Mey

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9/19/2025, 11:25:21 AM

もしも世界が終わるなら、泣いてみようか。

世界が終わるとき、私に悲しみや後悔はあるだろうか。
そのときにならないとわからないけれど、
私はどうしようもないことだと受け入れている気がする。

ただ、
天国の母と会える、
ずっと一緒にいられると思えば、
私はそれが幸せだ。
旦那と子どもたちを紹介したら、
母は驚くだろうな。
驚いた母の顔はもう忘れてしまったから、
見てみたいな。

もしも世界が終わるなら、
次のステージへの、
希望の涙を流したい。



もしも世界が終わるなら

9/18/2025, 1:09:11 PM

テレビ観戦をしていた私は、「あっ!」と声を上げた。
スケートリンクの演技、最後のジャンプを転倒したからだ。
すぐに立ち上がって演技を再開するかと思った織田くんは、悲壮な表情で演技再開ではなく、審判団の元へゆっくりと滑って行った。

どこかを痛めた?怪我をしてしまったの?
試合会場がどよめく。


カナダ、バンクーバー五輪。
男子フィギュアスケート、フリー演技の織田選手の試合中の出来事。
観客は勿論のこと、実況や解説者も戸惑っている。

織田選手がズボンを捲り、審判員に足首を見せて、カメラは織田選手の足首にクローズアップする。

スケート靴の靴紐の結び目とその先が切れて、織田選手の手に握られている。
黒いスケート靴は色がはげ、傷だらけで、氷にぶつかり続けた衝撃を物語っていた。スケート靴に残された黒い靴紐も同じく擦り切れて、完全に切断されていた。

靴紐の修正に、2分間の試合中断が認められた---


リンクサイドで紐を結び直す織田選手がカメラに映し出されている。
普段冷静で強面の外国人コーチが、あからさまに焦り走って画面から消えた。


椅子から織田選手が立ち上がって、リンクサイドに手をかける。観客からは自然と拍手が起き、試合会場を拍手の音が満たす。


フリープログラムはチャップリン。
演技再開直後、シットスピン。速く、低く、軸のブレのない美しいスピン。
会場から歓声が上がり、会場の空気感が変わった。
織田選手の美しい気合いの演技が、会場のボルテージを上げた。


曲に合わせて観客は大きな手拍子で後押しする。
誰も彼も曲に合わせて、そこにズレはない。

そこからの織田くんの動きはキレキレだった。
伸びやかで、キビキビとハツラツとして、喜劇王のように彼は明るく、チャーミングに最後まで滑り切った。

思えば、フリー演技の出だしこそ美しかったが、今日の織田くんの表情も動きも固かった。
だけど靴紐を修正した後の織田くんは、私の好きな織田くんだった。
滑らかな滑りにコミカルな動きが曲の明るさに負けない、織田くんの魅力いっぱいの演技だった。


テレビ観戦していた私は、再開後の祈るような気持ちから、(織田くんすごい!すごいよ!)と泣き笑いに変わっていた。


キスアンドクライで強面のコーチは織田くんの背中をずっとさすっていた。
その優しさに私は泣いてしまう。
泣き虫がトレードマークの織田くんは、きっと涙を堪えている。


結果としては、転倒と演技中断でのマイナスが響き、ショートプログラム4位からフリーの最終順位は7位で、順位を落としてしまった。
それでもすごいと思う。だって、7位入賞だから。
地力が彼を支えていた。きっと、今までの練習が、努力が。


試合後、泣きながら靴紐についてインタビューを受ける織田くんにもらい泣きしてしまう。

靴紐。
実は試合開始前から切れていたが、足の感覚が変わるのが嫌で、付け替えなかったこと。
試合中断して、括って使ったと涙ながらに織田くんは話した。



オリンピックに備えて練習し調整してきたことが、たった1本の靴紐で運命の分かれ道になってしまう。


靴紐が切れそうなら、新しい物に交換すれば良い。
そんな簡単なことじゃない繊細で厳しい世界が、フィギュアスケートの試合中に起こってしまう。

それでも観客はフィギュアスケートを愛し、選手を拍手で応援する文化がある。



後の織田信成さんは自著のタイトルは、

『フィギュアほど泣けるスポーツはない!』



努力が実って優勝すれば泣き、ミスで泣いた。

たくさん泣いた織田くんの靴紐は、スケートが大好きな人の努力の証だった。





靴紐

9/17/2025, 11:29:33 AM

答えは、まだない

10年以上前から、あれもこれも、色々試してきた。
これが良いよと聞けばそれをやり、こっちが良かったと聞けばそれをやり、TVで紹介をしていればTVの前で一緒に取り組んだ。TwitterやInstagramからも検索して情報を集め、保存して、頑張ってきた。

