職員玄関の下駄箱の靴の上。
意中の人の靴の上に、それはあった。
真っ白な封筒に蓋をするように貼られた四つ葉のクローバーのシール。
封筒の裏面が上になったソレに、差出人の記載はない。
生徒の誰かか、職員の誰かが置いた手紙のようなソレ。
職員の誰か…はよっぽどありえないか。
学校職員全員がメンバーのLINEグループがあって、そこから個人的に繋がれば良いわけだし。
やっぱり生徒からのラブレターと考えるのが自然よね。
先生が担任しているクラスの子?
部活の子?
委員会の子?
それとも接点がない子?
「どうかされました?帰らないんですか?」
意中の人が私の隣に立って私の視線を辿り、あっ、と声を発した。
「ラブレターですか?」
「…ですかね?」
「口元、弛んでますよ」
意中の人が慌てて口元を引き締める。
正直、面白くない。
意中の人は表面を確認する。
覗き込むワケにはいかないから、私は自分の靴を手に取って、何とも思っていないフリをする。
「僕、こういうのもらったの初めてです。案外嬉しいものですね」
先生、そんなにわかりやすく嬉しそうにしないでよ。
「中身を読んでないのに?」
「読まなくても四つ葉のクローバーのシールを選んでくれている時点で、可愛いなって思っちゃいますね」
「…手を出すのは生徒が卒業してからにしてくださいよ」
ああ、私はバカだ。思ってもいないことを口にしている。
本当は、私以外を見ないで欲しいのに。
意中の人は間髪入れず存外強く否定する。
「そんなつもりはありません!」
「差出人も知らないのに、言い切れるんですか?」
ああ、どうして私は可愛くないことばかり口にしているんだろう。
四つ葉のクローバーを貼った生徒の方がよっぽど素直で可愛らしい。
私だって、手紙の相手が意中の人でなければ、可愛いなって好意的に思えるはずなのに。
彼は鞄を開けて、クリアファイルに挟んだ。
真っ白な封筒が私には眩しすぎる。
「僕には好きな人がいるからですよ」
意中の人はフッと寂しそうに笑った。
「先生…?」
「さよなら。また明日」
先生は片手をあげて去って行く。
ラブレターの差出人は誰?
先生の好きな人は誰?
皆目見当がつかない。
わかっていることは、先生がラブレターの差出人を可愛いと思ったこと。
今の私は全然可愛くないこと。
先生には好きな人がいること。
先生の好きな人は誰かしら?
職員の顔を思い浮かべてみたところで思い当たる顔はない。
前任校だったら、さらにその前の学校だったら、大学時代や高校時代の同級生だったら…私が知る由もなく。
誰かを探るよりも、自分が素直で可愛くならなければいけないとわかっているけれど。
「好きな人がいるなら、早く諦めなきゃね」
呟いた言葉があまりにも後ろ向きで、溜息をついた。
誰かしら?
家出して雨宿りをしていたあたしは初対面の男と女に拾われた。
その日から、フルネームも知らない二人とのルームシェアが始まった。
教えてくれた名前は本名かどうかも怪しい。
男は日中ずっとパソコンに向かっている。パソコンを使って仕事をしているのかどうかはわからない。スーツ等を着て外出することもない。
女は夜の帷が下りる頃仕事へ出掛けていく。日中は出かけたり、眠っていたり。
あたしは女のツテでビルの清掃のバイトを行い、給料はその日毎に支払われた。
あたしは彼らが住むマンションの一室を与えられ、その生活は男にも女にも関与されなかった。
だけど全く無視されているわけではなく、冷蔵庫にあたしの名前が書かれたコンビニスイーツが入っていたり、お礼を言えば雑談に付き合ってくれたり、生理痛で寝ていると痛み止めやカイロをドアノブに引っ掛けてくれたり。
家族に虐待されて我慢の限界がきて家出したあたしにとって、彼らの優しさは居心地が良い。
あなたたちは誰ですか?
フルネームも年齢もLINEも職業も知らない人たち。
そして、あたしの境遇もフルネームも年齢もLINEも知ろうとしない人たち。
知りたいと言ったら、この均衡は崩れるのだろうか?
