徒花

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「ごめんね」

「ごめんね」や「すみません」が
いつしか私の口癖になっていた

何かあったり、不安に思ったり、少しでも自分が失敗したり、自分のせいで相手が傷ついたかもしれない、迷惑や不安にさせたかもしれない、と思った時にはいつも謝罪の言葉が出ていた

軽く言ってるつもりは無い
本当に悪いと思って言葉にしているつもりではある。ただ、自分が謝らないことで怒られるかもしれない怖さが、嫌われるかもしれないという気持ちが、恐怖がない訳でもない。自分は悪くないと思う時でも、きっと私が何かしてしまったのではないかと、つい口をついてでていた事もある。

嫌われるのが怖いのだ。
孤独が嫌いで、無自覚に誰かを傷つけてしまうのも、自分が傷つくのも、裏切られるのも、見捨てられるのも。だから自分から仲を壊すような真似をしたくない。それが偽りでも。

そもそも喧嘩は好きじゃない、罵声や憎悪といった負の感情がぶつかり果ては暴力にまでたどり着く。良い気が1つもしない、喧嘩するくらいなら自分が折れた方が良いと思ってしまう。
聞くのも好きじゃない。喧嘩にもよるが私にとって喧嘩は辛くて苦しくなるだけだ。
喧嘩内容にとどまらず相手を罵りだしたりしたらもっと苦しくなる、勢いでどんどん悪化していくのを見るのも聞くのも私にとっては耐えがたかった。喧嘩はどちらかが、あるいは両者が傷ついてしまう。

といっても喧嘩は家族と意外した事がない。
友達や先輩後輩と喧嘩したという話しを聞くばかりで自分は体験した事がなかった。
自分が自分の本当の気持ちをあまり表に出していないからだろうか、しかし今では相手には相手なりの気持ちや理由があるのだろうと考えるようになり相手の考えや気持ち、理由を知ろうと考えるようになったのも1つの理由かも知れない。
それに喧嘩せずとも共に分かり合え和解できる可能性が少しでもあるのならその可能性を信じたいと私は思う。

だが私にだって理解できないこともある。
それでも喧嘩が起きないのは、私が喧嘩を嫌いという理由の他に私が自身の手で相手との関係を断ち切ってしまうかも知れない、崩してしまうかもしれないと、相手の存在と喧嘩の内容を天秤に掛けてしまうからだろう。

結局は自分が傷つくのを、見放され捨てられるのを何よりも恐れているのだ。喧嘩をしても相手が仲良くしてくれる自信が無い、相手を信頼しきれていない。信用出来ていない。



信用できなくて信頼できなくてすみません。
人が怖いと思ってしまう、皆の優しさを素直に受け止められない、信じきれない。
私は酷く醜い人間なんです。

5/29/2022, 2:33:36 PM