だけど……
効果が現れるどころか、年々負のエネルギーが蓄積していくばかり。

今朝の計測も効果は見られず。
ため息ばかりが増えていく。

「全然ダメだ!」

ダイエットアプリの体重も体脂肪率も、グラフが右肩上がり。


ダイエット成功のための答えは…まだ見つからない。涙。



答えは、まだない

9/15/2025, 10:29:26 AM


「ごめんね、待った?」
「ううん、私も今来たところ」

駅前のモニュメントで森田くんと仕事終わりに待ち合わせて、2人並んで歩く。


大学2年生の時に社会学部のゼミで森田くんと知り合った。
彼は率先してゼミのリーダー的な役割を担ってくれた。明るくて人当たりが良いから相談もしやすくて、ゼミの皆んなから森田くんは頼りにされてたし、一目置かれてた。
そんな私も森田くんのことを、すごく喋りやすくて良い人だなって思ってた。

大学近くにできたばかりのカフェが気になっていた時、森田くんに空きコマにどう?と誘われて、カフェで一緒にお茶をした。
森田くんはその時もゼミの印象のまま明るくて良い人。楽しくお茶をした後、「時間のあるときに一緒にカフェ巡りができたら」と少し照れながら伝えてくれた。
だけどそのときの私は、中学時代の部活の元顧問とバイト先のカフェで再会して心惹かれていて、森田くんの誘いを断った。

「わかった。ごめんね、変なこと言って」
森田くんは優しく微笑んで、それからも大学でも、ゼミの仲間で出かける時も、変わらない態度でずっと友だちでいてくれていた。


大学を卒業して、私は地元よりも大きな地方都市に就職し、一人暮らしを始めた。
森田くんはこの都市の出身で、美味しくて安いご飯屋さんない?って聞いたことから、一緒にご飯やカフェに出かけるようになった。
私は大学生の頃に森田くんが誘ってくれたカフェ巡りを無碍に断ったのに、森田くんは笑顔で一緒に出掛けてくれる。

元顧問の早坂先生が来てくれるバイト先は大学が忙しくて夏に辞めてしまった。
あの頃の私は、早坂先生が週末に訪れる夏のカフェに忘れ物をしてしまったように心に穴が空いてたみたいだった。
早坂先生への気持ちがハッキリとわからなかったとき、森田くんは私の気持ちに寄り添ってくれた。
早坂先生に会いに行く決心をしているのに行けずにいた私に「着いて行こうか?」と、私の背中を優しく押してくれた。


社会人1年目の今、別々の職場に就職したけれど、週末や休日、時間が合えば私たちは隣を歩いて、一緒にご飯やお茶をして、近況を伝え合っている。
幸せ…なんだと思う。
夜風に吹かれながら、一緒に笑い合えること。
隣に並んで歩くとき、絶対に森田くんは車道を歩いて、私の歩幅に合わせてゆっくり歩いてくれること。
「三日月、綺麗だね」って並んで夜空を眺められること。そっと、穏やかな表情の端正な横顔を仰ぎ見れること。


「米田さん、どうしたの?」
「ん?」
「手が止まってるよ」

パスタを食べる手を止めた森田くんが少し申し訳なさそうな顔をした。
「仕事、忙しいのに無理してる?米田さんの所属してるNPO、忙しいって言ってたよね」
「あ、ごめん。確かに忙しいけど、充実してるって言う方が正しいかもしれない。今、子どもたちのために新しいワークショップを計画してて、忙しいけど、楽しいの」
「そっか、良かった」
「ん?」
「友だちが良い顔してるって、嬉しいじゃん」
「あ、あはは。そう、だよね」
「そう言うもんだよ」

