わたしの世界は狭い。
ある部屋の、かわいい小部屋に住んでいるわたしは、この世界の大きさを知らない。ちっちゃな窓から見えるのは、黄色いカバーがかかった真っ赤なランドセルだけ。
そんなわたしでも、広い世界が見られる日がある。その日はいつも、温かい手がわたしを知らない世界に連れていってくれるんだ。
「はむりん、おいで」
小さな手が優しくわたしを包み込む。今日は冒険に出られるかもしれない。
「今日はいつもよりふわふわだね。かわいい」
わたしがコロンと転がると、彼女は微笑みを浮かべた。ああ、なんてかわいいんだ。
「今日は雨降ってるから、お外はまた明日ね」
そう言って彼女はわたしをいつもの小部屋に入れた。微かな足音が遠ざかっていくのがわかる。なーんだ、つまんないの。
いいもん、わたしはこの部屋の片隅で精一杯遊ぶんだから。わたしの小部屋にも、トンネルにパイプ、回し車だってあるんだもの……!
ザック、ザック、カランカラン、ザック、ザック
「ふふ、楽しそうね」
声がして顔を上げると、彼女が笑顔で立っていた。驚きで足がもつれる。
「はい、プレゼント。今日誕生日だもんね」
空から降ってきたのは、ひまわりのしずく。
やっぱり、どんなに部屋が小さくたって、わたしは幸せ!
お題「部屋の片隅で」
俺が小さかった頃、できなかったことがある。それは今もできなくて、もう二度とやるつもりはないと思っていた。やりたくもなかった。
にもかかわらず、今日見てしまったのだ。会社から帰る途中、息子が必死に練習していたのだ。俺の苦手な逆上がりを。
地面を蹴っては黒い棒にしがみつき、落ちてもめげずに歯を食いしばる息子を見てしまったのだ。何度も、何度も。
俺は仰天した。
何が衝撃かって、俺が子どもだった時は、吹っ切れて逆上がりを全く練習していなかった記憶があったからだ。むしろ必死に練習していた奴を馬鹿にしていた記憶がある。今考えると相当悪ガキだったと思う。
視界が潤んだ。こんなにも心が動かされるとは思わなかった。悔しい。ただとても悔しい。俺はハンカチに顔を押し付けた。
その日から、俺はいつもより30分早く出勤した。誰もいない公園で、スーツ姿のまま、錆びた棒にしがみついた。毎日欠かさず、練習を続けた。
ある日、いつものように公園へ向かうと、誰かの姿があった。確信した俺は、恐る恐る声をかけることにした。
「なぁ、逆上がり、教えてくれないか」
振り返ったのは、目を輝かせた息子だった。息子はニカッと笑って棒を握った。
次の瞬間、小さな背中が滑るように美しく回った。見事だった。
そして、イタズラな笑みを浮かべて言った。
「お父さんにも、できないことってあるんだ」
俺はフハッと笑って息子の背中を叩いた。
「もちろん。逆上がりに関しては、俺の方が下だ」
朝日が徐々に空へと昇っていくのが見えた。息子が棒を握り直して言った。
「逆さまだね」
お題「逆さま」
カチ、カチ、カチ。
真っ暗な部屋に短針の音が響く。私はのそりと寝返って手を伸ばし、時計を見た。一時だった。
慣れない小さな部屋の中、私は一人、今も眠れずにいる。なんだか今日は、妙に緊張してしまう。そりゃそうか、だって今日は……。
「ねぇ、もう寝た?」
思い切って小さな声を上げてみる。1秒、2秒。布団が擦れる音がした。
「あかり、まだ寝てなかったんだ?」
隣から弱々しい声がした。パタ、パタン。奥からも、スリッパの音がする。
「やっぱ寝れないよねー! 電気つけていい?」
ふわぁ。誰かさんの小さなあくび。
「せっかくうとうとしてたのに! つけないでよぉ」
そう、今日は修学旅行旅行の日なのだ。こんな一大イベントの時に眠れるわけがない。
「どうする? トランプでもする?」
「えー、恋バナは?」
「廊下出てみようよ」
「行っちゃう?」
この時の私たちは、まだセンセーたちが廊下で目を光らせていたことに気づいていない。
お題「眠れないほど」
夢って儚い。
起きて5分後には、ほとんど忘れてしまう。
目覚ましを止めて、冷たい水で顔を洗う。朝食を食べて、いつもの電車に乗り、いつもの職場へとたどり着く。
つまらない日々。いつもと何も変わらない。
だけど、そうして現実に浸って時間を過ごしていると、ふっと夢が浮かび上がってくることがある。
ああ、あんなこともあったな。いい夢だったな。あの時は怖かった。どうしようかと思った。そういえばあの人、今頃どうしてるかな。会いに行きたいな……。
夢は、過去の現実を呼び起こす目覚まし時計だ。
お題「夢と現実」
「今頃みんな、部活かなぁ」
ある日突然、わたしの青春は消え去ってしまった。
小さな窓から、茜色に染まった空を見上げる。
わたしにとって家は、唯一の居場所。
もう一ヶ月近く、家を出ていない。
あの頃は、悪夢だった。
教室に入ったら、誰もわたしに目を向けなかった。
出席を取る時も、名前を呼ばれなかった。
話しかけたら、無視された。
笑い声が聞こえるたび、自分のことかもしれない、と思う。
そんな考えが頭をよぎる。
学校が息苦しい。みんなは平気なのに。
さよならも言わずに、私は学校を抜けたんだ。あの日から。
お題「さよならは言わないで」