あなたは知らない。
私があなたに対して、たくさんの不満を抱えていることを。
あなたはいつも自分の意見ばかりで、
ドラマを「くだらない」と私が毎週観ていることを気づきもせずにチャンネルを変えようとするし、
昼食と夕食分で炊いたご飯を「たくさん炊いたね」と昼食で終わらせようとする。
旅行でレジャースポットに行っても私や子どもたちを置いて、どんどん歩いて行くのが辛かった。私は泣きながらあなたの姿を追いかけていたんだよ。
悪阻で辛かったときに「これなら食べれそう」と必死で作ったサラダを私の分を残さずに全部食べたのは、まだ許してないんだからね。
あなたもきっと私に不満がたくさんあるんでしょうね。
あなたと私は時々喧嘩する。
あなたは怒ったらスッキリするの?
怒った後は普通に接してくるけど、私はあなたを許す気にはなれないんだよ。
あなたは知らない。
自分をいつも正しいと思っていて、妻に寄り添わない。
あなたの知らないって幸せだね。
その幸せ、ずっと続くかはわからないけれど。
まだ知らない君
「妹みたいなものだから」って友人たちには言ってきた。
君の好意を可愛いなぁって笑っていられなくなって、ドキドキと心が逸るようになったのはいつからだった?
認めるよ。
君が他のヤツに馴れ馴れしく声をかけられているのを見るのが嫌で嫌で仕方ないって。
「妹みたいなもの」って言いながら、俺は君へ贈り物1つしたことがなかったね。
君からは愛情がこもったプレゼントを長年もらってきたのに。
さあ、瞳をとじて。
片手をとって、手のひらにそっと置く。
ピンク色のリボンを結んだ、僕の部屋の合鍵を。
見開かれた瞳をもう一度閉じさせて、そおっと優しくキスをした。
あなたへの贈り物 & 瞳をとじて
私は自他共に認める方向音痴。
地図は向かう方向を上に向けないと行き先がわからないので、ぐるぐる回して歩く。
スマホの地図アプリで現在地を表示しても、自分が動いてみないと自分が向いている方向がわからない。
駐車場に自分で停めた自家用車の位置がわからなくて長時間探す。
商業施設の店で買い物した後で歩いている方向は、行きたい方向とは真逆で元の通りを戻っている。
兎に角、自慢ではないけど、私の方向音痴のエピソードはたくさんある。
旦那は、羅針盤のような人。
地図は北を上にするし、初めての場所でも方角はわかっていて、元来た道を引き返すこともない。
「なんで初めてでも迷わないの?」
「鳥になったつもりで、空から景色を見るイメージでいれば迷わんよ」
「…私には無理だ。どこに何があるかさっぱり」
「ね、お母さんはそうだよね。日本地図を思い浮かべた時、自分がどっち向いてるかわからんでしょ」
「うん、全く」
「わしがおらんとお母さんは迷子になるね」
…そう思うなら、もっとゆっくり歩いてよ。
と文句を言う代わりに、重いバッグを持たせた。
旦那は、生き方においても羅針盤のような人。
長女の進学先もネットを駆使してたくさん調べて、候補の中から「この大学へ」と勧めてくる。
長女と私は出身高校が同じで、そんなに高学歴は望めない。
と、高校受験前に懇々と説明したけれど人の話は聞かないので、旦那はこの大学に落ちるわけがないと懇々と述べた。
で、半信半疑でその大学に受験して落ちた…
長女の受験に対する必死さが足りないとも言えたけれど。
旦那は昔から、自分を信じて高みを目指して能力を向上させた人だとエピソードを聞いていて思った。だから、家族の皆んなもそれができると思っている。
羅針盤は強固でテコでも動かない、ある意味欠陥品かもしれない。
でも、頑張れば、その道へ進めそうだと希望も持てる。
長男が共通テストを受けた。
次は大学の前期試験。
羅針盤はとんでもなく優れた大学へ向いている。
長男はそこへ向けて勉強中だけれど、共通テストを終えて少しだけギアが緩んでしまっているように見受けられる。
共通テストのリサーチによって、受験先を変更するか否かは旦那の羅針盤と、息子が「受ける、受けない」のどちらを言うかにかかっている。
そこには、学校の意見も予備校の意見も関係ないのだ。
私は誰とも揉めないように、へらりと笑って同意してしまうことが多い。
そこに羅針盤はなく、地図をぐるぐる回す生き方だ。
テコでも動かないとムカつくことも多いけれど、
私は羅針盤のような旦那に憧れているのも事実です。
羅針盤
【星のかけら & 未来への鍵】関連作品
手のひらの宇宙
中3になってすぐの学級活動はクラス目標を決めることだった。
年度初めの4月と言えば、クラスの中で知っている人、知らない人が混在する時期。
タイミング悪く日直だった俺は、クラス目標と学級委員長が決定するまでの司会を頼まれて黒板の前に立っていた。
まだ浮き足だっている時期に、手を挙げて発表してくれる奴なんていないよなぁ。案が何も出んかったらどーすりゃ良いんだ?
