初恋なんて経験がない。甘くて、苦い、なんていうけどそれは本当なのだろうか。君は、それをどう認識したのかいつか教えてくれ。
耳を澄ませば、聞こえるものは何か。耳が痛くなるほどの静寂か、将又騒がしいほどの喧騒か、穏やかな日々の些細な音か。結局、君が何を聞いているのかなんて分からないけれど、素敵な音で君の周りが満ちていることを願ってる。私の素敵な友人は、遠くに行ってしまってどんな日々を過ごしているのかわからない。連絡は取るけれど、それだけだ。会うことはなく、ただ惰性でずっとオンライン上でのやり取りをしている。
時に、少しばかり淋しさを覚えることがある。高校時代をあまりに懐かしく想ってしまう。遠慮なく語り合えたあの時を思い出す。忌憚ない意見が飛び交った、あの日々を思い出してしまうんだ。君たちは私が過去に酷く執着していると思うだろう。正しくその通りだと思う。私は過去に執着している。過去ほど美しいものはないと私自身思っているからだ。過ぎ去った日々ほど、きらりと輝くものはない。目に酷く焼きついた眩しさが、忌まわしく思うほどに残っているんだ。鼓膜を揺らした、あの楽しい声も。あの焦りも。その全てが私を過去に縛り付けている。
さて、ここまで書いて何というべきか。私はただ今を嫌う人間だ。不完全な今の自分を嘆いている。今さえ自身が後退しているのではないかと思ってしまう。どうしようもなく、愛した人々も環境も何もかもが変わっていく。変容ほど恐ろしいものはなく、変容ほど胸揺さぶられるものはない。まあ、あれだ。私は酷く人間らしく。とても愚からしい。
あなたがたは、このように思うことはあるだろうか。何もかもに怯える臆病者の私に理解を示してくれるだろうか。いや、理解して欲しいわけではないが、ただ過去を思い時間を浪費してしまう癖が君にはないかと問いたい。いや、すまない。問うたところで、この時間に君達の益はないな。
さて、この時間は実に無意味であり、無価値だ。正しく学び、正しく生きる。仁に生きて、苛烈に燃えるようにしね。それは、愚鈍の上で寝転ぶように生きている私が見た、いつの日かの友人の姿であり、最も眩しかったものだ。
とあるお坊さんが、ひとに執着する必要はないと言った。縁のある人とは繋がるものだし、そうでなければ自然と繋がりは切れるものなのだからと。
しかし、私は思う。人は互いに少なからず執着するからこそ、縁を繋いだままでいられるんじゃないのか、と。
私は、人に依存しやすい傾向がある。そう自身でも自覚するほどだ。執着しなければ、私は多分社会から外れてしまう。容姿も、能力も何ひとつ秀でたものは無く。なんなら劣るところが多いと思う。
私は坊さんが見ている世界をみてみたい。沢山の色に溢れているのだろう。きっと、素敵な色なのだろう。私は、私自身の欠点のせいで無色に近い日々を生きてきた。人はいう、それは単なる努力不足なのだと。だけれど、少しこれに言い訳をさせて欲しい。これは私の欠点が生んだトラウマのせいなのだと。偶然にして、悪意と欠点が交わればあまりにも酷い衝突を起こす。それは当たり前のことだ。当たり前のことなのだ。
無理矢理脱色されたのだからこりゃあ酷いもので、無色といえど汚い色が混じってしまった。憎悪、嫌悪、苛立ち、孤独という最低な色だ。ここまでいくと、もはや透き通る透明さがほしい。透き通る透明さを、水を、潤いを、無垢なその心を返して欲しい。
まあ、とどのつまり言いたいことは人には執着が必要だ。特に、私みたいな人間には必要なのだ。ぷつりと、今にも途切れかかるその細い糸を漸く手繰り寄せているというのに、全くもって恵まれた方々は理解してくれませんね。素敵な人々に囲まれていたのでしょうか。いやはや、これは妬みの類の言の葉でございますな。申し訳ない。今日はここらでお仕舞いにいたしましょう。
針が時を刻む音が好きだ。
かち、かち、かちという無機質で、無愛想な音を聞くのが好きなのだ。
私はそんな普遍的でツマラナイことを言ってのけるような阿呆なのだが、それでも君達はきっと此奴はそうなのだな、と理解してくれるだろう。この自己満足も、この普遍性に満ちた出来事を殊に特別だとでもいうように語る私の口も、まあなんと味気なく下らなく、なんとも厭に腹の立つものだと一笑に付してくれれば良い。
いずれにしろ、私もこの針に刻まれて生きているのだ。時に磔にされて生きているのだ。
君たちも同様にして生きているのだ。
だけど、君達は並べられるのさえ烏滸がましいと思うかも知れない。苛立ちを覚えさせてしまったら、申し訳なく思う。
時に、時から逸脱するような生き方をしたとしよう。その時、我々はざんばらに刻まれてしまうのかもしれない。さて、そんな時私たちはどう生きていけば良いのか。