『最初から決まってた』
人間は平等じゃない。
時々、ふと周りを見渡すことがある。例えば会社。黙々と仕事をしている中で、気が付くと同じように働いている同期の姿を見詰めている。テキパキという擬音がよく似合う彼女。明るく社交的で、同い年なのに私とは正反対な人。私は見詰めていたことに気が付くやいなや、すぐに目線を下に落とし、仕事を続けた。
…正直に言おう。私は彼女に劣等感を抱いている。だからといって、別に彼女に嫉妬しているわけではない。嫉妬というは、その人を妬み、恨めしく思うことだから。彼女は私にも親しく話しかけてくれる優しい人だ。そんな優しい人を勝手に自分と比べて、勝手に自分を傷つけている。そんな自分勝手なだけの話。
自分で自分を傷つけるなんて、バカな話だと思うかも知れない。実際私はバカなのかも。傷つくと分かっていながらも、何度も無意識に彼女と自分を比べてはその度勝手に苦しんでいるのだから。
「人間の能力値は最初から決まってた」
どうしようもなく、そう思いたくなる。自分が要領悪いのも、彼女が出来る人間なのも。生まれたときから人間の能力値はある程度決まっていて、だから私たちの違いはしょうがないことなんだって。誰かに言い訳したかった。自分を言い含めたかった。しょうがない。どうしようもない。諦めてしまってもいいんだって。
でも、本当は分かっている。そんなものは自分を甘やかすための、甘い毒でしかない。最初から決まっていたのなら私は今、こんなにも苦しんでなんかいない。
昔から、他人と自分を比べて勝手に傷ついてきた。その度に辛くて、自分が情けなくて、どうしようもなく醜く藻掻いていた。
もし本当に最初から決まっていたのだとしたら、今までの私の醜い藻掻きまでもが否定されてしまうだろう。それだけは許せない。だって、例え醜い藻掻きだとしても、無駄な悪あがきだとしても、世界中の誰だろうが私のこの藻掻きを否定することはさせない。私がずっとこの苦しみと向き合い続けたことは、私が一番よく知っている。私だけは、その苦しみを否定してはいけないのだから。
また無意識に私の視界の中にいた彼女は、今も忙しなさそうに働いていた。上司に声を掛けられたのだろう。彼女はパタパタと遠ざかっていく。
彼女を見ていると辛い。それでも、私は「人間の能力値が最初から決まってた」なんて思いたくないから。私はいつまでも、劣等感を抱いて彼女を見詰めていくのだろう。この苦しみから、手を離すことだけはしたくないのだ。
『鐘の音』
───鐘の音が聞こえる。僕を嘲笑うような、あの音が。
今日、幼なじみのあの子が結婚する。
相手はそれなりに立派な会社で働くサラリーマン。僕とは大学の頃から居酒屋でよく肩を並べて愚痴り合う、そんな奴だ。
あの子とアイツが出会ったのは、ミンミン煩い音で茹で上がって仕舞うような暑さの僕の家だった。リビングでアイツと二人してヒーヒー言いながら課題に取り組んでいた中、あの子がお裾分けにと持って来てくれた美味しそうなスイカと、夏の日差しのようなあの子の得意げな笑顔を、今でもよく覚えている。
「あの時一緒にいた彼と仲いいの?」
後日、あの子に聞かれた最初の一言も、よく覚えている。僕は一瞬頭が真っ白になってしまって、「まあ、それなりにはね。」なんて当たり障りの無い言葉を返したような気がする。あの時の彼女の顔を見れば、あの子の気持ちなんて誰だって分かるだろう。…幼なじみの僕なら尚更。
大切な幼なじみの頼みならば一肌脱がねばと僕は大学でヤツに掛け合ってみた。するとアイツもほんの少し頬を染め、まんざらでも無い様子が見て取れてしまった。
