今日の題目は「これからも、ずっと」ととのこと。
ずばり読点の存在感が強い。ひと思いにひと息で言い切っても良さそうなところをそうしていない。
思えば大人になってからSNSや紙の手紙はもちろん電子メールや仕事の資料で何かものを書くときにこの読点の使い方に悩む時間を持つことが増えた。
一度立ち止まって自身の文章を確認するようになったからだ。
読みやすい文章は読点の使い方が上手いものだがマナーによっては読点の使用を嫌う場面もある。点を打つだけのことなのになかなかにやっかいなものだ。
いずれにしても誰かが何かを伝えるべくして心を砕いたその欠片が読点なのであってこの一つの飴玉をじんわりと味わいながらその先につながる物語を空想するべきである。
「沈む夕日」という題目で連想したのは、ゲームソフトのワンシーンだ。
ゲームのタイトルは「ぼくのなつやすみ」。少年が親戚の家で過ごすひと夏、その中で夕日を撮影する外国人写真家と少年の交流も描かれていた。
夕日に魅入られた彼は「夕日が海に入るとき、ジュッと音がする。それを撮りたい」と少年に語りかける。
私はそのセリフに触れたとき、共感できなかった。
そして今もそうらしい。
海に沈む夕日を知らないわけでもないし、言わんとしていることも理解できないわけでもない。
ただ、沈む夕日には静寂が相応しい、と自分勝手に思う。
普段よりも大きく燃え上がってみえる太陽がゆらゆらと地平線や水平線あるいは山やビルの稜線を瞬き光るように縁取ってはそっと消えていく。
そのとき私の中からほんのひと時音が消える気がするのである。
「君の目を見つめると」が題目ときた、これは難問だ。
そもそも私が普段誰かのことを「君」と呼ぶことはまずない。それが例え心の中であっても。そして誰かが「君」と呼んでいる姿も見たことがない。
なぜだろう。
フィクションの世界に旅立ってみる。良い椅子に腰かける嫌な中年上司、星を振りまくようなキザな青年、凛とした雰囲気を纏う女性主人公。それぞれが「君」と誰かに呼びかけるイメージがありありと浮かぶ。
考えてみると彼らには「自信家である」という共通項がある気がする。
それでいくと自信がある人間にしかできない数あることのひとつが「君の目を見つめる」ことだと言えるかもしれない。
翻って自分は自信がないことに自信がある非自信家である。
私には「君」から始まる言葉を紡いでいくことはこれからもなさそうだ。
「星空の下で」が題目なんて、なんてロマンチックなんだろう。
なぜロマンチックだと思ったのか尋ねられたって困ってしまう、理由なんか特にないので。
輝く星には多くの人にロマンを感じさせる何かがあるのだろう。それで良いと思う。
「...ロマンチックな王様で、風のすべてが彼の歌、星のすべてが彼の夢...」
最近子どもとその童謡を聞いたとき、懐かしみながら、そんな歌詞だったんだとも思ったし、大人になった今、もし自分もそうあれたら嬉しいなと思った。