私の癒しは末娘の背後から忍び寄って、彼女の肩に自分の頬をくっ付けること。
13歳の彼女はどう思っているのだろう。
「お母さんの癒し。ぴたっ」
「ヒィエエエエッ」
まるで自分がバケモノに遭遇したかのような発声だ。
(失礼なやっちゃな)と思いつつ、私に頬を触れさせたままでいるところを見ると、彼女はそれほど嫌がってはいない。
照れ隠しで奇声を発してるだけなのかも。期待してしまう。
お母さんの愛情を、娘が奇声を発して受け止める。
うん、平和だから良き。
愛情
37.5℃。
私は腋から取り出した体温計の表示を見て溜息を吐いた。
昼休憩、病院の売店でコッソリ買った体温計で熱を測ってみたら、案の定微熱。
頭重感と倦怠感はあるけれど、このくらいなら仕事へのアドレナリンで乗り切れる。多分だけど。
今日は午後から日課の検温に加え、検査出し、オペ出しと受け入れ。合間には看護計画や退院サマリーの入力も進めたい。
早退してチームの看護師に迷惑をかけるか、就業終了まであと4時間、粘るか。
残業せずに帰宅できる仕事量ではないけど、でも、流石に今日は定時で帰ろう。帰らさせてもらう。
腹の決まった私は立ち上がった。
「よし、働こう」
「37.5℃。微熱っすね」
「……っ!」
背後から急に声をかけられて、心臓が一瞬止まるかってほどに驚く。
此処は会議室や事務室が並ぶ職員専用フロア。職員でさえも滅多に通らない廊下の隅でコソコソしていたのに。
あたしが驚きのあまり落とした体温計を、顔馴染みのレントゲン技師さんが拾ってくれる。
「ありがとうございます」と告げて返してもらおうと手を差し出したけれど、渡してはもらえなかった。
「看護師さんって、微熱は熱じゃないと思ってますよね」
「そんなこと…」
「ありますよね。普通の人は、37.5℃でこれから4時間以上も仕事しようなんて思わないですよ」
誤魔化すように笑うしかない。
先日、そういったことの積み重ねで、私は彼氏と別れたばかりだ。
だって、日々解熱剤を使わなければならないような高熱患者を看護してるのに、今更たかだか微熱で心配してくれない、冷たいとか機嫌がすこぶる悪くなられてもねえ?
「微熱って本当は辛いと思うんですよ。普段とは違う身体の状態なんですから。看護師さんに言うのも烏滸がましいですけど」
ベンチへ座るように促されて、確かに座っている方が楽だから大人しく腰をかける。技師さんも隣に腰掛けた。
このレントゲン技師さんとこんなに話をしたのは初めてだった。
普段は患者さんのレントゲン室への送迎時に挨拶をするだけ。
だけど。
私を心配してくれているのはわかる。
ぶっきらぼうな伝え方でも、どういうわけかわかる。
「…ありがとうございます」
「帰ります?」
「はい」
素直に頷く。
明日に回せる仕事は看護計画と退院サマリーくらいしかなくて、チームの皆んなには迷惑をかけてしまうけれど。
技師さんは体温計を私が座るベンチに置いた。
直接渡してもらえなかったことにわけが分からず訝しがりながらも手を伸ばす。
「あ、ちょっと待って。写真撮りたいっす」
「写真?」
ますますワケが分からず混乱した私を放置したまま、技師さんはスマホで37.5℃と表示された体温計の写真を撮った。
「俺もコレで帰ろうと思って」
「はぁ?」
仕事のサボりの口実に使うの!?
私のムカついた顔を見て、技師さんは慌てて首を横に振った。
「違います、違います。青木さん、電車通勤でしょ?
