【107,お題:スリル】
余りに静かで穏やかな夜は、どうにもスリルがほしくなる
ずっと死の危険と隣り合わせで生きてきたため、安全と言う普通が少し肌に合わないのだ
何事もなく1日が終わると、何事もなかったことが不安で妙にそわそわして落ち着かない
手元にあったナイフを投げてキャッチし、また投げて回転させてキャッチする
ナイフでは足りない、これではせいぜい手を切るくらいだ
もっと、自分の心臓に刃物を当てられたような、眼前に銃口を突き付けられているかのような
自身の一挙手一投足、呼吸までもが死に直結するという、逃れられない緊張感
何かないだろうか、数分思考した後に、ふと幼い頃何処かで溺れ掛けた記憶が脳裏に蘇った
生憎、川や海は近くに無い、しかし呼吸を止めることが出来る程の水源ならば近くにある
風呂の前に立ちぼんやりと波打つ水面を眺めた、ちゃぷ、とお湯に足を突っ込み肩まで沈んだ
水を吸って重くなった服の生地が、あの瞬間をリアルに思い出させた
自由の利かない身体、肺の酸素がどんどん尽きていく、水が気管に入って呼吸が止まる
...すぐ側に迫る、死の気配を纏った死神の笑み
「ッ!」
反射的に縁を掴み脱出しようと手を上げた、しかしその手は空を掻き、水面に落ちて飛沫を上げた
身体を起こそうにも、今自分がどんな体勢なのかすら分からない、パニックに陥った脳が上下左右の情報を滅茶苦茶に伝える
がぼがぼと大量に水を飲み込み、耳の奥でビーッと音がなる、頭が割れそうな程に痛み視界が赤黒く明滅した
まるで、水面も海底も見えない暗い海の真ん中で1人、孤独に沈んでいく気分だった
駄目だ、死ぬ...
本能でそれを感じ取り、苦痛から逃れるように意識を手放そうとした時
ザブンッ
「ッ...?」
突然、強い力で服を掴み引っ張られた、硬い床に引きずり出される
その直後、怒鳴り声が飛んだ
「あっぶねぇ~!何してんのっ!?」
「が...っゲホ!げほ、ヒューッ...ぐっ」
「どーどー、落ち着けって...大丈夫か?」
チカチカと視界が揺れて焦点が定まらない、大量に水を飲んだせいだろうか、吐き気がするし頭痛も酷い
少しの間激しく咳き込み、ようやく呼吸が安定してきたのを確認すると、彼にしては遠慮がちに口を開いた
「とりま聞くけどさ...、なんで風呂場で溺れてたん?」
「...ゲホッけほ、...ゼェ...」
「あー言いたくねーなら別に良いけどさ、驚くし、すげえ怖かったから...あんまこういうことすんなよ?」
ぽん、と触れられた肩から体温が伝わってくる、今気付いたが全身びしょ濡れな上に、開いた窓から吹き込んだ夜風でかなり身体が冷えていたんだ
くしっ、と一つくしゃみをして、全身を取り巻く寒気に身震いすると、「ホットミルクでも飲むか!」と明るい声で言い放ち手を差しのべるお前
スリルは好きだけど、こうして誰かと一緒に居ることも悪くはない
「まずは身体拭けよ~」とタオル攻めされながらふと思うのであった
【106,お題:飛べない翼】
飛べない翼を背負って、私は生きています
重いだけの大きな翼
動かして飛ぶどころか、畳むことすら出来ない
飛びたくても飛べない
諦めて畳むことも出来ない
中途半端な憧れが、どれだけ辛いのか
初めて思い知りました
背中に突き刺さった翼
枷のように重いそれを引きずって、這いずるように地べたを歩き
それでもなお尽きることない輝きに、騙されながら
日々を歩む
【105,お題:ススキ】
コトリ、背中越しに聞こえる硬い花瓶を置く音
...ああ、また来やがった
チッと心の中で舌打ちをして悪態をつく
白いシーツにくるまって狸寝入りをしていると、当たり前のようにアイツが話しかけてきた
「ねえ、起きてるんでしょ」
「...」
「今日ね、みんなでサッカーの試合を観に行ったんだよ」
「...」
「応援頑張ったんだけどもう少しってとこで、なんと猫ちゃんが乱入してきてね!...そのまま負けちゃった
運も実力のうちってこの事だよね~次こそはーってみんなで運気を上げるおまじないを試してるんだ~」
うるさい、早く帰れよ
そんな言葉を発する気力もなく、ケホッと小さく咳き込んでぼんやり壁のシミを眺めた
そんな楽しい話は別の誰かに聞かせてやれ、俺はもう...何にも期待したくない
「蓮くん、ススキの花言葉って知ってる?」
「...?」
ごう、と強い風
外から吹き込んだ空気の渦が、病室を滅茶苦茶に荒らしていく
埃が舞ったのか、喉がへばりつくように締まった
「ゲホッ、っおい!げほっけほっ窓、閉めろ...ゼェッ」
気道が狭まる感覚に喉を押さえて起き上がる
「は...?おいッげほ、お前...ッ!」