最初から諦めモードになりかけたのを打ち破ってくれた救世主は、定期テストの成績が毎回学年1位と噂の星野。小学校は違う、中1中2のクラスも違う、部活や委員会でも一緒になったことはない。だけどその頭の良さや友人の多さ、容姿が整っている星野は校内の有名人だった。
そんな星野が【スーパーノバ】と答えてくれたけど、なんだそれ。
星野が説明するには、星が爆発したときのすげえ明るい光のことで、それをこのクラスの目標になぞらえたらしい。
説明途中からクラスの皆んなの顔がイキイキしだす。
説明後には拍手があがり出して、クラス全員に拍手の輪が広がる。
俺は声を張り上げて他の案はないか聞いた後、一応多数決を取った。取るまでもなく、スーパーノバ改めSUPERNOVA がクラス目標になった。
俺は星野が作ってくれた良い雰囲気のまま、学級委員長の立候補者や推薦を募った。
俺の思惑通り、星野は学級委員長に推薦され決定して、星野へ司会をバトンタッチした。
星野と俺は、なぜか気が合い、すぐに親友になった。
星野は頭が良くて、リーダーシップがあった。
そのことを言うと、「学級委員長だから、ちゃんとしなきゃと思ってるだけ」と笑う。「そうかもな」と俺は笑う。
宇宙が好きな宇宙バカだと思ったきっかけは、俺の志望校の偏差値60の普通の進学校を受験すると聞いたとき。
「北高とか、私立とか、高校は別々になると思ったのに」
「行かないよ。天文部に入りたいから。予備校で勉強すれば一緒かなと思うし」
「そんなもん?」
「そんなもんにするよ」
「稲葉だってさ、東高は行けるんじゃないの?」
「行かないよ。美術部に入りたいから。オープンキャンパスで見た油絵が凄かったじゃん?俺もああいうのを描いてみたいし」
「絵、上手いもんな」
「どうも」
放課後の美術室で、図書館で借りてきた写真集と、文化祭に掲示予定のアクリル絵と向き合う。
テーマはスーパーノバ。
あのクラス目標を決めた日から、実はこのテーマで絵を描きたいと思っていた。
図鑑や雑誌やサイトの写真をいくつも見て、ようやく見つけたお気に入りの写真を再現する。
否、もっと爆発が目立つように、周囲は暗く、星のカケラの1番の明るさは画用紙の白。白以外にも青、赤、橙、黄色。複雑に、明るく輝かせるように。
アクリルガッシュを筆につけて、指先で筆の絵の具を弾くようにキャンバスボードに散らばらせる。
少し離れて全体を見て、もっともっとと絵の具を乗せる。
「できた」
星野に見てもらいたい気持ちを抑えて、文化祭の日を待った。
文化祭実行委員長の星野は、当たり前に文化祭は忙しかった。
朝はオープニングの挨拶と展示教室の見回り、午後からはステージパフォーマンスの責任者としての仕事。
見回りは実行委員同士で行く必要はないからと、俺と回った。
「星野、モテるんだからさあ、俺と一緒じゃなくても。女の子に告られたりしてねーの?」
「好きな子がいればそうしたかもだけど。稲葉の作品を一緒に見たいじゃん。それよか稲葉こそだよ。好きなヤツいねーの?」
「う、ん、まぁなー…」
「歯切れ悪くね?」
「ま、気にすんなって。俺のことは」
背中をバンっと叩く。
既に告ってて、フラれたとは言えていない。その子の好きなヤツは星野で、それは口外しないでと口止めされてるし。
美術室に入ってすぐ、星野は俺の絵に真っ直ぐに向かって行った。文化祭が終わるまでは美術部部長ってことで、部員がいちばん目立つ場所に展示してくれたのもあるけれど。
正面に立ち、無言で見つめている。
星野にどんな評価が下されるのか。審判を待つような気持ちだ。
色遣い、強弱。かなり写真よりもデフォルメして綺麗に仕上げてしまったし。
やっぱり、図鑑や写真集をたくさん持っていて知識も豊富なヤツだから、こんなんはスーパーノバじゃねえって否定されるか?