あたしはいつまで、此処にいるのだろうか。
温かい部屋。温かい浴室。温かい布団。
居心地良い場所、人を失いたくない。
あたしはスマホの充電ケーブルを引っこ抜いた。残り20%。
今はまだ、名も知らない男と女と一緒に居たいと願っている。
あなたは誰
私の働いている介護施設では、月に1回、月初に利用者さん全員の体重測定をする。
適正体重を維持している人、痩せ型の人、肥満体型の人。
利用者さんによっては、悲喜交々の時間。
80歳の女性利用者さんが小声でスタッフに尋ねる。
「私、何㎏だった?」
「60.3kgでした」
耳元でコソッと伝える。
「まあ、そんなにあるの!?」
「でも、冬だから、厚着してますし」
「そうだそうだ」
「でも、食べ過ぎ注意ですよ」
「はあい」
衣類混みの体重がBMI28、肥満1度の小柄だけどころんころんと丸いフォルムの、笑顔が可愛らしい、自分が若い主婦だと思い込んでいる利用者さんへ、そっと伝える。
自尊心を傷つけないように、柔らかく、そっと。
そっと伝えたい
金曜の夜、居酒屋で学生時代からの友人と二人でサシ飲みすることになった。
異性との友情は成り立つかって言われれば、実は俺は彼女が好きだから成り立ってはいないんだけど、成り立っているように振る舞うことはできる。
で、いつもの居酒屋でお互いにアルコールを口にしていたんだけど。
「タイムマシンがあったとしてさ、未来に行ったとしてさぁ」
「何、また唐突に。しかも未来限定」
香奈は酔うと大抵突拍子もない話をし出す。俺は笑いながら続きを促した。
「良いじゃん、未来で。未来に行って現在に帰ってきたらさあ。未来の時の記憶はあるのかなあ」
「さあ…って言うか、それ、だいぶ仮定の多い話だな」
「そお?」
「そーだよ。タイムマシンがあることが前提で、未来に行けて、現実に戻って来れなきゃいけないんだから」
「あーそーかあ」
「自分で言っておいて笑。知りたい未来でもあるの?」
「知りたい未来かあ。んーー別にないかも」
「なんだそりゃ」
酔っ払いの思いつき、戯言かよ。
ハイボールを口にしながら、未来に想いを馳せてみる。
ウーロンハイを飲みながら、ポテトフライに手を伸ばす香奈。
未来も、こうやって香奈と時折飲みに行って、くだらない話をして、笑い合っているのだろうか。
アラサーになっても、香奈は独身でいるのだろうか。
旦那がいて、子どもがいて、男と飲み会なんて以ての外だと旦那に反対されて、会えなくなって………
「健斗ぉ。なんか暗いよー?どしたー?」
背中をボンッと叩かれてハッとする。
「ん?酔った?」
「酔ってないよ」
グラスに残ったハイボールを一気に煽る。
「おお、一気にいったねぇ」
呑気に笑う香奈の手を握った。
「健斗?」
スマホを手に取り、姉ちゃんとのLINEを表示して結婚式場のWEBサイトのURLを開く。
ガラス張りの窓から真っ青な湖が見える、湖畔に立つリゾート地の結婚式場だ。
香奈にその画像を見せる。
「ここは?」
「姉ちゃんが来月挙式する式場」
「へぇ。すっごい素敵なところだね!楽しみだね!」
「おお。…香奈がタイムマシンに乗ったら、こういう所に行くかもよ?」
「ええっ、どうだろ。あたし、相手いないし」
両手を握って、ギュッとチカラを込める。
香奈は驚いて俺の顔を見た。驚いたせいでいつもよりも大きな瞳を真っ直ぐに見つめてゆっくりと言葉を紡ぐ。
「俺が相手だとしたら?」
「ええっ!?」
驚いた拍子に引っ張られた手を俺の元へと引き戻す。
「えっと、冗談だよね、」
「未来に行ったとして、現在に帰ってきたとして、その未来の記憶があったら良いなって話」
俺の顔を凝視したまま、生唾をゴクリと飲み込んだ音が聞こえた。
「酔ってる?」
「酔ってないよ」
香奈は俺が香奈に恋心を持っていることがどうにも信じられないらしい。と気づく。
「冗談でも、酔っ払いでもないけどね」