「ススキの花言葉はたくさんあってね、《活力》《生命力》《なびく心》《憂い》
...このほかにもいくつかあるんだよ、それでね」
風に靡くカーテンを背に、窓に腰を掛けたアイツの姿
ここの病室は5階柵やベランダは付いていない、落ちたら怪我どころじゃすまない
「その中一つがね、《悔いのない青春》」
「なん、なんだよ、戻れ!危ねえだろ!」
ベットから降りようにも点滴が邪魔だ、それにずっと寝たきりだった身体は、思うように言うことを聞いてくれない
「病室で寝たきり、なんてあんまりだよねぇ?せっかく一度の人生なのに」
ずるり、身体が前にずれる、重心が傾く
「私の送るはずだった人生、運命を全部君にあげるだから、悔いのないよう生きて」
ずっ
アイツが消える、その数秒後重い何かが落ちたような音が下から聞こえた
その後には、アイツが持ってきたんであろうススキの穂が風に揺れていた
【104,お題:脳裏】
脳裏に浮かぶのは、もう何年も前のあの光景
振り切った筈なのに、気付いたらいつも頭の隅にある
泥沼のように濁りきって重い、抜けないよう胸に深く突き立てられた、雨の匂いがする紫陽花色の記憶
「これは、あなたへの罰よ」
「待ってお願いだ!そんな馬鹿なことは止めてくれ!」
「馬鹿なこと...?」
くすりと口角が上がる、本当に可笑しくて堪えきれず笑ったような笑顔
もう何日も見ていなかった、屈託のない純粋な君の笑顔
いつか取り戻してあげたいと思っていたその表情、この状況では見たくはなかった
『あなたが招いたことでしょう?』
悲しげに、でも満足げに、僕へのイタズラが成功した時のような無邪気ないたずらっ子の顔
頭の追い付かない僕を見て、くすくすと喉をならし急にすっと目付きが変わる
「せいぜい苦しみなさい、私がどれだけ辛かったのかその身をもって思い知れ」
ガタン...ガタン...ガタン...
遠くから聞こえてくる金属と金属がぶつかりあう音、彼女が見つめる視線の先に
高速でこっちに向かってくる銀色の閃光が見えた
「じゃあね、ばいばい」
滑るように自然な動作で、彼女が線路の中央へ踏み出す
止めてくれ、とフェンスにしがみつく、ガシャンガシャンと悲鳴のようにスチール製の針金が鳴った
喉が擦りきれそうな程叫ぶ、だがその喧騒を全く意に介してない様子で
彼女は電車が迫りくる線路上へ、優雅に躍り出た
「あ、でも」
呼吸が止まる、時間が止まる、この世の全てのものがスローモーションになったような錯覚
くるりと振り返る君、死装束のように白いワンピースが風を受けてあおられた
「来世であったら、その時は...」
ゴオオオオン キキイイィィッ!! 線路の人影に気付いた電車が急ブレーキを掛ける音
『その時は、きっと私をお嫁さんにしてね』
キキイィッッッ!ドンッ 目の前から君が消える、最後に白いワンピースが視界を遮った
火花を散らしながら減速して、数メートル先で電車が止まる
雨の匂いがする、遠くの空がゴロゴロと唸っている
カクンとその場に膝をついて、夢を見ているような感覚でついさっきまで彼女が立っていた、その場所を眺める
そうして終わった、6月最後の日
風呂に入っている時、本を読んでいるとき、眠りにつく前
当たり前に過ぎ行く日常の、ふとした瞬間に思い出すのだ
脳裏に、消して消えない火傷のようにこびりついた、あの雨の匂いがする記憶
君が死に際に残した命がけの呪い、きっと僕は破ることが出来ない
見ているかい、僕はちゃんと苦しんでいるよ
君が残した、最後の最後の願いを今度こそ叶えてあげられるように
今日も呪いに縛られて生きる。
【103,お題:意味がないこと】
朝布団から這い出すことも
カーテンを開け日の光を浴びることも
身支度をして 適当な朝食に 適当なコートを羽織り
お見送りに来た飼い猫に「行ってきます」を言って外に出ることも
大学の講義を 眠気に耐えながらやり過ごし
同じ目的を持つ仲間達で集まって 談笑しながら昼食を取ることも
「寒いな」なんて笑いながら 固まって講義室を移動することも
授業が終わって帰路に着く帰り お気に入りの本屋を覗いてみることも
頑張った自分へのささやかなご褒美として コンビニでスイーツを買うことも
帰りの電車でうたた寝して 駅を乗り過ごしそうになることも
ついでで買ってきた少し高めの猫缶と 自分用に作った麻婆豆腐
猫缶を皿に出し 麻婆豆腐を口に運びながら アニメ鑑賞をすることも
風呂に入って 歯を磨いて 布団に入る
読みかけの本を少し進め あとちょっとで返却期限か なんて思いながら微睡みに意識を手放すことも
全部全部 意味のないこと
意味はないけれど とても大事な日常ということ