視線の先には
真夏の蒸し暑いきょうしつで、黒板の音だけが聞こえる5時間目の憂鬱。
人見知りの僕はクラスでも一際目を引く、黒髪の綺麗な斎藤あすみさんとまだ一度も話せないでいる。
こんな僕だから、何きっかけで話しかけて良いかも、全く想像できない。
時々自分がなさけなくなる。
先日席替えをしたばかりで、斜め右端の席には憧れの斎藤さんが座っている。
授業もそっちのけで、僕の視線の先には後ろ姿の斎藤さんが今日もきちんとノートを取っていた。
休み時間クラスでも目立つ、イケてる男子の蓮見蓮が、「お前授業中斎藤の方ばっか見てるよな!」
僕は恥ずかしくなって、顔を赤らめ下を俯いた。
聞こえている…絶対に斎藤さんに聞こえている。
恐る恐る顔を上げた視線の先には、にっこりほほえむ彼女がいた。
「別にいいよ。ガン見してくる訳じゃないし。」
優しい。彼女はそれからずっと僕の中で神となった。
相変わらず、何も話しかけられない僕だけど。
汗ばんだシャツの中を爽やかな風が通った気がした、17の夏。
終わりにしよう
グラスの氷は溶け切ってしまって、味のないアイスコーヒーのストローだけ指でクルクル回していた。
こんな私の癖さえも、あなたは笑ってくれたのに…。
「もう…終わりにしよう。」
聞きたくなかった。あなたからの最終通告。
近くを走る電車の遮断機の甲高い音を聞いていた。
いつもは嫌いな音なのに、何故だかずっと鳴り続けば良いのに…と強く思った。
あなたとの思い出が溢れているこの街にはもう暮らせないな、と冷静に考える自分もいた。
泣いてすがる姿も想像していた。ううん、私はそんなキャラじゃない。
最後位はあなたが好きだと言ってくれた、笑顔の私で別れよう。答えは決まった。
涙は見せずに、大きく頷いた。
「うん、終わりにしよう。」
はっきり言えたけれど、私は上手く笑えただろうか…。
あなたが好きだと言ってくれた、あの日と同じように。
小さくなっていく彼の背中にそっと聞いた。
喫茶店の窓ガラスの向こうが、滲んで見えた夏の夕暮れ。
秋恋
「黄色いコスモスが咲いてる丘に行きたいな」
君は好奇心旺盛なアグレッシヴな女の娘、
いつも僕は少し慌てながら、君について行くのがやっとだった。
「梨のもぎ取り予約したよ〜」一緒に食べた梨は新潟と高知の名を取った、新高という種類でとても大きくて甘かった。
「モンブランの美味しいお店見つけちゃった」嬉しそうに頬張る君が可愛くて、甘いものがちょっと苦手な僕も珈琲と一緒に平らげた。
「ライトアップされるイチョウ並木は見逃せない!」
夜に浮かび上がる黄金のイチョウは、それはそれはキレイだったけれど…足元の銀杏の匂いで隣の子供が「ママ〜何かくちゃい…」と言ってるのを聞いて顔を見合わせて笑った。
行動的な君も、この季節になるとオススメの小説を何冊も教えてくれた。西加奈子さんの「サラバ」や中村文則さんの「銃」僕も夢中で読んだ。
一番好きな本は、夏目漱石の「こころ」らしい。
君が秋を好きなように、僕も君に惹かれていった。
これを秋恋と言うのだろうか…。
鈴虫の泣く夜に、ふと思った。
来週は僕の提案で修善寺に、太陽にオレンジに輝く紅葉を観に行こう。僕の秋恋はまだまだ続く。
大事にしたい
「孝、又トイレの電気つけっぱなしで!電気は勝手に送られるもんと違うんよ。何でも感謝して生きなきゃいけん」
倹約家で息子の俺から見ても、ケチだなぁと感じる母さんの元で育った。
大学を出て、のらりくらりしていた時友人と起ち上げた会社が当たって、俺は周りから「若社長、さすがアイデアマン」などと、もてはやされる存在になっていた。
気付くと俺の周りは、イエスマンしかいなくなっていた。
付き合う彼女もどちらかといえば派手なタイプで、ヴィトンの新作が欲しいとか、CHANELしか持ちたくないの、とか、そんな娘が多かった。
俺も調子に乗って、外車を乗り回した。
散々贅沢を尽くした後には、バブルも弾けて、ガランとした事務所だけが残った。
人生どん底かもな…と諦めかけたとき、彼女と出会った。
食事に行くと、いつもの癖で金も無いのに奢ろうとする俺に、「今大変なんでしょ。良いよ、困った時はお互い様」と2人分の定食代を払ってくれた。
彼女のアパートはとても狭かったけれど、キレイに整頓されていて、居心地が良かった。
「ボーナス出たから、ビール飲んじゃおう!」と彼女の得意なポテトサラダと発泡酒で乾杯した。
相変わらずトイレの電気を消し忘れる俺に、「電気は大切にね」とちょっと怒る姿に田舎の母さんを重ねた。
母親と似たタイプの人を好きになると聞いたことはあるけれど、俺はそうみたいだ。
先の見えない不安定なこんな俺を救ってくれた彼女。
大事にしたい。本気で思った。
先月、面接した会社からポストに通知が届いていた。
事務所も売り払った。採用だったら、彼女に告白しよう。
これからの人生をずっと一緒に生きていきたい、と。
花畑
私有地に咲いている、4万本の向日葵。そのお花畑は電車とバスを乗り継いで1時間弱の所にあった。
コロナ禍で4年ぶりに開放される向日葵畑に心踊った。
帽子の下から汗が滴る。
今日は猛暑日だ。「見学の方はこちらからお願いしま〜す。」市の職員さんが声を張り上げる。
市も協力して、夏の一大イベントだ。
かき氷屋さんも出店している、
入口を入っていくと、一面に一斉に太陽の方向を向いた向日葵が目に入る。
青い空と輝く黄色が綺麗だ。
雲ひとつない真夏の一幅の絵に暫く見とれる。
来年も観れるだろうか…。花が大好きだった母を思いだした。
ここの私有地の権利が売りに出されるらしい噂を耳にしたばかりだ。
美しい景色を残して欲しいと願う。
明日、彼女を誘って見に来よう。仕事漬けの彼女の微笑む顔が浮かんだ。