「そんな素振り今まで一度も…」
「確かにして来なかったけどさ。香奈の未来を想像したら、俺がいつも隣にいられたら良いなって思っちゃっただけ」
「……」
「帰るか」
「…うん」
異性との友情を壊してしまった。
この先、香奈との関係がどうなるかは、今の時点ではわからない。
「あー、未来の記憶欲しいなぁ」
「へ?」
「香奈とこれからどうなるのか、めっちゃ怖い。先に知っておきたい」
香奈はプッと吹き出した。
「告白しておいて、怖くなったの?健斗、バカだー」
「ひでぇ」
「突然でビックリしたけど。多分、大丈夫だよ」
「……大丈夫って?」
香奈の顔を見つめる。
「ちょっと嬉しかったから、じゃない?」
照れて足早に歩く香奈を追いかける。
「今日さ、泊まっても良い?」
「ダメに決まってる。調子に乗らないで」
「やっぱり?」
「もー帰るよ」
家まで送って帰り際、香奈は俺を上目遣いに見上げた。
「あの、」
「ん?」
珍しく囁くような小声で聴き取りづらく、俺は少し顔を近づけた。
「時間もらえる?健斗のこと、考える」
「…う、うん。わかった」
ちゃんと考えてくれる。考えるって言葉にしてくれる。
嬉しくて顔が緩む。
「じゃ、じゃあね。送ってくれてありがと」
パタンと玄関扉が閉まる。
唐突な話題だったけれど、告白のキッカケになった。
しかも、望む結果になりそうな予感がする。
おっしゃ。
両手でガッツポーズをした俺を、実は香奈に見られていたの知ったのは、もっと未来の話。
未来の記憶
我が家には愛犬のチワワちゃんがいる。
もうすぐ7歳。人間に換算すると44歳。
という立派なおばさんだって知った時には信じられなかった。否、今も信じていない。
愛犬は、身体を撫でられるのが大好き。
「ただいま」って私が玄関を開けると、私の膝に両足を乗せてシッポを緩やかに振って出迎えてくれる。
愛犬を立たせたまま、私は腰を屈めて彼女の首筋や背中を撫でる。撫でる。撫で摩る。
もうそろそろ良いかと手を離すと、撫でていた右手に身体をくっつけてくる。
言葉を話さないのに、『撫でて』という要求だとわかる。
今撫でていたところが、撫でられて気持ちの良い場所だということも。
撫でる、撫でる、撫で摩る。
手を離すと、まだ、と私の右手に身体をくっつける。
玄関から靴も脱げずに撫で続けたけどキリがない。
「このまま散歩に行くよ」と首輪に紐を繋げたら理解して、玄関扉へとダッシュした。
『散歩行きたい』シッポがブンブン揺れている。
「外、寒いよ」
玄関を開けたら雪が舞っている。と言うか、吹雪いている。
さっきまで降ってなかったのに。すんごい寒い。ゲキ寒。
愛犬は、どちらかと言えば紐を引っ張って前へ前へ急ぐタイプではない。
飼い主の隣で、時折チラチラと飼い主を見ながら、飼い主と同じペースで歩くのが常だ。
それが今日、我先にと走る。
「寒い〜〜、でも平気なんだね。走るの珍しいね」
あれっ!?
珍しいと思った瞬間、愛犬は玄関へと猛ダッシュで帰宅。
玄関扉を早く開けろとドアノブ辺りを見つめている。
『寒いさむいさむい』『無理むりムリ』ってココロの声が聞こえた気がして、私は爆笑した。
「寒かったかー!寒いよねー!」
扉を開けると愛犬はすぐに身体を滑り込ませた。
愛犬は喋らない。
でも、何を要求しているのか、よくわかる。
彼女のココロは単純で愛おしい。
だから私は笑って今日も彼女の要求に従うのだ。
撫でてなでてと、
足をかけ、右手にくっつき、お尻をくっつけて、お腹を差し出す。
遊ぼうよと、
おもちゃを咥えてやってくる。
ご飯の時間だよ、おやつの時間だよ、とクンクン鳴く。
10分のズレもない正確な腹時計に舌を巻く。
日本語を喋るわけでも、ジェスチャーをするわけでもない。
でも愛犬のココロは他の誰よりも理解できる。
そして単純で愛おしい彼女のココロを、
今日も今日とて愛しむ私に、
愛犬は楽しそうに笑ってくれた。
ココロ