あまりに長時間目を凝らして見られている気がして、あの、と声をかける。
自信のないちっせぇ声。情けねえ。
「すっげえ綺麗」
星野は俺を見て目を輝かせた。
瞳に俺の絵が映り込んで、光が散らばっているように見えた。
星野の瞳に魅入られる。瞳の中の宇宙に。
星野に急に右手首を握られ、手のひらを上に向けられた。
「な、なに?」
ふわっと柔らかく星野が笑った。
「稲葉の手のひらの宇宙は綺麗だなあと思って」
どういうこと?
意味がわからず、俺は自分の手のひらを見つめて、わかるわけがないとすぐに結論づけた。
「宇宙が描けるなんて羨ましいよ」
「…どうも。って言うか、これ星野にプレゼントのつもりで描いたから、文化祭終わったらあげるよ」
「え、でも、良いのか?」
「うん、星野の誕生日もうすぐだから」
「ありがとう。すげえ嬉しいや」
「うん」
美術室を後にする。
俺はこっそりと自分の手のひらを見つめた。
手のひらの宇宙か。
また描こう。そして星野に見せよう。
美しい宇宙を。
手のひらの宇宙
俺の住む単身者用マンションの隣に、女性が引っ越してきた。
単身者用のマンションだから入居者の入れ替わりがままあって、入居時の挨拶をする人は居ない。彼女もそうで、共用の廊下やエレベーターですれ違うときに「こんにちは」等挨拶をする程度。
小さな声音でいつも俯きがちな彼女は、20代のOL、大人しそうで真面目そうな印象。俺にとって、それ以上でも以下でもなかった。
夜19時過ぎ。
帰宅途中で、花火が上がっているのが見えた。
そういえば駅の掲示板に近所の神社の祭礼のポスターが貼ってあった。
花火の方角からも間違いないだろう。
引っ越して1年未満。こんなに近所で花火を見られるなんて思わなかった。
帰って部屋着に着替えてから、冷蔵庫からビールを取り出す。
夕食はまだだけど、花火を見ながら1杯やるのもなんか良いし。
俺はビールを持って、ベランダから花火を眺める。
小さな神社なのに、頑張ってるんじゃないの?
スターマインまで上げちゃったりさ。
ドーーンと低く大きな破裂音や、スターマイン後にパラパラパラと花火が散りゆく音が風に乗って運ばれてくる。
疲れた身体にビールが旨えや。
「わーー、キレー!」
弾んだ声と共に隣の部屋の窓が開き、人が出てきたのが音でわかる。
「花火なんて久しぶりっ!ベスポジだよ!」
誰かと話しているかのような声の大きさだけど、独り言だ。
俯きがちな小さな声音の彼女とはにわかには信じがたい明るい声音。
風に乗って、聴こえる声に。
「良い声だなぁ」
俺は思わず呟いてしまっていた。
一瞬、シン…と音が静まった気がして焦る。ものすごく焦る。
今日、たまたま花火が上がったから俺と隣人がベランダに出てきて、パーテーション越しに声が聴こえてしまっただけ。
だけどもしも、隣人が自分の声を俺がこっそりと聴いているなんて誤解されたら?
隣人と顔を合わせられない。ものすごく恥ずかしい。
息を沈めてしばらく様子を伺うと、缶飲料のプルタブを開ける音がした。
「乾杯」
小さな囁き声は、独り言か俺に向けたものか。
わからない。
けれど、風のいたずらが彼女の音を運んでくれる。
大人しそうに見えた彼女は花火が綺麗だと喜ぶ、意外にも明るい女の子だったこと。
アニメのキャラクターのように、艶やかな声音で滑舌が良いこと。
ベランダに出てきたときよりも声が小さくなっても、風が音を運んでくれる。
……挨拶だけじゃなく、もう少し喋ってみたいなあ。
風のいたずらが、隣人への興味を運んできた。
風のいたずら