こっこ

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8/8/2024, 2:12:00 AM


最初から決まってた


歌声には自信があった。町内会の盆踊り大会の、のど自慢では子供ながらに、いつもトロフィーを手にしていた。
カラオケで友達の前で歌う度に「瀬奈!絶対歌手に向いてる〜」と言われた。
その時々に流行する、特に若い世代に響く歌を好んで歌った。家で寛ぐ時などは、EDMもクラシックもJAZも耳障りが良くて聴いている。もちろんロックも。
母のお腹の中にいた時から、音楽は私の側にあり、まさにノーライフ、ノーミュージック。音楽に恋している高校1年生の女子である。
歌姫にも憧れがあって、母の影響か海外アーティストではホイットニーヒューストンやリアーナ、シャーデーの歌声が好きだ。日本でも、UAや椎名林檎、宇多田ヒカル、昭和歌謡の80年代アイドルも大好きだ。
解散してしまったBiSHのアイナ・ジ・エンドの歌声は親子で虜になってしまった。
たまたまTVで観ていた、カラオケの採点で王者を決める番組に「出てみれば?」の、母の一言で出演を決めた。
選んだ曲は、Adoの新時代だ。
駅前のカラオケ店に通い詰めて、99点を何度も叩き出した。歌はずっと自己流だったので、アルバイトで貯めたお金でボイトレにも通った。
本番当日。控室に通された私は、同じ高校生の出演者を目の当たりにして、少し緊張していた。
仕事だった母も会場には来れなかったので、付き添いなしは私ひとりだけだった。
歌う前は、がんばれ!わたし!と自分を鼓舞した。
出場者の中でも、取り巻きというのだろうか…スーツ姿の男性と世話役の母親らしき人総勢5人に囲まれた女子がいた。制服姿が多い出場者には珍しく、どっしりと構えた着物姿が印象的だった。
本番がスタートした。皆90点超えの接戦となった。
司会のタレントが、その着物姿の女子にだけ妙に馴れ馴れしい感じがしたのは、私だけだろか…。
その娘は、堂々とした歌いっぷりは良かったものの、抑揚があまりなくせっかくの演歌なのに少し残念な歌声だった。その娘の後に歌った爽やかな男子の、スキマスイッチの奏の方がとても響いた。
トーナメント制で勝ち抜き一騎打ちになったのは、私とその娘だった。
先発で歌ったその娘は音を、置きにいくような単調な歌声に感じたけれど、安定感というやつなのか、99.78という高得点を叩き出した。
負けたくない。私も決勝では勝負曲の宇多田ヒカルのFirst Loveを熱唱した。会場の拍手が嬉しかった。
しかし…結果は惨敗…。97.58という点数だった。
これが現実なのかな、と肩を落として帰り支度をしていた。TV局のトイレで私服に着替えて廊下に出たその時に見てしまった。
今日はありがとうございました〜とその番組のお偉いさんに、菓子折りと封筒を渡すスーツ姿の取り巻きの姿を。
控室からのそのトイレ前は丁度死角になっていた。
最初から決まっていたんだ!
なんだ出来レースだったのか…。TVの裏側と権力を見せつけられた気がした。
後で噂で聞いたが、あの娘はTVの関係者の親戚で地方の地主らしく県庁にも顔が利いて、子供の頃からのど自慢荒らしと言われて有名だったらしい。
私はどこ吹く風で、今もオーディションに通う日々だ。
返って反骨精神が宿ったらしい。
もし、この先夢が叶って有名なアーティストになった暁には、「あのタレントとエラが張ったプロデューサーの番組はNGで!」と声高らかにマネージャーに宣言するつもりだ。
がんばれ!わたし!

8/6/2024, 8:02:41 PM

太陽

結婚して、中々子供が授からなかった私達夫婦に念願の赤ちゃんが誕生した。
太陽のように明るい女の子に育って欲しいと、名前を陽菜子と名付けた。
陽菜子は活発な女の子で、男の子に混じって外遊びが大好き、スポーツ大好きで健康でのびのびと育ってくれた。
お転婆だったから、ボール投げした先のお宅のガラス戸を割って、菓子折りを持って謝りにいったこともある。
相撲で相手の大輝くんを投げ飛ばして、打ちどころが悪く捻挫になり、これまた親子で謝りに出向いた。
とにかく体を動かすことが大好きで、小学校ではミニバスケ、高校ではサッカー、大学ではハンドボール…どうも球技が得意らしい。
そんな娘の活躍を、夫はいつもそっと見守ってくれていた。ひとりっ子だからと、甘やかすことはなく礼儀に厳しかった。アメフト部でキャプテンを務めた体育会系の血筋は陽菜子に遺伝したのかもしれない。
そんな似たもの親子の夫が、倒れたのは陽菜子が大学1年の冬。くも膜下出血だった。夫の死はあまりにもあっけなかった。
泣いている暇も無いほど、葬儀の準備に追われた。
初七日も済ませ、抜け殻のように沈んだ様子のわたしを見て、「お母さん、大丈夫だよ。窓の外を見て、太陽があんなに輝いてる。空もこんなに広い。お父さんがいなくなってどうしようもないほど寂しいけれど…私がいるじゃない!一緒に生きていこうよ…お父さんの分まで。泣きたい時は思いっきり泣いていいんだよ。お母さん。」
そう言って笑顔を見せた陽菜子は、太陽のように眩しく頼もしかった。
冬から春に近づく気配がした。太陽が高く高く昇っていた。

