部屋から一筋の光が差し込んでくる。
影をつくる洗濯物、
陰影をつくる太陽の戯れ
この部屋に初めてやってきた時、
僕はどんな気持ちでいたか
どんな自分や未来を描いたか
いま現在の自分を信じられなくてもいいから、
そこに光があったときの自分は信じてみよう
そこに光があって、
わたしの願ったこと、何も叶っていないわけじゃないし、
ひかりに身を委ねてみるのもいいかもね
秋が来る、誕生日が近づく、
そろりそろりと足元に木の葉をなびかせて、
そろそろ君がやってくる。
きっと、わたしが君に惹かれるのは、
君とわたしがちょっぴり、半分ぐらいは似ているから。
荒々しい海のなかの静けさも、
かさかさと音を立ててやわらかく体を一瞬包み込むあたたかさも、
急に自分は1人だと知ったかのようなよく知った孤独も、
わたしは知っている。
だからこそ、君がわたしを後ろから包み込むとき、
その風が少々荒々しいものであっても、
やわらかいものであっても、
わたしは嬉しくなる。
まるで、一年ぶりにやっと会えたみたい
高く、高く、風船を飛ばしていく。
ふっ、と手から離した風船が、青い空へと吸い込まれるように、なんの曇りもなく、澄みきって飛んでいく。
あの風船についた糸に、この地上でつながる誰かをもとめて。誰かに、心が届くように。
きっと心のやさしい誰かが、自らの手元に吸い込むように手繰りよせて、
やさしく見えない糸がこの世界につながる。
そんな世界をずっと昔から夢見ていて、
いまそれを想い出す、
子供のように、はしゃぎまわりたい。
子供のように、
たたたっと、
地面を蹴ってただまっすぐ目の前の空に吸い込まれるように駆けていきたい。
心はいつまでも子供なのに、
心のなかの深いところの感覚は、からだの感覚は子供なはずなのに、
なぜ知識ばかりが蓄積し、
嫌なことばかり覚えていくの?
子供みたい、子供っぽい。
わたしにとっては褒め言葉。嬉しい。
だって、そのままの、自分の中にいる、残っている感覚を世界に写すことができたみたいだから。
子供の時、アパートに住んでいて、
わたしは自分の顔を隠す手段というのを昔から好んで、カーテンを自分の顔に覆いかぶせることが多かった。
寝っ転がって、お行儀が悪いかも知らないけど、昔から飽き性だったし食事中の家族の視線の圧なんかを感じてたから、寝っ転がって休憩して、うとうとした。
昔から、家族に自分の感情を見せることに蓋をしてきた。あまりそうしたいと思わなかった。
感情を見せる=自分の心の機微を相手に知られてしまったら、負け、のように感じていた。
そんなわたしの感情をかくしてくれる、
ひとりになる空間を残してくれる、
隔たりをつくってくれた、あの空間を、わたしは冬の日に大事に思う。