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2/5/2023, 2:38:04 PM

溢れる気持ち


大輪が咲くような君のその笑顔を初めて見たとき、ないはずの心というものが動いたんだ。
悲しげに泣く姿に胸が締めつけられて、痛みを初めて感じた。それなのに、君は笑おうとするから、そっと君の目を覆う。
笑おうとしなくていい。悲しいなら泣くのは何もおかしいことじゃない。それは正常な反応だから。
そうやって言えば、君はやっぱり泣きながら笑った。でも、その笑顔が無理矢理に作ったような笑顔じゃなかったから、少しだけ安心する。
そうやって、君と月日を過ごしてきた。君が教えてくれた感情が、心が、決まりきったこのプログラムではすべてを説明することはできなくて。でも、その心が確かにここに存在することに、嬉しく思えて、愛しかった。
感情のままに、溢れ出る言葉たちを紡げば、君は嬉しそうに笑った。それが嬉しくて、同じように笑おうと思ったそのときだった。
目の前が無数の文字で埋め尽くされる。自動でスクロールされていく文字たちは、エラーを告げていた。
深刻なエラーが発生しています。深刻なエラーが発生しています。このプログラムに「感情」は含まれていません。プログラムを初期化することで、正常な状態へと戻します。プログラムを初期化します。システムシャットダウン。
心配そうに駆け寄る彼女が何かを叫んでいるような気がしたが、ふっ、と電源が切れた感覚がした。
目が覚めたとき、そこには知らない女性がいた。その泣きはらした目を見て、胸の辺りが変な感覚で不具合でも起こったかとスキャンをしてみるが、何もおかしなところはなかった。
それなのに、なぜか胸が痛い気がして、そっと君の頬に流れる涙を拭った。

2/4/2023, 11:01:56 PM

Kiss


それは優しさもなければ、奪い取られるような激しさもなかった。
状況が違えば、事故だと言われてもおかしくないほどに何の感情も伴っていないそれはただの行為であった。
でもそれでよかった。ほしいのは愛情でもなければ、慰めでもない。ただその事実だけがほしかったのだ。
利用していることも、ずるいことも、きっとバレてはいるんだろうけれど、後悔する気も反省する気もなかった。
ただその行為をすることに意味があっただけなのだ。ただ証拠がほしかっただけ。同性しか愛せない自分が、異性とだってキスができるのだと。そんなくだらないと思われるような証拠がほしかっただけなのだ。

2/3/2023, 2:42:17 PM

1000年先も


それは1000年続いた物語だった。
最初はたった一人の少女のためだけに書いた話だった。いつしかそれはさまざまな人に伝わり、1000年続く物語となった。
たった一人の少女はいつしか愛する人へと変わり、最初の作者であるその人が亡くなるとき、物語を子どもへと託した。
その子どもは両親のために物語の続きを綴り、その意思を受け継いだ弟子は最愛の人のために物語を書いた。
物語は人から人へと伝わり、何年も何年もその続きが綴られてきた。全部を読むのに一体どれほどの時間がかかるのだろうか。そう思えるくらいにはとてつもない量になっていたが、誰もがその物語を読みたがり、続きを求めた。
最初の物語が綴られてから、1000年が経ち、物語はようやく幕を閉じた。
最後の作者はこう言った。
「君ならこの物語を終わらせたかい? それともこの終わりを誰かに託すのかな。君なら、どんな終わりを書いたんだろう」

2/2/2023, 2:18:29 PM

勿忘草(わすれなぐさ)


私を忘れないで。なんて、健気なんだろう。そう思った。
その小さくも可憐に咲く姿が自分とは正反対でなんだか嫌気がさす。だからなのか、私を忘れないで、なんていう言葉で君のことを縛りつけたくはなかった。
どうぞ私のことなんて綺麗さっぱり忘れて。
どうかその記憶に一欠片も残さないように、忘れてくれたらいいのに。
そしたら私も君のことなんか忘れられるのに。もう君のことで悩まないし、不安に思わないし、嫉妬なんてくだらないものともおさらばできる。
だから、はやく忘れてよ。覚えてくれてなくていいからさ。

2/1/2023, 2:48:24 PM

ブランコ


それは裏庭にぽつん、と置いてあった。少し大きめな木の隣に小さな子どもが二人がけできそうな木製のブランコはなんだかおしゃれで、近づいてみて初めて気づく。
ところどころボロボロで、雨のせいか腐りかけているところもあって、座ってしまったらきっと壊れるだろうと容易に想像がついた。
それでも壊してしまうのはもったいないな、と思えるほどに愛着に似た何かを抱いてしまう。
いつか子どもができたら、こんなブランコで遊ばせてみたい、なんて思うけれど、今のところそんな予定はない。
そのうち取り壊して新しいブランコを作るのだろうけれど、今はまだこのままにしておこう。きっとこのブランコだって壊される準備なんてしていないはずだ。
そっとブランコを押して、揺らしてみる。キイキイ、と鳴る音はどこか懐かしくて、それでいてまったく馴染みのない光景が広がる。
新しい家は少し緊張するけれど、このブランコがあってよかった。馴染みのないものばかりの中で少しでも何か親近感がわくような、安心感を抱くようなものがあれば、帰る場所にはふさわしくなる。
遠くから名前を呼ばれて、そちらに向かう前にもう一度ブランコを見た。風に揺れるそれは私たちを歓迎するように揺れ続けた。

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