綺麗だと思った。
こんなに白くてふわふわしている。それが生き物なんだから、なおさら美しく思えた。
雲が好きだ。雲一つない青空なんて言うけど、あんなにベタ塗りにされた空をみても何とも思わない。
モクモクしていて、届かなくて、絵画みたいに綺麗な、陰影を伴った真っ白。だから、雲が好きだ。
でも、曇りはあまり好きではない。僕の大好きな雲が一面に広がっているのに、好きになれない。
空の素顔を隠すベタ塗りの雲。
あれはやっぱり好きじゃない。雲は好きだけど、空に浮かぶ雲が好きだ。綺麗だと思う。
空がなくちゃ雲は飛べないし、雲がなくちゃ空はつまらない。僕はそうだと思う。日なたぼっこをしながら、そう思う。
その時、小さな雲がひらひら僕の膝に落ちた。いや、留まった。真っ白だ。こんなにも真っ白な雲を僕は知らない。
小さく、白く、かわいい。
いつもは手の届かない雲に、今日は手が届きそうだった。
触ってみたかった。
でも、触ろうとすると、雲は逃げていってしまった。
あ、蝶か。
真っ白な雲は、モンシロチョウ。
春の陽気に舞う妖精。雲のような綺麗な蝶。
だけど、真っ白。つまらない。
チョークみたいで、少しだけ⋯。
綺麗なのに、勿体ない。
どうしたら、モンシロチョウはもっと綺麗に見えるんだろう。もっと、綺麗に。それこそ雲のようになれば、小さな雲の妖精。命を持った、尊い奇跡になれるのに。
雲のように。
雲にあって、あのモンシロチョウにないもの。
僕は、空を飛べないから、モンシロチョウには中々手が届かない。モンシロチョウは少し残念だけど、でも真っ白で綺麗だ。
雲にあって、あのモンシロチョウにないもの。
僕は、雲の陰影を伴った真っ白が好きだ。
あぁ、そうだ。陰影があればいいな。
平らで、真っ白で。だから、少しつまらないんだ。
雲みたいなモクモクの陰影。かげがあれば、モンシロチョウは、雲の妖精になれる。
さっきのモンシロチョウかはわからないけど、一匹。妖精の素が現れた。
優しく、手のひらで包んであげた。
ついに僕は雲を掴んだ。飛べないけれど、雲を掴んだ。
それから、僕は急いで帰った。モクモクのふわふわの、雲の妖精を早く、ゆっくりと眺めたかったから。
3年前の夏休み。それ以来使っていなかった、部屋に置きっぱなしの虫かご。まさか、妖精を容れることになるとは、全く想像できなかった。
あー、やっぱり。
つまらない。
青空に掲げてみてもおんなじ。つまらない。
これはやっぱり未完成。
まだまだやっぱり、雲じゃない。
足りないものは、やっぱりかげだ。
灰色。黒。
白だけじゃ、白は真っ白になれない。
僕は真っ白が好きなんだ。
ほかの色があるからこそ、白が映えるとかそういうことを言いたいんじゃない。そんな風にも思っていない。
白じゃない色がないと、真っ白じゃないんだ。
僕の思う真っ白は、ベタ塗りなんかじゃない。もっと多くて、難しくて、複雑で、そして、綺麗なんだ。
僕は。
モンシロチョウに、
色を塗った。
灰色やら、黒やら、白やら。
かげをつけてあげたんだ。
図工でも、影は大事だって。
綺麗だった。綺麗になった。
雲みたいだ。モクモクはうまく描けた。
雲みたい!ほんとに!!
雲の妖精だ。
さぁ、飛んでくれ。モクモク。フワフワ。飛んでくれ。
雲の妖精。見せてくれ。僕と自然が頑張って、作った奇跡の生きる白!!
飛ばなかった。
雲の妖精は、飛べなかった。
じゃあコレは何?
妖精じゃないなら、何?
雲じゃないなら、何?
コレは、絵?
結局、モンシロチョウは、モンシロチョウで。
雲の妖精ではなかったのか。
で、今、コレは何?
