【104,お題:脳裏】
脳裏に浮かぶのは、もう何年も前のあの光景
振り切った筈なのに、気付いたらいつも頭の隅にある
泥沼のように濁りきって重い、抜けないよう胸に深く突き立てられた、雨の匂いがする紫陽花色の記憶
「これは、あなたへの罰よ」
「待ってお願いだ!そんな馬鹿なことは止めてくれ!」
「馬鹿なこと...?」
くすりと口角が上がる、本当に可笑しくて堪えきれず笑ったような笑顔
もう何日も見ていなかった、屈託のない純粋な君の笑顔
いつか取り戻してあげたいと思っていたその表情、この状況では見たくはなかった
『あなたが招いたことでしょう?』
悲しげに、でも満足げに、僕へのイタズラが成功した時のような無邪気ないたずらっ子の顔
頭の追い付かない僕を見て、くすくすと喉をならし急にすっと目付きが変わる
「せいぜい苦しみなさい、私がどれだけ辛かったのかその身をもって思い知れ」
ガタン...ガタン...ガタン...
遠くから聞こえてくる金属と金属がぶつかりあう音、彼女が見つめる視線の先に
高速でこっちに向かってくる銀色の閃光が見えた
「じゃあね、ばいばい」
滑るように自然な動作で、彼女が線路の中央へ踏み出す
止めてくれ、とフェンスにしがみつく、ガシャンガシャンと悲鳴のようにスチール製の針金が鳴った
喉が擦りきれそうな程叫ぶ、だがその喧騒を全く意に介してない様子で
彼女は電車が迫りくる線路上へ、優雅に躍り出た
「あ、でも」
呼吸が止まる、時間が止まる、この世の全てのものがスローモーションになったような錯覚
くるりと振り返る君、死装束のように白いワンピースが風を受けてあおられた
「来世であったら、その時は...」
ゴオオオオン キキイイィィッ!! 線路の人影に気付いた電車が急ブレーキを掛ける音
『その時は、きっと私をお嫁さんにしてね』
キキイィッッッ!ドンッ 目の前から君が消える、最後に白いワンピースが視界を遮った
火花を散らしながら減速して、数メートル先で電車が止まる
雨の匂いがする、遠くの空がゴロゴロと唸っている
カクンとその場に膝をついて、夢を見ているような感覚でついさっきまで彼女が立っていた、その場所を眺める
そうして終わった、6月最後の日
風呂に入っている時、本を読んでいるとき、眠りにつく前
当たり前に過ぎ行く日常の、ふとした瞬間に思い出すのだ
脳裏に、消して消えない火傷のようにこびりついた、あの雨の匂いがする記憶
君が死に際に残した命がけの呪い、きっと僕は破ることが出来ない
見ているかい、僕はちゃんと苦しんでいるよ
君が残した、最後の最後の願いを今度こそ叶えてあげられるように
今日も呪いに縛られて生きる。
11/9/2023, 11:54:40 AM