
1度始まってしまえばどちらかが死ぬか逃げるまで戦いは終わらない。人間には降参という手段もあるにはあるが知能を持たないその他の生物に降参という手段は無いに等しいと思う。
そんな世界を地獄と呼ぶのではないだろうか。
そして記憶を抹消され、また生まれ変わる。なんて話を聞けば余計に、これこそが地獄なのではと思えてくる。いくら記憶が抹消されてるから、姿形が違うからといってこんなに辛いことを自分の魂は何度も何度も繰り返してる、繰り返されていると考えるとこの運命から逃れる事こそが天国なのではなんて思えてきたり。
「月に願いを」
お月様、どうかこれからも夜を、夜空を照らす
光でいて下さい。
太陽が沈んで暗くなった夜を明るく照らしてくれるのはお月様とお星様だけだと私は思っています。
今では街灯や信号機、家や様々な店が増え
夜でもあまり暗くない場も増えています。
ですが私は光の中で自然の光に勝るものは無いと思っています。また、空を見上げた時に月や星が綺麗に見えた時などは素敵だな、綺麗だなと悩み事や疲れなどが少し和らぐ気がしますし、真っ暗な夜空よりも月や星が輝いていた方がずっと明るい気分になれます、そして綺麗な月や星が見れた時は心が少し和む気がします。
そう思わせてくれるのも、お月様とお星様だから
だと思います。ですので、どうかこれからも夜を照らす光でいて欲しいと願っています。