それからの僕は、二人の仲を取り持つのに奮闘した。僕はいわゆる二人の恋のキューピッドというやつだった。時には二人のすれ違いにヒヤヒヤしたり、奥手な二人にやきもきすることもあったけれど、二人に揃って交際の報告を受けたときには思わず目尻に涙が浮かんでしまった。
そして今日、二人は結婚式を挙げる。厳かな挙式を終え、式場の庭園に出て来た二人の周りには、多くの笑顔が溢れている。僕は、そんな二人を少しだけ離れた場所から見詰めていた。…アイツの隣で輝くように笑うあの子の顔が、あの日と重なる。
アイツは良いヤツだ。絶対にあの子を幸せにしてくれる。そんなこと、友人である僕が一番分かっている。
だからこそ、今だけは鳴り響くこの鐘の音が憎たらしかった。あの子の隣を奪われた滑稽な僕を、神様が笑っているように思える。…だからどうか、この鐘の音が鳴り終えるまで、醜く嫉妬してしまう僕を赦してくれないか。
鐘の音が鳴り終えたその時、僕は神様に「それでも僕は二人が大好きなんだ、バカヤロー!」って言い返してやるんだからさ。
『つまらないことでも』
あの頃、セカイは僕のものだった。
欲しいものはちょっと駄々をこねれば買ってもらえたし、周りの大人は僕が何かすると皆してやたらめったら褒めてくれた。クラスの中心にいつもいる、お調子者の男の子。それがあの頃の僕だった。
あの頃毎日通った通学路。
周りを空と田んぼに囲まれて、その間を貫くように薄茶色の砂利道がどこまでも伸びている。カタカタ。僕のランドセルが鳴らす音以外、目立った音は聞こえない。そんな静かで何も無い道を、僕は毎日歩いていた。
毎日。毎日。同じ道を。
そんな登下校の時間が、僕にはどうも退屈でとってもつまらないものだった。だって、僕のセカイは毎日楽しいことで溢れているのに。この時間だけが何も無い。遠くに見える青々とした山も、雲一つ無い空も、もう見飽きてしまった。
「あ~あ。今すぐ隕石でも降ってこないかなぁ。」
そんなようなことを、毎日考えていた。
そして今、俺は世界の一部品として働く社会人になった。欲しいものが出来ても躊躇してしまって結局買わないし、上司に褒められることなんて滅多にない。居ても居なくても変わらない、ごくごく平凡な会社員。それが今の俺だった。
毎日乗り込む通勤電車。周りを冷たい鋼鉄と人に囲まれて、その間に体を縮こまらせるようにして立つ。ガタンゴトン。そこかしこから、音が聞こえる。そんな忙しない、冷たい毎日を俺は生きている。
あの頃の僕が見飽きたつまらない光景を、俺が最後に見たのはいつのことだっただろう。あの頃、セカイは僕のものだったはずなのに。もう久しく、青空なんて見ていない気がした。あの何も無い通学路が何だかどうしようもなく恋しくて、息が詰まる。
つまらないことでも、どうやら俺にとっては大事な思い出の一部だったらしい。狭い車窓から青空をのぞき見て、初めて気が付くのだった。
『目が覚めるまでに』
まず聞こえてくるのは、君の息の音。
すうすうってまるで絵本に出てくる羊みたいな寝息をしているの。
ふんわりとした微睡みに包まれて私がその音色に聞き入っていると、決まって君は私をぎゅっとする。…お気に入りのぬいぐるみを抱え込んで離さないこどもみたい。そんな大きなこどもがどうにも可愛らしくて愛おしい。
だから、私は大人しく君のぬいぐるみになってあげるの。温かなお布団と君に挟まれて、少し熱いくらいだけれど。
でも、君はいつだって私の前では格好つけだから。目が覚めてぬいぐるみを抱きしめていることに気が付いたら、顔が真っ赤になっちゃうんじゃないかな。
だからね、もう少ししたらぬいぐるみはもうお終い。いつもの私に戻るの。
君の目が覚めるまでに。