娘が中学校3年生の頃、職業体験に介護福祉施設に行った時のこと。
1人の高齢女性が、娘に熱心に話しかけてきたと言う。
自分の生い立ちから子どもが成長するまでの苦労話を、その日だけで4回も。
「さすがに4回も聞けば覚えるって」
娘は笑い、その女性から聞いた話をおそらく一言一句違わず私に披露した。
幼少期の質素な生活、青年期のお見合い結婚、子育ての苦労…昔の人の大変さが想像つくのと同時に、娘の記憶力にも舌を巻いた。
「4回全く同じだったからね」
当然だと言わんばかりである。
実習は、お茶を出したり、配膳したり、髪を乾かしたり、話し相手になったりと充実していた様子。
そう言えば娘は小さな頃からおばあちゃん子だったなと思い至る。
その方は、生い立ち話しかされなかったそうだ。
そして、娘に4回同じ話をしたということは、その日、娘に話をしたこと自体を毎回忘れているからだろう。短期記憶の欠如。
その女性には、埋められない空白の時間がある。
直近の食事の内容どころか、食事をしたこと自体も忘れているのではないか?
それでも、昔の話を繰り返しする女性。
「お見合い結婚をしたの。子どもが3人産まれてねえ、男の子、女の子、男の子。畑にもおんぶして連れて行ってね、そしたら日焼けして真っ赤になっちゃってねえ」
話をしてくれた娘は笑顔だった。
その女性もきっと、笑顔で話をしてくださったんじゃないかな。
もしも私が空白の時間があることすら気づかなくなったとき。
繰り返し話すことができる体験があるのだろうか。
幸せなこと、不幸せなこと、ずっとずっと心に残って離れないような何かが。
人生の半分を歩んだ私は、日々記憶力が低下していることを実感している。
私のおばあちゃんは認知症になって、最後は私のことも忘れてしまった。
そんなふうに私もなってしまうのだろうか。
空白が怖い。
いつか、怖いという気持ちさえ消えてしまったとき。
願わくばいつもシワだらけのくしゃくしゃの笑顔で「ありがとう」とばかり言っていた、おばあちゃんみたいに可愛くなれますように。
空白
9/13/2025, 2:03:47 PM