こっこ

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4/8/2025, 3:10:41 AM

フラワー


花と漢字で読めば、とても日本的な花をイメージするが、フラワーと明記されると、途端に世界が広がる。
花という漢字も好きだが、英語のflowerもとてもステキだと思う。
フラワーアレンジメントに興味が有り、以前教室に通うか迷った。生け花教室も、一度だけ経験がある。
今でも通いたい教室の上位ランク入りだ。
陶芸も習いたくて、自分の作った花器にお花を生けたいと常々思っている。
私の古い友人に陶芸の先生がいるから、又門を叩こう。
亡くなった両親が唯一残してくれた、私好みの食器が沢山あって、物をこれ以上増やしたくないので、陶芸を習うか二の足を踏んでいる。
春は花が咲き誇り、新緑の季節。新しい息吹を感じながら、一歩踏み出してみようか…。
父が好きだった春に思いあぐねる私がいる。
フラワーの開放感ある言葉表記のように、いっそ自分を解放してみたら、又新しい発見が待っていそうだ。
変化が少し苦手な私も、フラワーの文字に背中を押されつつある。

4/7/2025, 6:37:20 AM

新しい地図


私は地図が苦手だ。とても方向音痴だからGooglemapを使用しても迷うのだから、相当なものだ。
ただ、地図と聞くと尊敬して止まない人物がいる。皆さんもご存知の「伊能忠敬」である。
地図測量に取り掛かったのが、55歳からという年齢にも始め衝撃を受けた。そして71歳まで1日換算すると40キロ…73歳で亡くなる日までいったい何歩歩みを進めたのか。伊能忠敬は新しい地図の完成をどんなに望んでいただろうか…。
凡人には計り知れないと思った。
忠敬の一歩は69cmと言われている。この歩幅の正確さのお陰で日本地図は出来上がったのだろう。
数人の平均値や道具も駆使したらしいが、忠敬の一歩一歩が筆まめな几帳面な性格を表しているようで興味深い。
今は亡き伊能忠敬に、江戸時代にタイムスリップして新しい地図を見せてみたいと夢想した。
年老いた天才天文学者は、新しい地図を前に何を思うのだろう。

4/5/2025, 5:55:09 AM




母を亡くした日、雨の中に桜が咲いていた。満開の桜の下を車椅子の母と歩いた。桜を見る度に、優しい母の笑顔が浮かんで悲しくなった。
大好きだった桜をただ、キレイだと見上げることができない自分がいた。それから桜を愛でるまで3年かかった。
今、私の隣には今年ランドセルを背負って入学する孫のルナがいる。
手を繋いで桜並木の下を歩く。風が吹けば舞い散る桜の花びらをキャッキャと笑いながら追いかける後ろ姿を見て思う。
悲しい思い出の桜から楽しい思い出の桜に更新された、と。アップデートされた思い出の中で、また日々が続いていく。
自然と人間も強化されていくのだろう。
大好きなメロディーが頭の中で鳴り響く…。
RCサクセションの清志郎の曲「空がまた暗くなる」
「おとなだろ 勇気を出せよ
 おとなだろ 知ってるはずさ
 悲しい時も涙なんか 誰にもみせられない
 (省略)
 悲しい時も涙だけじゃ 空がまた暗くなる」
顔を上げて桜並木を歩く私がいる。





3/28/2025, 1:19:43 PM

小さな幸せ


小学生の孫とスマホゲーム、ポケポケで闘う瞬間。
お兄ちゃんに生意気なことを言うようになった、早くスマホが欲しい5歳のルナとキッチンで野菜を切る瞬間。
歌が大好きな娘と80年代のアイドルをカラオケで歌う瞬間。歌の上手い娘の、椎名林檎の「ありあまる富」や宇多田ヒカルの「道」を聴いている瞬間。
これ又歌の大好きな息子のBUMP OF CHICKENの「リボン」を聴いている瞬間。
最近良く聴くようになったJAZZのサックスの音色にうっとりする瞬間。
スーパーで買おうと思っていた食材がお値打ち品だった瞬間。
ドラッグストアでポイント10倍DAYに更にクーポンも使えた瞬間。
ポストに友人からの手紙が届いた瞬間。
失くしたと諦めていた、お気に入りのハンカチがコートのポケットにあった瞬間。
小さな幸せ…。
積み重ねたら、東京タワーも富士山もエベレストも越えられる。
今日も小さな幸せを抱きしめる。
高尾山辺りは越えてきただろう。

3/21/2025, 12:17:04 AM


手を繋いて


今、小学6年生の孫がまだ2歳半の頃。娘のアパートから近いスーパーに、2人で手を繋いでよく行った。
必ずお菓子コーナーのアンパンマンの棒付きのチョコレートの前で止まる。「ゆう、欲しいの?」と聞くと、こっくりと頷く。
スーパーのレジで諸々のお会計を済ませて、アンパンマンのチョコを小さな紅葉みたいな手にぎゅっと握らせる。にっこり笑っている。
いつも通る横断歩道で、信号が青になり2人で渡っている時、決まって、ゆうは手に握っていたそのチョコを放り投げる。私が「あらら!ゆう、どうしたの〜?」と慌てて拾う様がおかしかったのか、何なのか理由は不明だ。
チョコをゆうの右手に戻して、2人で手を繋いで横断歩道を渡り切る。
数日後、スーパーへ2人で手を繋いでいく。横断歩道でわたしが慌てて、アンパンマンのチョコを拾う。まるでデジャヴだ。
そして、2人で手を繋いで娘のアパートに帰る。何回それを繰り返しただろう。
何気ないひとコマが懐かしい。小さかったゆうも、桜が咲く頃中学1年生になる。
もう恥ずかしいのだろう。一緒に手は繋がない。
本人はあのチョコレート事件を覚えているだろうか…。
今は祖母の私をおちょくるお年頃。ちょくちょくフェイクニュースで騙される。
さもありなんな絶妙な話しで、すぐ信じてしまう。間違った情報を、うっかり人に話してしまいそうで困る。もうやめてね〜と念を押しても流してくる。
あの時も私をおちょくっていたのかも知れない。
三つ子の魂百まで…か。


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