森田くんはパスタをフォークに器用に巻きつけて、また食べ始める。
美味しそうに大きな口を開けて食べる森田くんの姿を見るのがいつも密かな楽しみだったはずなのに。
森田くんから『友だち』と言われたことが、細い針が刺さったみたいに胸が痛む。どうしてこんな気持ちになってるんだろう。
その後の食事は、あんまり味がしなかった。


森田くんとの食事を終えて、私は「やっぱり疲れてるのかも。ごめんね」と早々に別れを告げた。
森田くんは地下鉄のホーム、私は在来線ホームへ。
電車に乗っても、森田くんの心配そうな顔が忘れられない。

車窓の夜空の三日月は高く登り輝いてる…のに、白い光が涙で滲んで揺らめいてしまう。
綺麗だと笑い合った月を見ていられなくなって、私は瞳を閉じた。

瞼の裏に浮かんだのは、森田くんの顔だった。
ずっと、早坂先生の顔が浮かんでたはずなのに、今はもう、森田くんの顔しか思い浮かばない。


森田くんに背中を押されて、私は「好きです」と早坂先生に伝えることができた。
「元教え子だから、今は米田とは考えられない」と断られたけれど、私の気持ちは受け止めてくれて、「もっと米田が経験を積んでそのときに同じ気持ちだったら、元教え子の枠を取り払って向き合うよ」と約束してくれた。
経験を積んだら…って、大学を卒業して、社会人として経験を積むこと、早坂先生と同じ立場に立つことだと思ってる。
いざ、自分がそうなったら、早坂先生よりも森田くんのことが思い浮かぶようになっていた。
そして今、森田くんに『友だち』だって言われて勝手に傷ついてる。
早坂先生との約束を反故にして、森田くんだって仕事で忙しいのに私のために時間を作ってくれてるのを知ってるのに、感謝の言葉ひとつかけずに、自分の都合で駅で別れて。
こんな私、許されるわけないよね。


2週間後、中学校時代からの親友で、私たちの母校で教員をしている鈴ちゃんとスパイスカレー屋さんでランチをした。
早坂先生との約束と、森田くんへと心変わりした私のもやもやを鈴ちゃんに聞いてもらう。
真剣な顔で聞いてくれた鈴ちゃんは、私が話し終えると穏やかな顔で私に告げた。

「早坂先生は…今の米ちゃんを、きっと、成長だと捉えるんじゃないかな」
「え?」
「考えが変わったり、心変わりは誰にだってあるよ。それだけ経験を積んだってことだと思う。米ちゃんは、早坂先生を諦めたわけじゃないでしょ?」
鈴ちゃんは、私に視線を合わせて微笑んでいる。
うん、私は早坂先生のことを忘れようとか、諦めようとしたわけじゃない。
「うん、違うよ。森田くんに惹かれたの」
ちょっと恥ずかしいけど言い切って笑うと、鈴ちゃんもホッとしたように笑った。

友だちって良いな。
森田くんが私のこと、友だちって思ってくれてるなら、それで良いのかもしれない。
少なからず、他の人よりは大切に思ってくれているだろうし。


カレー屋さんを出て、せっかくだからと緑地公園を散歩する。
私は中学校卒業後、すっかり走らなくなってしまったけれど、鈴ちゃんは高校と大学では陸上部に入部して、私はもっぱら鈴ちゃんの応援団だ。
この緑地公園は、私と鈴ちゃんの中学時代の選抜長距離継走部の青春が詰まってる。
今も木々の緑は生い茂り、もっと秋が深まればもみじの紅葉がはじまる。

池のほとりをまわって、元バイト先のコンテナのカフェの屋根の下の角のテーブル席が、早坂先生の定位置だった。
いつか、早坂先生に忘れ物の話をする日が来るのだろうか。
あの夏の忘れ物---早坂先生への恋心---忘れようとか、諦めたりしなかったけれど、他に大切な人ができたことを。
先生は、それが成長だよ、と認めてくれるのだろうか。

