#7 「懐かしく思うこと」
バイト初日。緊張している私に、私が持っていた某芸人のグッズを見て「ねぇ、〇〇好きなの?私も!」と話しかけてくれた1つ上の女性の先輩。
その日のうちにLINEを交換し、すぐに仲良くなった。私のことを妹のように可愛がってくれる。家では三姉妹の次女という立ち回りをしている私にとって、「妹」としていさせてくれる空間はものすごく心地いい。尊敬できる大好きな先輩だ。正直、お金を稼ぎにバイトに行くというよりは、先輩に会いにバイトに行っている。先輩とシフトが被っていると心底嬉しい。先輩に恋しているのでは?というくらいに大好きで、先輩のことを思い出してはニヤニヤしてしまう。
あの時先輩が話しかけてくれたから、今がある。
ずっとずっと今の関係のままでいたい。
#6 「もう一つの物語」
「もし、あの高校に行かなければ」
「もし、この大学を選ばなかったら」
中学校までは自分はそこそこ頭のいいほうだと思っていた。高校受験はギリギリまで2つの高校で迷っていた。1つは市内No.1かつ県内No.2の学力を誇る県立高校、もう1つは市内No.2のレベルの県立高校だ。前者は、必死に頑張れば受かる可能性がある高校。後者は、母の出身校で、当時の私の学力で確実に受かれるレベルだった。さらに私の親友の第1志望校でもあった。迷いに迷って、私はレベルが高い方の高校を受けた。母からの重い期待に応えたくて。
しかし、結果は不合格。次から次へと涙が零れた。なんで?あんなに頑張ったのに。悔しくて堪らなかった。結局私は、自称進学校の底辺私立高校に通うことになった。もちろん初めのうちは成績が良かった。でも、高校受験がトラウマとなり頑張ることが怖くなってしまった。「必死に勉強して大学受験も失敗したらどうしよう」そんな考え方で勉強することから目を背けるようになった。頑張ることを辞めたらみるみる成績が下がった。当たり前だ。
大学は北海道の国立大学を受験した。様々な理由をつけて頑張ることから逃げていたら大学も落ちた。母には浪人を勧められた。でも、それだけはどうしても避けたかった。現役で頑張れなかった人間が浪人したって頑張れるはずがない。落ちるに決まっている、と思っていたから。
私は私の人生は高校受験で狂ってしまったと思っている。その思いはこれから先も変わることは無いだろう。
「もし、もう1つの高校を受験していたら私の人生は明るいものだったの?」
進学するつもりなんてさらさらなかった滑り止めの大学で、全く興味のない授業を受けながら、私は今日も考える。
#5 「暗がりの中で」
暗がりの先に、光は見えますか?
本当に暗闇の中にいるとき、光なんて見えない。
暗闇の中にいるとき、どこを探したって光なんてない。
いや、実はあるのかもしれない。見つけられないだけで。
私たちはそれを必死に探す。
暗闇の中にある小さな小さな光を私たちは探し続ける。
#4 「紅茶の香り」
私はコーヒーより紅茶派。考えてみると、幼い頃もコーヒー牛乳よりミルクティー派だった。ブラックコーヒーやストレートティーをまだ飲めなかった頃から何も変わってない。好みって意外と変わらないのかもね
#3 「愛言葉」
「では、ばいっ!」
これは私と1つ上の先輩との「愛言葉」だ。どちらかと言うと「合言葉」の要素が強い。
私と先輩は小学生の時、放課後に学童保育に通っていた。先輩は年下の私を非常に可愛がってくれた。小学生の頃の話なので特段先輩後輩といった上下関係はないが、いつも対等に話してくれていた。大好きな先輩だ。
基本的に先輩の親の方が私の親よりもお迎えが早かったので、いつも私が玄関までついて行って先輩を見送っていた。別れ際、私たちにはお決まりの挨拶があった。敬礼をするように右手を額の端に持ってきて、「では」と先輩が言う。その後2人で声を揃えて「ばいっ!」と言う。「じゃあね」とか「バイバイ」よりずっと明るく別れられるし、他にこの挨拶をする人もいなかったのでどこか優越感に浸ることが出来た。
先輩の小学校の卒業式の日、式が終わったあとに先輩とおしゃべりをした。別れ際、またいつもの流れで「では、ばいっ!」の挨拶をしようとした。中学校に上がれば先輩はもう学童保育には来なくなる。お決まりの挨拶をする日常がなくなるのかと思うと、堰を切ったように涙が溢れた。先輩も私につられて泣いていた。2人して涙でぐしゃぐしゃの顔で、でもとびきりの笑顔で大きな声で挨拶をした。『では、ばいっ!!』