空席の隣人/ずっと隣で
それなりに人がいる場所なのに、何故だか自分の隣の席は空いている、ってことありませんか?
そこ、誰も座ってないんじゃなくて、幽霊が座ってます。
私の場合、電車に座ってうとうとしていると、いつの間にか隣の席に座ってくる。幽霊が。
で、私が電車を降りるまでずっと隣にいる。
ただ、隣に座っているだけだ。何もしてこない。
なぜ? とは思うけれど、もうかれこれ10年は隣にいるので最早気になりもしない。むしろ安心感さえある。「おっ今日も来たな」って。
私が寝過ごしそうになると、幽霊は私の脳に直接大音量のノイズ(最近気付いたが、うっすら般若心経が混ざっているようだった)を流し込んで起こそうとする。
案外健気で可愛いんじゃないか。隣の座席の幽霊さん。
……私が心の中でそいつを「アラーム」って呼んでいることがバレたら、呪い殺されたりするんだろうか。
こわれていません/もっと知りたい
私が鋏を握っているのは、
あなたが何で出来ているのか知りたいからで。
私が何も言わないのは、
あなたの声を知りたいからで。
私があなたをここに閉じ込めているのは、
あなたの心臓の動きを知りたいからで。
そんなに怯えないで、ええと、
私あなたのことが、好きなだけで。
なので、その。
大丈夫です。問題ありません。
こわれていません、よ。
感謝してるよ、人間/平穏な日常
「死神だ。君を迎えに来た」
俺がこう告げれば、その人間にとっての「平穏な日常」はたちまち崩れ去る。
しかし一方で、それは死神である俺たちにとっての「平穏な日常」になってゆく。
毎日毎日、何百、何千、何万もの人間の生命が、運命に従って規則正しく失われていくことが、死神である俺たちの「平穏な日常」を形作っているのだ。
人間の「死」というものが無ければ、俺たちは存在していられない。
全く有難いことだ。生命の終わりに感謝。
……酷いと思うか? なら、考えてみるといい。
自分にとっての「平穏な日常」が、誰かにとっての「平穏な日常」を奪っている可能性について。
コーヒーでも淹れよう。ほら、そこへ掛けて。
新流星と願い事/愛と平和
「永遠の愛と永遠の平和がもたらされますように」と流星に願ってみたら、「二つはちょっと、むずかしいです、どちらか一つにしてください」と夜空から声が降ってきた。
「じゃあ、平和で」と付け加えて願うと、今度は「あんまり、大きい平和は、むずかしくて……」と弱々しい声が降ってきた。
「君、もしかして新人……じゃない、新星なの?」
「ええそうです、すみません。まさか初めて受けた願い事がこんなに壮大なものとは思っていなくて」
流星はバツが悪そうにぽそぽそと言葉を紡いだ。哀れな流星。私が帰宅中「流れ星見れたから適当に何か願っとくか」とノリで願ったばっかりに。
「小さな平和ならいいのかな」
「そうですね、小さな平和……小さな平和、って、なんですかね、生まれたばかりなので、その、調べないと分からなくて」
うー、と唸る流星。新星は願い事の内容が分からなかった場合、「一旦持ち帰ります」が出来るのか……。唸る流星の声を聞きながら、私にとっての「小さな平和」を考える。生まれたばかりの流星にも叶えられるような規模の、小さな平和。
「思いついたよ」
「わあ、ありがとうございます。すみません、では、改めてお願いします」
流星はホッとした様子で私の願い事を待っている。
「……なるべく、定時で帰れますように」