俺、車だから近くまで送って行ければと思ったけど、でも、考えたらキモイですよね。いつも挨拶程度だったのに」
技師さんは焦って慌てて言い募る。
なんかこの人って多分素直で良い人だ。
技師さんの胸ポケットに取り付けられた名札に目を凝らす。
木村さん。
「ですね。でも、駅まで乗せて行ってもらえると助かっちゃうかも。木村さんの昼休憩を潰しちゃうのは申し訳ないですけど」
何だろう。
少しだけなら頼って良いと思ってしまったのだ。
その方が、木村さんに心配をかけなくて良いのかなあと思わされてしまったのだ。
普段なら、身内や友人以外こんなこと頼まないことなのに。
「そんな、全然良いです!青木さんと一緒にいれ…っと、何でもないです」
木村さんは慌てて私から目を逸らして僅かに横を向いた。
でも横顔のせいでマスクで覆いきれていない頬や耳元がよく見える。その頬や耳元が紅く染まっているような気がする。見間違いでなければ。
「木村さん?」
「あの、青木さん。早く職場に伝えた方が良いと思います、」
「…ですね」
「俺、車を地下駐車場の方に回しておきます。その方が一目に付かないだろうし」
「わかりました。あの、LINE繋げても大丈夫ですか?ちょっと時間かかるようなら連絡取りたいですし」
「あっ、そうですよね。すみません」
「いえ、私こそ昼休憩潰してしまいそうで、すみません。ほんとに大丈夫ですか?」
「俺の心配はいらないっすよ」
私は職場へ向かうため立ち上がる。
多分、立ちくらみを心配してくれたのだろう。木村さんは何かあったら私を支えるつもりで両手を軽く伸ばしてくれていた。
「行ってきますね」
「はい。待ってます」
たかだか微熱と思っていたけど、人に優しくされると嬉しい。
微熱をアピールする気にはなれないけれど、でも、こんな優しさは身に染みる。
車に乗ったら、窓を開けて換気してもらおう。
この微熱の原因が何なのかわかりかねてるけど、木村さんには絶対に移さないように。
私は木村さんのことを考えながら病棟へ向かった。
微熱
太陽の下で
キスをした。
誓いのキス。
キスした人をそっと仰ぎ見ると、
とても恥ずかしそうだった。
拍手と、冷やかす声と、祝福の声。
新郎のタキシードの白が、
太陽の光をいっぱいに受けて
眩しかった。
二人の指輪には、
今日の日付けと二人のイニシャル。
人前式での一コマ。
恥ずかしい、けど、とっても嬉しかった日。
陽射しが暖かくて眩しかった、あの秋の日。
太陽の下で
「一体いつ完成するんだよ」
あたしと一緒にコタツに入っている彼は、ミカンを口に放り込みながら、あたしに疑問を投げかけた。
彼がそう言うのもムリはない。
あたしは、先日から少し編んでは解き、また編んでは解き…と繰り返している。
編み目の数を間違えたり、編み目がなぜか穴開きになっていたり。
「何でセーターなんだよ。マフラーにすれば良いじゃん」
「セーターじゃなきゃダメだもん」
あたしはまた、作り目を編み始める。
編み始めてすぐに、彼は「最初のヤツは上達したよな」とケラケラと笑った。
あたしは目線を少し上に上げて、彼越しに見えるドアへ視線を動かした。
ハンガーにかけられた黒いジャケットは彼のモノ。
いつもダボっとゆとりのある服を着ている彼だけど、あたしの両親に会う時に着てくれたそのジャケットは彼にとてもよく似合っていた。
カッコよかった。
ハッキリ言って、惚れ直しちゃったのだ。
だからあたしは、そのジャケットに合わせて着てもらえる彼のセーターを編みたいのだ。
何としてでも。
あたしは編み図と自分の作り目が合っているか確認する。
「それで大丈夫だよ」
彼が正面から口を挟んだ。
「へ?」
「何回もやってるから、本の見方がわかったよ。俺も数を数えてたから大丈夫」
「…どうも」
ちょっと驚いて、彼をマジマジと見てしまった。
