遠い約束
曇天の夏だった。
そこら中蒸し暑くて、図書館に逃げ込んだ。
エアコンが効いてて涼んだ空間で、適当に本を取って席に座る。
ファンタジーと風刺の効いた良い作品だったと思う。
普段はじっとしてるのが難しくて本なんかを読めなかったけど
その作品だけはグイグイと読み進められた。
続き物みたいで読み終わったあとの僕は必死に下巻を探した。
見つけられないのが泣きそうなくらい悔しくて、蛍の光が流れてるのを聞こえないふりして探し続けようとした。
けれどすぐに閉館時間が来てしまって結局見つけられなかった。
司書のお兄さんにまたおいで、その時に一緒に探そうと何度も宥められ、ようやく帰路についた。
でも次行くまでに、図書館は潰れてしまった。
川の氾濫で本をみんな流されてビシャビシャになっちゃって、綺麗にするのも難しくてなくなってしまったんだと聞いた。
その話を叔父ちゃんからされたとき、体の中から色んなものが駆け巡って思わず家を飛び出して図書館に向かった。
走ってる最中に、駆け巡ったそれらは
悔しさで、悲しさで、寂しさで、怒りだったことに気付いた。
本を見つけられない悔しさ。
もう図書館に行けない悲しさ。
何にもできない寂しさ。
約束を守れない怒り。
ぼろぼろになった図書館には、司書のお兄さんが居た。
泥だらけになりながら、少しでも本を助けようとしていた。
俺を見つけたお兄さんは吃驚して、
その後悲しいような困ったような笑顔をした。
俺は混ざってぐっちゃになった気持ちのまま、
いろんなことをお兄さんにぶつけた。
言葉にもなんなくて、ただただ嗚咽だった。
お兄さんは手を止めて、優しく俺を抱きしめてくれた。
お兄さんはその時に図書館が帰ってきたら、その時にまた一緒に探そう。もう一度おんなじ約束をして、一緒に読もう。
そう言ってくれたから、
だからこれは、お兄さんとまたいつかする遠い約束。
君と
私より幼くて、小さい体が私を引いて行く。
君の顔は見えなかったけど、その背中は自信に満ち溢れていて。
この子なら大丈夫って、この子ならって、私も君を信じた。
私も、君みたいに信じる私を信じてみたの。
君は何処へだって行けると信じたから、私はその背をついて行った。
決して道を違えぬように、迷わぬように。
でも道を違えることはなかった。
君は真っ直ぐな子だったから。
君は前を見ている。
その足で前へ進む。
見守るしかできない私でさえ当てられて自信を持つほどに。
大きくなってもそれは変わらない。
後ろを遠慮がちに振り返ることはなくなった。
私に与えてくれた温かさだけが変わらない。
私はもう一緒には歩けない。
君と私じゃ生きられる時間が違いすぎたみたいで。
ゆっくりとその場に伏せる。
君はすぐに私が伏せたことに気づいてくれたけど、
同時にどうしようもないことにも気づいたみたいだった。
その手を舐める。
君は人で、私は犬。
君を置いていくのは嫌だったけど、
もう私の足は、尻尾は、目は、体は、心臓は動けない。
残りの力を振り絞って、君の目を見る。
涙だろうか、雫が私の頬へと落ちる。
たくさん君と歩けて楽しかったよ。
いつも一緒にご飯を食べられて嬉しかったよ。
ボール遊びも引っ張り合いっこも面白くって。
君の笑顔がいつでもそばにあるのが幸せで。
しあわせにしてくれてありがとう。
君としあわせにしてくれてありがとう。
ばいばい
春風とともに
微睡みに浸る身体を引き摺り起こす。
あたりはすでに春の陽気で満たされていた。
気分を害したリスみたいな顔をした君が隣でもぞもぞしている。
上から布団をかけてやって、朝食の準備を始めた。
適当にスクランブルエッグなんかを作って置いておく。
桜が爛漫としている。
眩しくて仕方がない。
カーテンを閉めて君を起こしに行く。
まだ本調子ではないようだ。
のそのそとご飯を食べて、大きな欠伸と共に食べ終わる。
外では春風が吹いている。
桜の枝が揺れて花が落ちていく。
風流だなんて思いはしない。
それでも、君が「きれい」と一言寝惚け眼で零したから。
春風なんかもいいなと思った。
涙
空腹を感じてようやく身を起こす。
昨日はよく泣いた日だった。
何でもない日にこそ涙を流す。
忙しい日よりも楽しい日よりも悲しい日よりも、
何も無い日を選りすぐってその日に涙を流す。
涙は感情のオーバフローだ。
楽しすぎても悲しすぎても怒りすぎても喜びすぎても
涙が出てくるものだ。
台所へ向かい、冷蔵庫を開ける。
そういう時に必要以上が出てこないように、
又は溜まった感情に突き動かされないように。
何の変動もない、何も無い日に溜まったものを消費する。
それは、まるで消費期限の近い食べ物を急いで食べるように。
冷蔵庫の中身は空っぽだった。
心も、今そのように空っぽになった。
忘れていた空腹を思い出す。
近くにあったお菓子を掻い摘んで飢えを凌ぐ。
溜まった腹と感情と。
また減らす日を作らなくてはいけないな。
春爛漫
眩しいほどの朝、障子を開けて外を見る。
すっかり冬は消え失せて、春が暖気を呼び込んでいた。
庭の花々は徐々に幼気を見せ始めている。
縁側から一頻り庭を眺めた後、茶を入れに台所へ向かう。
生き生きとした新芽の香りが溢れかえる。
半生を共にした、家族と言えるような
植物の子供たちが本格的に芽吹き始めたのだろう。
熱い茶を啜りながら窓の外を見る。
煌々と輝く其れ等はまさに、春爛漫と言えるものだった。