8/5/2024, 9:48:04 PM


鐘の音


娘が高校生の時、取っ組み合いの喧嘩になった。今では理由はわすれたが、仲直りの後に「ママとどこか行きたい。」と言われ、選んだ場所は小江戸と呼ばれる川越だった。
駅から歩いてすぐに、タイムスリップした街並みがあった。面白いお店屋さんも並んでいた。
埼玉名物のお芋を売るお店で小腹を満たし、お昼はちょっと贅沢して鰻を食べた。
一杯のかけそばってあったけれど、一人前の鰻重を半分ずつ頂いた。さすがに飲み物は2つオーダーして。
ひとり親で育ててきたけれど、旅行など連れては行けず、お給料日後の映画館が一番のイベント。
そんな生活だった。
だから娘の真美は川越のサプライズをとても喜んでくれた。
露天のおじさんが売っていた、オレンジの針金で器用に作られた手のひらサイズの自転車をお土産に買った。
大人になっても、大切に机の本棚に飾られていた。
川越から帰る頃、夕方になって鐘の音が響いた。
時の鐘と言って一日のうち4回鳴るらしい。腕時計は6時を指していた。
情緒溢れる小江戸を後にして、電車に揺られた。
窓を見ながら私は、これから先、鐘の音を耳にする度に時の鐘を思い出すのだろうか…。そんなことをふと思った。
窓に映る娘の横顔も微笑んでいるようにみえた夜の西武線。
頭の中で小さく鐘の音が鳴っている気がした。

8/4/2024, 7:27:12 PM

つまらないことでも


お亡くなりになった俳優の樹木希林さんが、どんなことでも面白がることは大切よ。と生前言っていたらしい。
つまらないことでも…面白がるかぁ。
長女のあすみが、学校が楽しくない…といった時、的確なアドバイスはあげられなかったけれど、色々話す中で、自分が楽しくしてると自然と周りも楽しくなるものだよ、とだけ伝えた。
参考になったかは謎だ。
私は日本史も世界史も苦手意識が強いが、美術史は大好きなので、関連性を持って勉強したいと常日頃思っている。
孫の子守の合間に、ちょこっと勉強を試みる。
つまらないことでも、段々全容が見えてくると面白く変化していくものだ。
ペリー来航より、ずっと前に日本に上陸していたアメリカ人がいたことを最近知った。
新選組に興味が湧き、夢中になって深掘りしたら自分なりのミステリーが浮かび上がった。山南敬助についてだ。
新選組マニアの友人に話したら、面白い切り口だよと、褒めて貰えた。ちょっと嬉しい。
かつては、全く興味がなかった分野でも、つまらないと感じていたことも、面白がる精神は世界の扉を少し広くしてくれる。
私もあと3年で還暦だ。
いくつになっても、つまらないことでも面白がれる人でありたい。
あまたの先輩を見習いながら…。

8/2/2024, 12:44:25 AM


明日、もし晴れたら


明日、もし晴れたら、電車に揺られて鉄道の旅に行くだろう。
その名も大回り路線の旅。合法のやり方で、一駅分の切符料金で千葉の房総が拝められる何ともお得感満載の小旅行だ。
私に鉄道マニアのてっちゃんこと、同級生の勇くんが、この方法を伝授してくれたのは、ノウゼンカズラがオレンジに輝く真夏の季節だった。
とにかく方向音痴で鉄道に疎い私に、勇くんは辛抱強く優しく鉄道の旅の楽しさを教えてくれた。
なのに…。人と人のお付き合いは案外難しいもので、小さな不満の積み重ねから、些細なことで言い争いになり、疎遠になってしまった。
今は縁がなかったのだろうと思うことにしている。
一緒に観た電車の車窓からの美しい景色も、久し振りに乗った日本一速い新幹線はやぶさで食べた駅弁の味も、トロッコ列車やSLのレトロ感も…。全ていい思い出として私の中にある。
私の尊敬するネルソン・マンデラ氏は、人を恨むより許すことが幸せになる鍵…というメッセージをくれたけれど、つくづくそうだよな~と考えずにはいられない。
人を恨まないと、一緒に過ごした時間は感謝に変わる。
そうは言っても、私は根に持つタイプだから、結構苦労した。マンデラ氏の言葉を、何度も何度も自分に言い聞かせる。
今でもたまに、モヤっとする時も正直ある。でも思い出に罪はない。
勇くんと疎遠になって2年が経とうとしている。
今年もノウゼンカズラは美しく咲いた。
天気予報は明日も晴れ。
電車に乗って、千葉の内房線外房線を楽しんでこよう。
鮮やかな思い出と一緒に。


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