あたしが編み物に夢中になり過ぎて、実はツマラナイと思ってるんじゃないかと危惧していたから。
彼はまたミカンの皮を剥き出した。
本日2個目。
まぁ、カゴいっぱいある小ぶりのミカンだから、2個目でもありっちゃありか。
「ほら」
彼があたしの目の前にミカンを一房差し出した。
あたしが口を開けると、ミカンを放り込んでくれた。
「美味しっ」
「そうだろそうだろ。三ヶ日みかんだからな」
彼は得意げに笑う。
「あたし、今日はココまで編むつもり」
編み図を指差す。
後ろ見頃の半分の半分の半分くらいが目標で、全体で見たらほんのちょっとだけど、何度も編んだり解いたりしているあたしにはまだ未到達な領域。
「じゃっ、チャッチャッと済ますか」
「うん!」
彼は数を数えてくれ、あたしのミスを素早く指摘してくれながら、ミカンを口に入れてくれる。
目標までできたところで、あたしは彼に問いかけた。
実はずっと言いたくて堪らなかったけれど、サプライズにもしたくて、言おうか言うまいか葛藤していたセリフだ。
「これ、誰のセーターだと思う?」
彼はあたしを驚いたように見た後、「バカだなあ」と笑った。
「は!?」
予想外の反応にあたしは憤慨した。
彼は笑いを引き摺りながら、今まで数を数えてくれていた編み図のページを音読した。
「ジャケットの下に着用できる、すっきりとした細身のセーターです。
彼氏へのプレゼントにピッタリ!」
確かに、バカはあたしだったわ。
あたしは負けを認めて項垂れる。
彼はあたしの頭に手を乗せた。
「完成、楽しみにしてるよ」
セーター
落ちていく
自傷、死を扱っています。閲覧注意。
私の母は、自傷する人だった。
精神的な病のせい。
あるとき病院に入院してお見舞いに行ったとき、看護師に言われた。
「嫁姑問題で悩んでいるようです」
私のことで悩んでいたんじゃないんだ。良かった。
先ずそう思ってしまった私は、なんて酷い娘なんだろう。
お母さんに寄り添いもしないで。
嫁姑と言っても、母に姑はいない。
ウチはちょっと複雑。
母は私を産んだ後、父と離婚して私を連れて母の実家に身を寄せた。
そこには母の兄と兄の嫁、母の実の両親がいて。
叔母と祖母の仲が兎に角悪い。
幼い私でもわかるのだから、相当酷い。
高校生の頃、私と叔母さんの息子--私にとっては従兄弟--の仲が悪化する出来事があった。
私は夜眠れなくなり、でも、母に心配をかけまいと親たちの前では仲が悪くないフリをした。
もしもあのとき、母に祖母と共に家を出ようと言えていたのなら。
それが無理と言われたとしても、高校を卒業後、就職した直後にでも家を出ることができたのなら。
まだ、お母さんが精神的な病を発症する前だったから、発症せずに済んだのかもしれない。
退院後は通院しながら、母は社会復帰もしたし、診察の結果、内服も終了した。
でも、私にはいつも恐怖が付き纏っていた。
また、自傷したら。
医師には治る見込みのない病気だと言われていた。
私は毎日母が生存しているか不安に駆られながら日常生活を送った。
そして。
私に何か言いたげな顔をしたくせに、何も告げず、遺書だけを残して母はこの世を去っていった。
その日を境に、母の年齢より1歳でも長く生きることが私の目標になった。
母が死去した年齢を超えた今、母が死を思いとどまってくれていた私の年齢に、私の末娘が誕生日を迎えるのを目標にしている。
そのあと、私の中で目標ができるのかどうか、私にはわからない。
そして。
母の死から十数年経って、叔母は身体が不自由になった。
私は遠くに住む従兄弟たちの代わりに世話をしている。
けれど……私は叔母のことも従兄弟のことも許していない。
許せるはずがない。
仲の良いフリをするけど、一生恨んでしまうのだと思っている。
落ちていく。
否、私の負の感情は、ずっと前から深淵にいる。
落ちていく