緑地公園そばの駅で鈴ちゃんと別れて、空を見上げる。
夕暮れにぼんやりと満月が浮かんでいた。


夜になって、森田くんからLINEメッセージが送られて来ているのに気づく。
「仕事落ち着いてきた?大丈夫?」
って聞いてくれるのは、先日、夕食を一緒に食べた時に「疲れてるみたい」って、私が早々に解散を切り出してしまったから。
「友だち」と言われて勝手に落ち込んで、森田くんに心配をかけてる。
声が聴きたい。電話をかけると、すぐに電話に出てくれた。
「森田くん、大丈夫、元気だよ。この間はごめんね」
「そっか。良かった。実はちょっと心配してた。俺、変なこと言ったかもしれないと思って。あのとき、途中から米田さんの様子がちょっと違ったから」
「……」
森田くん、私の様子に気がついてたんだ。驚きと恥ずかしさに言葉に詰まると、森田くんは電話の向こう側で咳払いをした。
「あのさ、少しだけで良いから、米田さん、外に出れるかな」
「えっ?」
「今、外にいるけど、そっち、向かうから。30分くらいで米田さんの最寄り駅へ行けそうなんだ」
「あ、うん、大丈夫だよ」
「時間がわかったら連絡する」
「うん」
唐突な誘いに思わずオッケーを出してしまった。
髪とメイクを手直しして、スマホを入れてバッグを掴む。

友だちとして心配してくれるなら、それで良い。私は森田くんのその優しさも好きだから。


「ごめん、急に呼び出しなんかして」
「ううん、大丈夫」
駅前のペディストリアンデッキを並んで歩く。
夜空に浮かぶ満月が煌々と高く光る。まるで私の心の中まで照らしそうで、胸がざわつく。
「ごめんね、森田くん。心配かけちゃって」
「そんなの、友だちだから、当たり前だよ」
優しい微笑み。
また『友だち』…ちょっと…だいぶかもしれない。胸がチクッと痛むけど、でも、大丈夫にしなくちゃ。

森田くんの笑顔を見ていると、早坂先生への想いが、遠い夏の記憶のように感じた。
鈴ちゃんの言葉を思い出す――「心変わりは、経験を積んだ証」 
だったら、私、ちゃんと前に進みたい。

「ねえ、森田くん」
「ん?」
「私、早坂先生にいつか言おうと思って」

森田くんが息を飲んだ。
背中を押してくれた森田くんには、夏の忘れ物が早坂先生への恋心だったこと、その忘れ物を大切に持っていることは話していた。
「早坂先生のこと、忘れたいとか、諦めたんじゃないの。心変わりしたから」
「心変わり…」
森田くんは力無く呟いた。

満月の光が、森田くんの顔を柔らかく照らす。端正な輪郭が月光に縁取られ、長いまつ毛に白い光が揺れて、いつもより大人っぽく見える。目を伏せた彼の表情が、なんだか少し寂しそうで。こんな森田くん、初めて見たかもしれない。
でも、よく考えたら、森田くんはいつも私の心の奥を見てた。早坂先生に会いに行く勇気を持てなかったとき、「着いて行こうか?」って笑顔で背中を押してくれた。
ゼミの発表で私が緊張してたとき、そっとメモを渡してくれたこともあったっけ。あのときも、森田くんは私の気持ちを察してくれてた。

「親友の鈴ちゃんに言われたの。『心変わりって、それだけ経験を積んだからだよ』って」
森田くんが小さく頷いて、ふっと息を吐いた。月光に照らされた彼の瞳が、まるで星みたいにキラキラ光って、ほっとしたような、優しい笑顔に変わる。

「そ…っか。うん…じゃあ、米田さんの憂いは小さくなったんだよね」
その言葉に、胸がじんわり温かくなった。森田くんは、私が早坂先生への想いを抱えながらモヤモヤしてたことを、ちゃんとわかっててくれる。
私の心が軽くなったことを、まるで自分のことみたいに喜んでくれてるみたい。
「うん、もうバッチリ…かなぁ?」
「なんか含みがある?」
「内緒」
人差し指を口元に当てて笑うと、森田くんが小さく笑い返した。