ここで、僕は、一つ試してみたくなった。
僕は白が好きだ。
真っ白が好きだと思っていた。
真っ白には、かげがある。かげがあるから真っ白だ。
複雑で綺麗。
でも、今、雲の妖精を作ろうとしたのに、真っ白の妖精を作ったのに、ただ飛べないというだけで、僕はつまらないと思ってる。
じゃあ、真っ白って、あんまり好きじゃなかったのかな。
結局、かげのなかで映える狭くベタ塗りの白が好きだったのかもしれない。
だったら、白の妖精が見たくなった。
斑点も、失敗のかげも、体の色さえも、全部つぶした、ベタ塗りの、本当の意味で真っ白の。白の、清潔、美の妖精。
僕は、また。
描いた。
というか、塗った。
真っ白く。
モン白チョウが出来た。
これが、モン白チョウ。真っ白で、やっと綺麗だ。
あ、でも、つまらない。
そこで僕は、やっぱりただの白は好きじゃないことに気づいた。かげは必要だったんだ。
いや、かげが好きだったのかもしれない。
あ、そっか。僕は白い雲のキャンパスに、虹にも負けない、美しい、太陽の反射のその軌跡を見ていたんだ。
じゃあ、僕の好きな色は⋯⋯。
僕は、
モンクロチョウが見てみたくなった。
【2026.05.11『妖精の作り方』】
前方からゾンビがやって来る。
走る速度はもたもたしている。
電気つけっぱか、
ゾンビが眼前に迫っている。
行き止まりに来てしまったみたいだ。
まだ5分ある、
ゾンビが食いかかってる。
止まった。
何もかも止まった。ゾンビたちは行儀よく停止し、目の前にはゲームの一時中断画面のような選択肢が現れる。走馬灯にしては無機質だ。再開を選べばゾンビに殺される。終わりを選べば、助かる。もう分かってしまった。良かった。ここで止まるということは夢だ。どっちにしろ助かった。悠長に待っていても大丈夫だ。だってゾンビは襲ってこないし、襲ってきたとしても痛みはない。気長に構えることができる。よし、待ってみよう。この先はないのだろうけど、夢を操れているという全能感に浸ってみよう。
かすかに光、
ゾンビがやってきた!!!
停止。
簡単だ。方法は知っている。怖いものはもうない。
こうなったら、やることはあまりない。
ゾンビが消える。
必死に好みの女性を思い浮かべる。
なるべくはだけた格好で。
眩しい!!!!
あぁ、電気つけっぱだったんだ。
静かな部屋。ゾンビも女の子もいない。天井につるされた小さな満月。まだ夜か。いやそんなことはない。朝だ。
移す。時計。アラームは。確か、消した。
ということは!13分過ぎている。
これではもう、助からない。
点滅、瞬く。
暗転、明転。繰り返す。
世の中は舞台であり、その舞台上にある装置が壊れ、ハリボテだと気付かされた時、人は絶望して世の中を不条理に感じるのだと。カミュが教えてくれた。
光が照っている。その間は舞台上で芝居は続いていて、終わることなど予感させない。暗転は急にやって来る。暗転なのかも分からない。予定通りに照明が落ちたのではなく、証明機材が落下してきて、音を立てて静寂をもたらしたのかもしれない。光が照っている間はここで終わりなんて考えない。まだまだだ。でも、きっと素晴らしいと思っている。
つくのか?明かりはもう一度つくのか?
暗転か、終演か。どっちだ。
少し、照って来た気がした。すこし明るくなった気がした。もう真っ暗ではない。光だ!
いや、目が慣れただけだ。
明日への光は唐突にいなくなる。予感などさせない。
悲劇の形で降り注いだデウスエクスマキナは、やはり舞台装置であって、神ではない。
暗転、反転、横転。
光がないと、どこにも行けない。
目が慣れただけじゃ、どこへも行けない。
部屋のチャイムが鳴る。
今日は木曜日。木曜日に僕の家には宗教の勧誘をしに男性がやってくる。神様の言葉を借りて、僕にそれらしい心理を吹き込むが、それを聞くたびにその男性の心からの言葉なのか疑問に思う。
神様はどうして人間を創ったのか。あなた方の目指している幸福とはなんなのか。人に優しいとはどういうことか。神様がそうしろと言われたことに従うことが正しいのか、甚だ疑問に思う。
木曜日以外の曜日、僕は1、2時間ふとんに丸まって、考えに浸る。考えるのは決まって別れてしまった恋人のこと。優しい人間とはなんなのか。どうしたらよかったのか。これからどう生きるのか。そんなとき、誰かの工作した神様に縋っても何も意味がないことに気づく。慰めでしかない。
ひとは1人では生きていけないと言うが、本当にそうなんだろうか。意外とやっていけるものなんじゃないか。こういったことをぐるぐると考えていると、先の見えない大きな一本道をひた歩いているような感覚になる。ゴールがあるようで、実は目の前には途方もない壁が行く手をふさいでいるようにも思える。
同じところをグルグル回っているようでも、今日と昨日で考えていることは違う。180°の転換がある日もある。そう考えると、決まった道を回る迷路ではなく、とても簡単で、ただゴールはとてつもなく遠い、悪ガキの悪戯で作った迷路を歩いているのかもしれない。
今日は水曜日。ふとんから顔を出してデジタル時計を見上げると23:50を表示しながら、僕に曜日と湿度を告げる。
明日は木曜日。あの宗教勧誘の男性がやって来る。明日はもう一人、神の子羊を連れて来るそうだ。僕の部屋は手狭で汚いので、あまり2人も入れたくないんだけどなあ。
心の迷路。このぐるぐるとした考えをたったの4文字にして表現できてしまうのか。でも、そういった簡単な言葉では表せないんだけどなあと、言葉の存在を残念にも思ったりする。
走る。なのか、歩く。なのか、彷徨う。なのか、籠もる。なのか。どう対処したら良いかわからないが、どうにか外に出られたら良いと思う。空から、神様が手を差し伸べてくれないだろうか。なんなら蜘蛛でもいい。
まっすぐ伸びる終わりのない道を迷路と呼ぶこともできるだろう。