「米田さん」
ふと真面目な声音で呼ばれて、ドキッとして森田くんを見上げる。彼の手が、ズボンのポケットでぎゅっと握りしめられてるのに気づいた。
「米田さん、一個だけ俺の話も聞いて」
少しだけ切羽詰まった声に、「何でも言って」と答える。
森田くんのために私ができること、何でもしてあげたいって思った。こんなことを思うのは、初めてだと思う。

「俺、米田さんのこと、ずっと友だちだって自分に言い聞かせてた。米田さんは友だちだって、大学の頃からずっと。ゼミでも、仲間内で遊びに出かけたときも」
どういう意味に捉えて良いかわからなくて。指先が冷えていく。
「でも、もう隠せなくなった。俺、米田さんのことが好きです」
森田くんは、顔を赤くしている。私に見つめられて、「あっ、でも、」と視線をそらせた。
「米田さんが俺のこと、好きにならなくても別に良いんだ。今まで通り、友だちとしていてくれれば。ってか、こんな意識させるようなこと言ってなんだけど」
年齢の割に落ち着いている森田くんとは思えないほどテンパっていて、私はちょっとだけ笑う。
正直にドキドキ鼓動が速いけど、森田くんが可愛い。そしてすごくすごく嬉しい。

「森田くん」
「はい、」
「もう遅いよ。私、森田くんのこと、好きになっちゃったから」
小さな声になったけれど、森田くんにはちゃんと聴こえてて。
「マジか。めっちゃ嬉しい」
私の手首を掴んだ森田くんに、胸に引き寄せられる。
嬉しい、と力強く抱きしめられて、私と森田くんの鼓動の速さが重なる。

抱きしめる腕を解いた後、森田くんは私と手を繋いだ。
「俺、今夜の満月は忘れられないと思う」
大切そうに呟かれたその言葉も、私は忘れられないと思う。
「私も、忘れられない」

ふたりで見上げる満月は、夜空に煌々と煌めいている。




君と見上げる月

9/13/2025, 2:03:47 PM

娘が中学校3年生の頃、職業体験に介護福祉施設に行った時のこと。
1人の高齢女性が、娘に熱心に話しかけてきたと言う。
自分の生い立ちから子どもが成長するまでの苦労話を、その日だけで4回も。
「さすがに4回も聞けば覚えるって」
娘は笑い、その女性から聞いた話をおそらく一言一句違わず私に披露した。
幼少期の質素な生活、青年期のお見合い結婚、子育ての苦労…昔の人の大変さが想像つくのと同時に、娘の記憶力にも舌を巻いた。
「4回全く同じだったからね」
当然だと言わんばかりである。
実習は、お茶を出したり、配膳したり、髪を乾かしたり、話し相手になったりと充実していた様子。
そう言えば娘は小さな頃からおばあちゃん子だったなと思い至る。

その方は、生い立ち話しかされなかったそうだ。
そして、娘に4回同じ話をしたということは、その日、娘に話をしたこと自体を毎回忘れているからだろう。短期記憶の欠如。
その女性には、埋められない空白の時間がある。
直近の食事の内容どころか、食事をしたこと自体も忘れているのではないか?
それでも、昔の話を繰り返しする女性。
「お見合い結婚をしたの。子どもが3人産まれてねえ、男の子、女の子、男の子。畑にもおんぶして連れて行ってね、そしたら日焼けして真っ赤になっちゃってねえ」
話をしてくれた娘は笑顔だった。
その女性もきっと、笑顔で話をしてくださったんじゃないかな。

もしも私が空白の時間があることすら気づかなくなったとき。
繰り返し話すことができる体験があるのだろうか。
幸せなこと、不幸せなこと、ずっとずっと心に残って離れないような何かが。
人生の半分を歩んだ私は、日々記憶力が低下していることを実感している。

私のおばあちゃんは認知症になって、最後は私のことも忘れてしまった。
そんなふうに私もなってしまうのだろうか。

空白が怖い。
いつか、怖いという気持ちさえ消えてしまったとき。
願わくばいつもシワだらけのくしゃくしゃの笑顔で「ありがとう」とばかり言っていた、おばあちゃんみたいに可愛くなれますように。



空白

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